それは過剰で艶やかで 【完】
 帰ったらそのままシャワーに直行だな。覚悟して扉をひらいた瞬間、わずかな隙間から店内に風が吹き込み、湿った匂いが鼻を突いた。雨粒がひたりと眼鏡に貼りつく。

 不快感を押しやって軒下まで出ると、アイアン製の傘立てのなかに自分の傘はなかった。盗られたか。

 一気に絶望に突き落とされた。タクシーを呼ぼうにも、この様子ではなかなか捕まらないだろう。風で運ばれてきた雨がぴたぴたと頬を叩く。

「美鳥さん、これ」

 翠が背後から傘を差し出した。取っ手に蔦模様の刻まれた、玉虫色の大きな傘。複雑で微細なひかりをちらちらと放つ。

「この傘、使ってください」

「これ、もしかして翠の傘?」

「そうです」

「そしたら翠が帰るときに困るんじゃ……」

「大丈夫です。美鳥さんの傘を借りるので」

「いや、傘は盗られたから」

「盗られてないですよ」

 翠の口角が、すうっと上がる。まるでなにかを企むように。
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