ティータイムは放課後に。〜失恋カフェであの日の初恋をもう一度〜

第1話


 ――正しい失恋をするには、どうしたらいいんだろう。
 満天の星と満月が照らす海辺の街。
 倉咲(くらさき)一花(いちか)はぼんやりと、そんなことを考えながら歩いていた。

 月明かりが照らす薄暗い小路を、ただ宛もなく歩く。時折風に吹かれて桜吹雪が夜空に舞うさまを、一花はやはりぼんやりと見上げた。

 一花の脳裏には、ついさきほどの残酷な映像が張り付いている。
『――(ゆき)
 自分とは違う、大きく骨張った手。低い声。

 息を吐く。自分の恋人を呼ぶあの切ない声が耳の奥でまだ聞こえてくる。
 ――被害者面だ。
 一花は自分自身にそう思った。
 だって、分かっていたことだ。邪魔をしていたのは一花の方。雪の性格を利用して、残酷なことをしていたのは一花なのだ。
 今日、一花は死にたいくらい自分のことが嫌いになった。
 
 宛もなく歩き続けて辿り着いたのは、細い路地裏の突き当たり。月の光が閉ざされた奥の奥。
 一花の前には、ひっそりとした佇まいの小さなカフェがある。
 外観はまるでおとぎ話に出てくるお菓子の家そのものだ。屋根はチョコレート色で、壁はビスケットのような香ばしい色。ドアノブは木苺のようにまあるく赤いデザインをしている。

 店の前に出された看板には、可愛らしい字体で『Petit cadeau(プティ・カドー)』とあった。

 ここは、一花の幼馴染みが営むパティスリーである。
 迷ったり辛いことがあると、一花は決まってこの場所に来た。勝手に足がここに向いてしまうのだ。

 店の窓からは、優しく柔らかな光が漏れていた。時刻は午後十時過ぎ。もう夜遅いのに、まだ開けているのだろうか。
 一花は店の前で足を止め、囁くように呟いた。
「……(しい)ちゃん……」
 思わず幼馴染みの名前を口にする。じわり、と心が波打った。

 と、そのとき。
 がちゃん、とドアノブが回る音がした。開いたドアからすっと光が漏れ――ドアの隙間から、すらりとした長身の男性が出てきた。

 蓮水(はすみず)椎。
 椎は一花の八つ上の幼馴染みであり、この『Petit cadeau』を営む若き店主でもある。

 椎は店の前に出していた看板を手に取り、店の中に戻ろうとして、足を止める。一花に気付いたのだ。ふたりの視線がかちりと合った。
 店から漏れた明かりに照らされた椎は、一花に気付くと驚いたように目を(みは)った。
「一花……?」
 すっとした輪郭と鼻筋と、切れ長で流れるように美しい二重の瞳。白目は青白く澄んでいて、黒目はまるで黒曜石(こくようせき)のよう。
 黒いパティシエ服を着た椎は、まさにおとぎの国の王子様といった言葉が良く似合う美青年そのものだ。
 黒曜石の瞳がぱちりと瞬く。一花は目が覚めたようにハッとした。
「あ……椎ちゃん、久しぶり」
「あぁ……うん」
 声が少し震えている。突然現れた幼馴染みに、椎も困惑しているようだった。
「もうお店閉めるの?」
 ちらりと中を覗く。客の気配はない。椎は一花の視線につられるように振り返った。
「……まぁ、もう客も来そうにないしな。それより……」
「そっか。じゃあ、仕方ないね。私、帰るね」
 早口で言って、一花は帰ろうと踵を返す。
「一花」
 一歩踏み出した一花を、椎が優しい声で呼び止める。
 どきりとする。
「どうした、こんな時間に」
 一花はぴたりと足を止めた。振り返らないまま、言う。
「……うん。なんとなくケーキが食べたかったんだけど、また別の日に来るよ」
 ケーキを求めてきたわけではないが、まあ食べたくないわけでもないから嘘ではない。
 とはいえ、今はとても喉を通る気はしない。
 俯く一花の前に回った椎の細く長い指先が、すっと伸びる。
「一花」
 椎の指が、そっと花を愛でるような仕草で一花の頬を撫でた。
「泣いてる」
「……え?」
 言われて初めて気が付く。一花は涙を流していた。

  
 
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