可愛くて、ごめんあそばせ?─離婚予定の生贄姫は冷酷魔王様から溺愛を勝ち取ってしまいましたわ!─
全員が脅威に凍りつく中、カオスがまた火球を三連射で噴き出した。
「ぷるん!」
ぷるんの身体がそれを辛くも溶かしきる。加護がなければもう何百人食い殺され、焼き尽くされたかわからない。
命の危機に動けない魔国民たちと同じように、ベアトリスの背筋も民と同じように凍っている。
ベアトリスは、ただの人間の女の子だ。
(恐ろしいですわ)
ベアトリスの足が赤いスカートの中で震えている。冷や汗が伝い、目に涙も溜まって来る。
自分の命の危機に、ベアトリスは魔国民たちの命まで背負っているのだ。
泣きたくもなる。だが、何度でもジンと交わした約束が頭を巡る。
(でもあんなトカゲの前で絶対に泣きませんわ。
ベアトリスは王妃ですから)
ベアトリスは唇を噛み切るほどに噛みしめて正気を取り戻す。震える足で地面を踏みしめて命令した。
「魔王城の中へ避難しなさい!早く!」
すっかり怖気づいて動けなかった魔国民たちが王妃の命令に意思を取り戻し、一斉に魔王城の中へ駆けていく。
カオスはぷるんをガシガシ噛んで、ぶ厚い壁を無策に力のみで押していこうとしている。
焦りも気負いも何もない瞳孔の開いた金色の瞳は、全てを焼き尽くすだろう火の玉よりもずっと不気味だった。
カオスは無感情のまま力を奮う。
純粋な力は、純粋な悪だ。
物言わぬジンの傍らに立って、ベアトリスは巨大なカオスを見上げた。
ベアトリスは小さな一人の人間で、この純然たる悪意の前にただただちっぽけだ。
だが、王妃として国民を守るために、
この巨悪を退けなくてはいけない。
ベアトリスは大きく息を吸って、背筋を伸ばして顎を引いた。
「負けませんことよ!聞きなさいトカゲ!!」
足を肩幅に開き、腰に手を当て、カオスをビシッと指さしてやる。
「私の方が断然可愛くて!ごめんあそばせ!」
ベアトリスは巨大な竜に向かって喧嘩の常套句をお見舞いした。