天使が消えた跡は
「着替え終わった?」
そう言う妖精はそのまま薫の後ろに着いてきて一緒に洗面台の前に浮かび鏡越しに歯磨きをする薫の顔を眺め続ける。
「ひょっと、ひがひるからこっち見ないでもらえるかな」
もごもごと歯ブラシを咥えながら文句を言う薫だったが、満足げに妖精は胸を張って喋り始める。
「ぼくは薫ちゃんが王子様のところに行くまでずっと一緒に居るからね。王子様のところに着いてからも一緒に居るからね。だって、僕は薫ちゃんの付き妖精なんだから」
そこまで言うとくるりと体を揺らして薫の顔の前へ移動する。
「学校だって一緒に行くんだからね。あと、僕の名前はまだ無いから、薫ちゃんにつけてもらうことになっているんだ。よろしくね」
その時、部屋の中から電話の音が鳴り響いた。薫の住んでいる女子寮には一部屋にひとつ電話機が設置してある。
学校の外部からの電話も受信することが出来る。それなりに設備の整った学校だ。
電話は両親のどちらかだろう。朝のニュースを見て慌てて連絡をしてきたのだと思う。
しかしこちらも慌てている真っ最中。電話に出ることは出来ない。
歯磨きを終えて洗顔料を泡立て始めた時に、2回目の電話が鳴った。しかしどうしようもない。
忙しく動いている薫をよそに、妖精は頭の上に乗ったり、肩の上に乗ったりと随分と楽しんでいるようだ。
「ねぇねぇ、僕の名前は? 何にしてくれるの? ぼく、薫ちゃんに名前を呼んでもらいたいよ!」
ここまで妖精の姿が見え続けてしまっていて、ニュースまで流れて、親からの連絡も絶え間なく続いている状況では、これは現実の出来事だと認めざるを得ない。
「わかったわよ、名前ね、考えればいいんでしょ? あとでね――――痛い痛い!」
適当に返事をした薫に対して不満を持った妖精は、髪の毛を一束掴んでグイっと引っ張った。
「今だよ、今じゃないとだめなんだよ! だって名前ほしいもん!」
「分かった分かった! 分かったから手を放して!」
薫がそう言うと妖精は彼女の頭の上に移動し、身を乗り出して鼻の頭を触りだした。
「何かな何かな、ぼくの名前は何かな?」
ここまで期待されると適当な名前を付けるわけにはいかなくなる。
しかし名前を付けろといわれてもそう簡単に思い浮かぶものでもない。
「申し訳ないけど、適当な名前を付けたくないから、今日一日だけ待ってもらえるかな、学校にも行かないといけないし」
そう言った所でHR5分前の予鈴が聞こえてきた。
「大変! あとで本当に名前を付けるからまずは教室に行かせてね」
そう言って走り出した薫の後ろに着いてくる妖精は寂しそうだったが、名前を付けてくれる約束には満足しているようだった。