クールな同期と甘いキス
1.家なき地味子
人間、26年も生きていればそれなりにいろんなことがある。
嬉しいこと、悲しいこと、出会い、別れ――――
私、白石柚月(ゆずき)も例外ではない。
でも神様、これはないんじゃない?
「はぁぁ」
何度目かわからない深いため息をつくと、それは白い色へと変わり空気に消えた。11月の夜にもなると、さすがに少し肌寒くなってきてブルッと身体を震わせる。
「これからどうしよう……」
呟いたところで答えてくれる人なんておらず、公園のベンチ横の街灯だけが虚しく静かに私を照らしていた。
肩で揃えた黒髪が、うな垂れるとサラリと前へ垂れた。
足元の黒い自分の影と共に目に入ったスーツケースとボストンバッグにじわりと涙が浮かんでくる。スーツケースとボストンバックには私の衣類や生活必需品が最低限入っている。はたから見たら大荷物だが、私にはこれしかなかった。
にじむ涙を袖でグイっとぬぐう。泣いている場合ではない。そんなことはわかっている。
ただ、突然訪れたこの状況に大きく動揺し、途方にくれていた。
どうしよう。
どうしよう。
私、白石柚月、26歳にして帰る家をなくしました。
この歳になって家無き子になるとは……。
そういえば昔そんなドラマあったな、と心のどこかで冷静に思い出している自分がいる。
ドラマの主人公の女の子みたいに、お金をくれ! なんていい大人が叫んでいたら、それこそ通報されてしまう。
さすがにそこまではしないものの、本音は叫び出したい気持ちで一杯だ。
だって家もお金もないのだから……。
長い間、うな垂れていたけれどいつまでもここでこうして落ち込んではいられない、と自分に言い聞かせる。
公園で野宿するのは嫌だ。
もう時間的にも遅くなってきたし暗い。誰もいない公園にひとりでいるのは心細いし怖かった。
とりあえず、どこか寝泊まり出来るところを探さないといけないな。と言っても、金銭的にホテルは泊まれないから、しばらくは駅前の漫画喫茶で我慢するしかない。
あそこなら24時間やっているし、シャワーもあったはずだ。狭くて窮屈だけど、個室だしここよりは断然いい。
「よし、そうしよう」
行き先を決め、重いため息をつきながら渋々顔をあげると、視線の先に人が立っていた。
こちらを見つめている男性とバッチリと目が合う。
スーツ姿のいかにも仕事帰りであろう男性は、通りがかりに横を見るように顔だけこちらに向けてベンチに座る私をまじまじと見ていた。2メートルくらい先にいるが、人がいたことと見られていたことに驚いてハッと身を固くする。
え、何?
暗い中、不躾な視線に内心怯えながらも、街灯の明かりに照らされて写し出されたその顔には見覚えがあった。
180センチ程のスラッと背が高いスタイルのよさ。鼻筋が通っており綺麗な二重の涼しげな目元。少し目元にかかる前髪がなんとも色っぽく写る。
一目で誰もがイケメンだと思うその人は、唖然とする私の前まで来て見下ろした。
「こんなところで何しているんだ、白石」
耳通りの良い、低く通る声はやはりよく知っていた。
「三雲君こそ……」
少しかすれた声でそう呟く。
呟いた声は彼にちゃんと届き、「ああ」と頷かれた。
「俺のマンション、ここの公園を抜けた先にあるから」
「あ、そうなんだ……」
まさか最寄りの駅が同じだったとは……。
公園の先のマンションなら私の住んでいた家からそこまで遠くはない。よく今まで遭遇しなかったなと思った。
「で? 白石はこんな時間にこんなところで何しているんだ? いくら人通りがあるからっていってもさすがに夜の公園は危ないぞ」
ごもっともな意見に、そうなんだけど……と言葉を濁す。
しまったな、と思った。
まさか会社の人と会うなんて……。
私を見ていた彼は三雲颯斗(みくもはやと)。同じ会社の同期だ。
私と三雲君は同じ大手飲料メーカーで働いており、彼は営業、私は総務で働いている。営業なのにクールなタイプで、あまり表情は変わらない。にもかかわらず、仕事はとても出来る三雲君は営業部の期待のエースだ。
女子社員に人気がある三雲君と総務部で地味な私とでは、同期と言っても普段の接点なんてほとんどなかった。仕事で時々話す程度だ。
それなのにまさかこんなところで会うなんて……。
どうしようと質問に答えない私に不思議そうにしている。
「帰んないのか? あぁ、待ち合わせとか?」
「あ、いや、その……」
歯切れの悪い私に三雲君は不審そうに眉を潜める。
「なぁ、その荷物なに?」
クイッと顎で私の荷物を指し、ジッと見つめてくる。視線が鋭く、その探るような目にさらに狼狽える。
家をなくしたショックからの回復もままならないなか、会社のしかも同期に会ってしまったという動揺から、とっさにつける嘘がなにひとつ出てこなかった。
「これは、あの、その……」
「……もしかして家出でもした?」
「家出っていうか……、家がないって言うか……」
「は? 家がない?」
こいつ何言っているんだと言わんばかりの声音にますます私は俯いていく。
いや、本当何言っているんだろう。
うまい嘘がつけず、出てきたのは事実。
三雲君が驚くのも無理はない。良い歳をした社会人の女が、路頭に迷っているなんて普通はあり得ないもの。
そう。あり得ないんだよ……。でも、私にはそれがあり得てしまう。お金がないから。
あまりの情けなさに涙が滲む。
「え? 白石?」
泣き始めた私に三雲君がギョッとしている。
しかし一度流れた涙は止まらなかった。
ああ……、お父さん、どこ行ったんだろう。私、どうしたらいいんだろう。お金がない。お腹すいた。どこに泊まろう。
このあり得ない状況に少しパニックになっていたのだろうか。三雲君の言葉が天の助けに思えた。
「とりあえず、家に来る?」
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