クールな同期と甘いキス
「ただいま」
気分よく帰ったから、いつもより声が大きくなる。リビングへ行くと三雲君の姿がない。
あれ? 部屋かなと思っているとお風呂場の扉が開く音がした。
反射的に振り返り、ギグッと体が固まる。
スウェットズボンに上半身裸でお風呂上がりの三雲君が、タオルで頭を拭きながら出てきたのだ。
「ああ。おかえり」
私に気が付いても気にもせずに、そのままキッチンへ向かって冷蔵庫から水を取り出した。
「た、ただいま」
慌てて後ろを向くが、思いっきり見てしまった。
服の上からだと細身でスレンダーな体型なのに、意外と腕もがっしりしているし、体も引き締まっていた。
目に焼き付いた姿に顔が熱くなってたまらず隠してしまった。
というか、どうしてこんな昼間からお風呂入っているの!?
ドキドキし過ぎて挙動不審になる。
後ろを向いて、なるべく三雲君を見ないように移動をしていたら、その仕草に何を思ったのか三雲君は「ふぅん」と楽しそうな声を出した。
すると離れていたはずの三雲君の声が少しずつ近くなってくる。
「なんで後ろ向いているの?」
「なんでって……」
じりじりと寄ってくるのがわかる。
背中に気配を感じつつ、私もソロソロと離れる。
「なんで顔を隠しているの?」
「それは……」
「なんで顔が赤いの?」
まるで赤ずきんちゃんがお婆さん姿の狼に尋ねるように無邪気に聞いてくる。でもその声はどこか面白がっているようにも聞こえた。
これは反応を面白がって聞いてきている。
「だって……!」
反論しようと口を開くと、すぐそばからシャンプーの良い香りがしてハッと顔をあげた。
「だって、何?」
少しずつ近づいていた声はいつの間にか私の真後ろまで来ていた。
後ろから私を覗き込むように身を屈めていた三雲君の顔は、予想以上に近くてその距離に「うわぁ」と後ずさる。
その弾みで壁に体と頭をゴチンとぶつけてしまった。
「いたっ!」
強くはないがぶつけたら痛い。
頭を押さえていると、目の前の三雲君が少し焦ったように目を丸くしていた。
「うわ、大丈夫か?」
頭を押さえる私の手の上から三雲君の大きくてゴツゴツした手が包み込んでくる。その感触と温かさにドキッとした。
「驚かせて悪かったな」
心配気な低い声はもう頭上から聞こえている。そっと顔をあげれば、逞しい体が真正面にあった。
無駄な脂肪もなく、弛みのない引き締まった体は父とは全く違う。同じ歳の若い男性の体をしている。
いつもこの身体にハグされているのかと思ったら恥ずかしくて声が出なかった。
顔をあげると心配げに見下ろす三雲君の前髪からポトリと水が垂れる。濡れた髪は彼の色気を増幅させていた。
だ、駄目だ。心臓が持たない! ドキドキしすぎて上手く呼吸が出来なくなりそうだ。
「だ、大丈夫だから! お願い、服着て!」
もはや私の声は懇願に近い。
隠せないくらい顔が真っ赤になる。
「そんな反応されると着たくなくなるな」
三雲君は苦笑しながらも私から離れた。距離ができたことで少し安堵する。
そしてトレーナーを着ると私に手を広げた。
「はい、おいで」
「えっ……」
おいでって……。
穏やかな笑顔で両手を広げて待っている三雲君。
おいでってことは腕の中に入れってことよね……。ムリムリムリ! 自分から飛び込むことなんて出来ないよ。
「あ、あの三雲君。それはちょっと……」
「一日最低でも一回はハグしていいんだよね」
そう言われると何も反論できない。
「そういう条件だったはずだけど?」
「はい……」
ドキドキしながら近づき、三雲君の前に立つ。
人一人分くらいは間がある。
「もう一歩前」
「このくらい……? ひゃっ」
さらに少し近づいた瞬間、ギュッと抱きしめられた。
「三雲君!」
「今日の分、まだだったから」
今日の分って言ってもまだ昼だ。
三雲君からはお風呂上がりのいい香りがしている。それにさっきの上半身が頭に浮かび、さらに意識してしまった。
ドキドキと心臓の音が聞こえてしまいそう。
「ど、どうしてお風呂入っていたの?」
さっきの光景が浮かばないよう、話しかけて意識をそらした。
「あぁ、朝からジムに行っていたんだ」
「え、ジムに通っているの?」
「時々ね」
そういえば、家を出るとき三雲君の部屋から物音がしなかった。てっきり寝ているかと思ったけど、すでに出かけていたのか。
それで帰って来て汗を流していた……。だから風呂上りだったんだ。
ハッ、せっかく頭から打ち消そうとしたのにまた浮かんできちゃった。せっかく意識をそらそうとしたのに。
ひとり焦っていると三雲君は腕の力を緩めて解放してくれた。
ホッとしてこっそりと息を整える。
「白石こそ、どこ行っていたの」
「あ、私はお金を返しに……」
そう言うと察してくれたのか「あぁ」と頷いてくれた。
給料日が過ぎたし返済に言っていたのだと理解してくれた。
「その予定はもう終わった?」
「うん」
「じゃぁ、出かけない?」
「え?」
突然の誘いに目を丸くする。
出かけるって、どこに?
「ここ行かないか」
三雲君が見せてくれたのは、近くの水族館の無料チケットだった。
「どうしたの、これ」
「ジムの人がくれたんだ。何かの景品で当たったらしいんだけど興味がないらしい」
水族館なんていつぶりだろう。
私は無意識にキラキラした目で見ていたのだろう。三雲君が微笑んだ。
「行きたいって顔しているな。着替えてくれから待っていて」
「うん!」
三雲君が部屋へ行った後、私もハッとして自分の服を見る。
上にコートを着るからといっても、さすがにパーカーとジーンズで出かけるのはなんだか気が引ける。
スーパーに行くならまだしも、水族館にお出かけするんだからそれなりにちゃんとした格好をしなければ……。
私は慌てて部屋に入り、数少ない洋服の中から綺麗目のワンピースとタイツに着替えた。
……なんかこれって、デートみたい。
そう思ってハッとする。
いやいや、違う違う。デートは恋人同士がするものだもん。私たちは同期で、今日はたまたまチケットもらったからであって……。
条件付きで同居をしているただの同期だ。
だからこれはデートだなんて甘いものではない。
それなのに……。どうしてこんなに胸がドキドキして嬉しくてワクワクするんだろう……。
三雲君と出かけられることが嬉しくてたまらない。
戸惑いつつ、部屋から出ると三雲君も支度を終えていた。
「あれ、白石も着替えたの?」
「うん。さすがにあの格好では行けないかなって」
「ワンピース姿、初めて見た。いいね」
「ありがとう」
前にさくら先輩からサイズを間違えて買ったからと貰った服だった。いいねと言われて少し照れくさい。
貰っておいて良かったとホッとする。男の人と出かける様な服なんてないから困るところだった。さくら先輩に感謝だ。
二人で外に出ると三雲君は駐車場の方へ向かった。
「え? 三雲君、車持っていたの?」
「言わなかったっけ?」
駐車場に置かれた一台の黒い車に乗りこむ。車の中は綺麗で、微かに三雲君の爽やかないい香りがした。
助手席に乗っているだけなのにソワソワする。
「シートベルトした?」
「うん、大丈夫」
「よし、じゃぁ行くか」
運転する三雲君をそっと横目で見た。揺れが少ないし、運転上手だな。
男の人が運転する姿って、どうしてこんなにもドキドキしてしまうんだろう。
「ん? どうかした?」
私の視線に気が付いた三雲君がチラッと横目で見てくる。
「ううん。男の人の車に乗るのは初めてだからなんか落ち着かなくて……」
「初めて? そうか。じゃぁ白石の初めては俺がもらったんだな」
「え……」
艶っぽい言い方にカァァと赤くなる。言い方がなんだかいやらしく感じてしまった。
一人赤くなっていると三雲君が口角を上げて笑っている。
からかわれたとわかり、頬を膨らませると軽く三雲君の腕を叩いた。
そのまま走ること20分。
貰ったチケットの水族館に到着した。最近リニューアルされたようで綺麗になっている。
「うわぁ、水族館だ~」
嬉しくてつい声が弾む。
こうしてどこかに出かけたのなんていつぶりだろう。
「水族館なんて小学生の時以来だよ」
「そうなのか。喜んでもらえて良かった」
小学校の遠足でリニューアル前のこの水族館に来たことがあった。
ここにくるのはそれ以来だ。
「見て、クラゲがいる」
色んな種類のクラゲが展示されている。水槽の形も凝っており、ライトアップされてキラキラしていた。
「小さくてかわいい」
親指位の大きさのクラゲがふよふよしている水槽をジュと見つめた。
「クラゲが好きなのか?」
三雲君は私に並んで同じ水槽を覗き込む。
「うん! 好き」
微笑んで振り返ると、真横に居た三雲君と目が合った。
「そう。俺も好き」
「え……」
フワッと優しく微笑む。
好きという単語にドキンと胸が高鳴った。
「小さくて可愛いよな」
「そうだね……」
ドキンドキンとうるさく鳴って、そっと胸を抑える。
私に好きって言われた気がした。そんなわけないのに……。クラゲが好きって意味なのに……。
三雲君の何気ない好きという言葉に動揺する。
暗くて良かった。
今、顔が真っ赤だ。
館内をくまなく見て回る。
イルカショーには大声をあげてはしゃいでしまった。
三雲君も楽しそうにしており、嬉しくてさらにテンションが上がる。
「楽しかった~。あんなにジャンプできるなんて凄いよね」
「飛ぶ姿が綺麗だったな」
感動しながら話していると、お土産屋さんが見えた。
ペンギンやイルカのぬいぐるみ、クッキーにタオル……。どれも可愛くてほしいなと思うけど、ここはぐっと我慢して節約をする。
三雲君はまだ見ていたので、その間にトイレへ向かった。
戻ると三雲君がちょうどお土産屋さんから出てくるところだった。
「何か買ったの?」
「あぁ、これ」
袋から小さなクラゲが付いたストラップを取り出した。薄い青色でとても可愛らしい。
「可愛いね」
「それ、白石にあげるよ」
「え?」
そのままポンと掌に置かれる。
「家の鍵にでも付けといて」
「いいの?」
「あぁ、記念に」
そう言われて掌のクラゲのストラップに頬が緩む。
凄く嬉しい。
「ありがとう! 大切にするね」
私は早速家の鍵を取り出し、ストラップを付けた。
小さなクラゲが光ってとても綺麗だった。