クールな同期と甘いキス
なぜだろう。
私の頭のなかにはハテナマークが浮かんでいた。
三雲君から荷物を玄関で受け取って、部屋を出るつもりでいた。それなのに、今の私はリビングで昨日と同じように出されたコーヒーを啜っている。
なんで?
仕事が終わって三雲君のマンションへ着くと、ちょうど彼も帰ったようでマンションの下でバッタリと会った。
そして、促されるがまま部屋の中へ通されてしまったのだ。
現在、三雲君も私の前でコーヒーを飲んでいる。
何も話さないけど……、どういう状況? これ。
困惑しつつ、尋ねた。
「あの、三雲君? 私、荷物を取りに来ただけなんだけど……」
「そのことなんだけど」
私の話を遮るように言葉を被せてきた。
三雲君が真剣な表情で私を見つめてくるため、何かしてしまったのかと不安に思いながら膝の上で手を握る。
「これからどうするか決まったのか?」
「あ、えっと……、まぁ大体は」
「どうせ漫画喫茶とかで過ごすつもりだとか言うんだろ?」
お見通しだと言わんばかりの口調にギクッと肩を震わせる。
「いや、そのぉ……」
まさにその通りの考えだったので思わず口ごもる。
だって残りの貯金でスマホ代や生活費を払わなければならない。給料日が来たとしても、お金がないことに変わりはないのだから節約しなきゃいけなかった。
それを見て、三雲君は小さく頷いた。
「なぁ、白石。俺に提案があるんだけどさ」
「提案?」
「そう。考え方によってはとても魅力的な提案だ」
「それは、どんな?」
もしかして三雲君、何か案を考えてくれていたのだろうか?
営業のエースになるくらいだから、もしかしたら私には考え付かなかったことが浮かんだのだろうか。
私はワクワクと期待を込めて見つめていると、とんでもない提案をされた。
「ここに住まないか?」
「え?」
一瞬、三雲君の言葉を理解できなかった。
住むって言った?
どこに? あぁ、ここ? え、ここって……。
「三雲君の家に?」
「あぁ」
「三雲君はどこに住むの?」
「ここだけど?」
ん? 私が三雲君の家に住む? 三雲君もここに住む?
それってつまり……。
「……一緒に住むってこと?」
「そうだ」
ハッキリと返事を返され、目を丸くして慌てる。
「ま、ま、待って! それってまずくない!?」
考えもしなかった提案に大きく動揺する。
ありえない! 私と三雲君が一緒にひとつ屋根の下に住むなんて!
しかし慌てふためく私を尻目に、当の三雲君は涼しい顔だ。
「何がまずいんだ?」
「だ、だって……」
と言い返そうとすると、手をかざして止められる。
「なぁ、白石。よく考えてみろよ? 給料日まで漫画喫茶で過ごすつもりだろうけど、まだ一週間も先だ。それまで利用料と食事代もかかるし、洗濯なんかはどうするんだ? コインランドリー使ったとしてもまたそこで金がかかるんだぞ。他にも生活費はかかるし、格安とはいえスマホ代もかかる」
そう言われて言葉に詰まる。
まさにその通りだけど……。
「それに給料が入ったところですぐに部屋を借りられるのか? 借りられたとして、家賃に食費、光熱費もろもろかかる。借金返しながら払えるのか?」
現実を指摘され、もうぐうの音も出ない。正論すぎて反論すら出来ないのだ。
私だって先のことを考えてしばらくは塩を舐めるような生活になるのかなとも考えていた。
でも、だからと言ってどうすればよいのか。
困りながら俯いていると、トドメの一言を言われた。
「ちなみに、ここに住めば家賃も光熱費もタダだ。もちろん、あるものは自由に使っていい。洗濯機、風呂、トイレはもちろん、冷蔵庫の中身や米、調味料も。だから、白石が負担するとすれば、自分の食費と日用品くらいだな」
「そ、それは……」
なんとも魅力的過ぎる提案だ。今すぐにでも飛び付きたいくらい。思わずゴクリと唾を飲む。
でも、本当にいいのだろうか?
ただの同僚とはいえ、特別親しかったわけでもない間柄だ。ましてや生活面においては三雲君の出費が増える。
「ねぇ、どうしてそこまでしてくれるの? 三雲君には何もメリットなんてないじゃない?」
こんな地味女と同居なんて、周りにばれて噂にでもなったらデメリットでしかない。
迷惑をかけてしまうのではないだろうか?
「メリットがあるかどうかは、白石の返答しだいなんだけど……」
「どういうこと?」
机に頬杖をつきながら、チラリと私を横目で見てくる。その目線がなんとも色っぽくてドキッとしてしまう。
「つまり、条件があるということ?」
ドキマギしながら聞き返すと小さく頷かれる。
そうだよね。これだけの美味しい提案に条件がないなんて思えない。ただなんて無理な話だ。
でも条件って一体……? こんな私に出来ることといえば……。まさか……。
思い付いた条件に赤面しつつも、小さな声で聞いた。
「か、体とか……?」
「違う」
呆れたように冷たく返されて、ホッとしつつも女としてはどうなのだろうという思いがチラリとかすめた。
まぁ、でも住まわせる代わりに体を差し出せとかじゃなくて良かった。
さすがに相手が三雲君でも、彼氏でもない人とそういうことはできない。
じゃぁ条件って?
「あのさ、安心しているところ悪いんだけど、人によってはそこまで変わりない条件かもしれないから」
「え?」
「条件は、最低でも1日1回は俺とハグしてほしい」
……。
ハグ? ハグってあの、ギュッて抱きしめるやつ? 私と三雲君がするの?
「え? どういうこと?」
ポカンとした顔で理由を尋ねる。意味がわからない。突然の条件に頭が追い付かないでいた。
「だから、そのままの意味。1日最低でも1回はハグさせてほしい。それがここに住まわせる条件」
「ハグ……」
私と三雲君が!?
じわじわと意味が理解できてくると一気に顔が熱くなった。
「ど、どうして私と三雲君がハグしないといけないの!?」
「ハグはストレスを緩和させる効果があるんだ」
真顔でキッパリとそう言われる。
「ストレス軽減ってこと?」
「あぁ。人とハグするとストレスが三分の一減るらしい。そういう研究結果も出ていると聞いたことがある。だから一日一回でもいいからハグして癒されたいと思っている」
固まったまま三雲君を見つめるが、当の本人は恥ずかしがることもなく平然と言い放った。
「彼女とかいたらいいんだけど、生憎と今はそんな奴はいない。かといって言い寄ってくる女達にそんなことしたら誤解させちまう。その点、白石ならわかってくれそうな気がするんだ」
言い分は理解できるけれど、私だってわからないよ。
そもそも異性と抱き合うなんてしたことがない。
「……あぁ、そうか。俺にされるのは気持ち悪いとかそういうことか」
私の戸惑いに三雲君は納得したように自己完結している。
「え?」
「違うの?」
いや……、三雲君に触られることが気持ち悪いとかは浮かばなかったな……。
どうしてだろう。三雲君とハグするところを想像しても不快感はない。むしろ恥ずかしくてソワソワするだけだ。
「それは別に平気だと思うけど……」
ボソッと呟くと三雲君は勝ち取ったようにニヤリと笑う。
あ、しまった!
「じゃぁ、決まりな。これからよろしく、白石」
嬉しそうにされ、手を差し出される。その手をじっと見つめた。
よく考えて、柚月……。ハグなんて今時みんな誰とでもするよ?
スポーツで勝ったりしたら、隣にいる知らない人と抱き合うのと一緒だ。
ある意味、外人と暮らしていると思えばなんてことないんじゃない? そうよ! 外国の人のスキンシップだと思えばなんてことない。変に意識するから恥ずかしいんだ。
なにより!
背に腹は変えられないのよ、柚月!
生活のため!
自分をそう納得させ、その手を握り返す。
するとそのまま手を引かれ、ギュッと抱きしめられた。ドキンと胸が大きく高鳴る。
「ひゃっ……」
「あ~、癒される」
どうしたらいいかわからず、強張ったままただ身をゆだねた。
まるでお風呂に浸かった時のような声を出す三雲君。肩越しにハァァと大きく息を吐かれてリラックスしているようだった。
背の高い三雲君に抱きしめられると、小さい私はすっぽり収まる。
三雲君からは石鹸のような良い匂いがしてその近さを感じてさらに緊張した。だけどやっぱり緊張はするけど不快感はない。
むしろハグって心地よい……かも? でもなにより……。
私を抱きしめるとこで、忙しい三雲君のストレスが減るならそれでもいいやとも思う。
営業のエースというのも大変だよね……。仕事量も多いし、期待やプレッシャーもあるだろう。
私にはわからない辛さもたくさんあるよね。私なんかで役に立てるなら……。
慰めるように三雲君の背中を軽くポンポンと叩いて撫でた。