クールな同期と甘いキス

「柚ちゃん、お弁当完全復活したね」

さくら先輩がホッとしたように私のお弁当を覗き混んだ。お握りだけやおかずの少ないお弁当が続いていたが、今日は今までのようにおかずもご飯もちゃんと作れていた。
さくら先輩には心配かけていたようだとわかり、なんだか申し訳なかった。

「ご心配お掛けしました。大丈夫ですよ」
「もう、柚ちゃんはなんでも一人で頑張っちゃうから……。困ったことがあったら何でも話して良いんだからね?」

さくら先輩の言葉に笑顔で頷く。
相談したいけど、さすがに出来ないから気持ちだけ受け取ろう。相談したら三雲君との秘密がばれてしまう。

三雲君と暮らしはじめて数日がたとうとしているが、彼との生活はけっこう心臓に悪い。彼にいつ、どこで、ハグされるかがわからないからだ。時には朝、キッチンで。時には夜、夕飯後に……。

本当に軽くハグされるだけなんだけど……。もう三雲君がただ側に来るだけでドキドキしてしまう。
今かな、今かなと緊張してしまう。
どうしたものかと自然と深いため息が落ちてしまうのだ。
余韻は仕事中も引きずってしまい……。

「終わった~……」

時刻は20時。
周りには誰もおらず、フロアは私の上にだけに電気がついている。
最近仕事に身が入っていなかったせいか、伝票の数字の打ち間違いをしていたようでやり直していたらこんな時間になっていた。
完成間際だったのに間違いは初めの方にあり、飛び飛びに何枚も打ち間違えていて……。手間だけど一つ一つ確認していたらあっという間に時間がたっていた。
なにやっているの、私。こんな簡単なミスするなんて。

思わず頭を抱えて髪をグシャグシャとかきみだす。

「もう、私のバカバカ!」

ため息をつきながらスマホを確認する。メッセージは何も入っていない。
三雲君はもう帰っただろうか?
基本的に月末でなければ私は定時であがれるから、営業の三雲君に比べると早く家に着く。
しかし今日は家に着いたとしても21時を回る。
帰ってから夕飯を作るのは苦ではないが、遅くなる旨は伝えておいた方が良いだろうとスマホを開いた。

『ごめんなさい。残業だったのでこれから帰ります』

とメッセージを入れると、すぐに返事が帰ってきた。

『後ろ』

その一文だけ返信された。

「後ろ?」

何だろうと振り返り、私は声にならない叫び声を上げていた。

「~~~っ……!! み! 三雲君!」

いつの間にか、私の真後ろの人の席に寄りかかるようにして三雲君が立っていたのである。
本当に驚いた時は意外と声が出なくなるものなんだなと思う。
それくらい驚いた。立っていたら腰を抜かしていただろう。

「び、びっくりした! 何で!? いつからいたの!?」
「今さっき。白石が頭を抱えている時からかな」

そんな時から……。
それなら声をかけてくれても良かったのに、わざと黙っていたな。

「一言声かけてよ……」

まだ驚きでドキドキする胸を押さえながら、恨みがましく睨んでみせるがいつものようにクールな表情で返される。

「というか、なんで三雲君が総務にいるの?」
「出張費の書類を出しに来たら白石がひとりでいたんだよ」
「書類関係は勤務時間内にお願いします」

ムッと唇を尖らせながら書類を受けとる。
いるんだよね、時間外なのに残業している人がいるからって書類出しに来る人。あまりいい気分はしない。

「悪いな。白石はもう上がりか?」
「うん。ちょうど終わったところ」
「じゃぁ、もう暗いし一緒に帰ろう」

一緒に?
なんだか照れくさくなる言葉だ。
私の戸惑いを感じたのだろう、三雲君が少し気まずそうに言葉を付け足した。

「暗いし、ひとりで帰るのは危ないだろう」

心配してくれているのか。いい人だな。フフッと笑みがこぼれる。

「あ、ついでに飯でも食って帰るか」

三雲君の提案に「えっ!」と目を剥く。
外食なんて言葉、私のなかには存在しない。

「心配するな、奢る」
「ご馳走さまです!」

即答でお礼を伝えると三雲君が吹き出して笑った。

「白石って面白いな」

総務課を出ながら三雲君は目を細めて笑う。
笑うと少し幼くなる、その笑顔に胸が妙にソワソワした。

「三雲君こそ、そんな風に笑っているところ初めてみた。もっと笑えばいいのに」
「別に笑わないわけじゃないよ」

会社ではそんなに笑う所を見たことがなかったから笑顔が珍しく感じる。
でも、三雲君が常に笑顔を振り撒くとさらにモテて大変だろう。

エレベーターを待ちながらそんなことを考えていると、「こっち」と急に三雲君が腕を引っ張って、近くのミーティングルームへ押し込んだ。
机と椅子とサルプルらしき段ボールを置いたその部屋はとても狭く、いやでも三雲君と密着してしまう。
えぇ!? まさかここでハグ!?

「み、三雲く……?」
「しっ! 静かに」

暗い部屋の中、鋭い声に遮られ言葉を飲み込む。
どうしたの? 急に……。
扉と三雲君に挟まれ、緊張と恥ずかしさで心臓が煩い。すると部屋の外からヒールの音と女性の声が聞こえた。

「あっれー? おかしいなぁ。見間違いかなぁ?」
「もう、ユリアったら。三雲さん、どこにも居ないじゃない」

声からして、外の廊下には女性が二人いる。
ユリアって……確か……。
ソロッと顔をあげると頭上の三雲君が私を見下ろしていて、唇に指を当てて声を出すなと言っている。
そしてなぜかさらに密着してきて、そのまま三雲君にギュッと強くハグされてしまった。

「え……」

それはハグなんて優しい言い方は出来ないくらい。
こんなにしっかり抱きしめられるのは初めてで、どうしていいか戸惑ってしまい、身体が固まる。
まるで恋人を抱きしめているみたいだ……。そう思いかけてハッとする。
いやいや、違う。
きっとここに居ることがばれたくないから、気づかれないように強く抱きしめて隠れているだけだ。

その時、フワッといい香りがした。
三雲君の香りだ……。
さらに心臓が跳ねあがり、顔が熱くなる。どうしたらいいかわからず、ただひたすら三雲君の肩を見つめるしかできなかった。

「三雲さんの姿を見た気がしたのよ!」
「もう諦めなよー。振られたんでしょう?」
「嫌よ! この私に似合うのは、ああいう完璧にカッコイイ人じゃないと!」
「でもさー」

二人の会話は少しずつ遠ざかっていき、気配は完全になくなった。
耳を澄ませるが、外には誰もいないようだ。二人が戻ってくる気配もない。
それなのに三雲君は離れてくれなかった。

「あ、あの、三雲君っ!」
「ん?」

震える声で呼ぶが、返事は耳元で聞こえた。背中がゾクッとして肩がピクンと跳ねる。
すると、そのまま柔らかいしっとりしたものが頬に触れた気がした。

「え……」

頬にキスされた……?

そう思って身体を離そうとしたけれど、抱きしめられていて身動きが取れない。
いや、まさかね……。
三雲君の顔が横にあるから、きっと身動きした時に唇が触れた気がしただけだ。
いや、そんな気がしただけで恥ずかしくてたまらないんだけれど……。
困惑していると三雲君がゆっくりと身体を離した。

「悪い。見つかりたくないからって強くハグし過ぎたな。大丈夫か」
「あ、う、うん。大丈夫……」

ドキドキしながら、俯きつつササッと身を正す。
あんなの、ハグだなんて可愛く言えない……。
男の人に強く抱きしめられたなんて初めてだから、どう反応していいかわからなかった。

「さて、もういいかな」

ひとりで戸惑っていると、三雲君は扉の外を伺ってから開ける。誰もいなくなりホッとしていた。
そういえばさっきの……。

「あの……、さっきの人って秘書課の?」
「あぁ、本城だな」

話題を変えようと話を振ると、ため息交じりに返事があった。
あの人は前にさくら先輩が言っていた秘書課の本城ユリアさん。確か三雲君に振られたって言っていたような……。

「探していたみたいだけど?」
「しつこいんだよ、あいつ。俺、ああいうタイプ苦手なんだ」

うんざりしたように顔をしかめる。

「綺麗な人なのに?」
「そう。綺麗な自分に見合うアクセサリー的な男が好きなんだよ」

なるほど……。心から三雲君が好きなのではなく、綺麗な自分に釣り合う男として三雲君を選んだってことか。

「それは嫌だね」

モテたことのない私だけど腹のたつ気持ちはわかる。
本心の恋心ではなく、自分に見合う男として選ばれたのならいい気分はしない。
そんなことされたら何様なのだろうと思う。
なるほど、と納得していると三雲君は口角を僅かにあげて私の頭をソッと撫でた。

「さぁ、帰ろうか」

その一言がなんだかくすぐったい。
またドキッとして顔を隠すように頷いた。

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