― 伝わりますか ―
「拾い上げていただいたこの命、しかしさすがに命運も尽きた。いや……長く生き過ぎたのだ。これ以上わしに悪行をさせませぬな」

 そして一つ呼吸を整えて、伊織の正面に顔前を合わせた。

「我が名は、八雲 悠仁采。あの悪名高き報妙宗率いる、八雲 悠仁采だ」

「八……雲……」

 伊織ははっとして一度伏せた眼を、再び悠仁采の瞳と合わせた。信長に敵対する八雲を、さすがに知らぬとは通せない。

「これから話すことを御大将(おんたいしょう)に伝えるのだ……『八雲 悠仁采は、其の小屋に潜伏していた。秋殿は花摘みに山へ入り、悠仁采と遭遇した。祝言(しゅうげん)の決定を伝えるべく、秋殿を探していた信近諸共悠仁采に殺され、信近についていた家臣も同様に……それをそなたが倒した』と、我が首を献上致すのだ」

「そのようなこと……私にはっ」

 もはや伊織は耐えかねて、目を逸らさずにはおられなかった。(かぶり)を振り、幼子のように全てを拒絶する。

「これが唯一わしの出来る恩返しだ……わしの首を差し出す際、秋殿のこの櫛も見せるが良い。既に死人の血で汚した。山の外れの断崖に落ちておったと──すれば遺骸が見つからぬことも納得されるであろう」

「じじ殿っ、じじ殿っ!」

 止め()なく溢れる涙が、悠仁采の輪郭を震わせるが、伊織には彼の微笑んでいるのが感じられた。どうしてそこまで──しかし決心は変わらない。


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