ふたりの時間を戻して ―幼なじみの恋―
街はイルミネーションで輝いていた。だが紗希はそれどころではなかった。
あの日から閉店して店を出ると、マスク男の姿を見るようになった。とはいえ必ずつけられているような感じもしない。そうなると追いかけられたというのは、自分の勝手な妄想かもしれないとも思う。
紗希はこの現状をどう解釈すべきか思案していた。
誰かに相談しようかとも思うが、確信もなく人に言うのも憚られる。
圭司に詳しく話せば、元夫と再会して話をしたことまで言ってしまいそうで嫌だった。
紗希の勤務はいかに夜詰めるようにしているとはいえ、ローテーションなので出勤すれば必ずマスク男に会うというものでもなかったが、それでもかなりの頻度で五時半頃に顔を合わせた。
話しかけるわけでもなく、ただじっと紗希を見ているような気がする。
紗希は自意識過剰なのだろうかと思いつつも、いつも同じような格好のこの男が気持ち悪くて仕方がなかった。
(あっ)
この日は違った。
何度曲がってもマスク男は一定の距離を保ってついてきた。
次第に紗希の歩調が速まり、動悸も激しくなってくる。
(どうしよう……このまま真っ直ぐ帰って家がバレるのはイヤだ)
歩いても歩いても、マスク男の姿が見える。緊張がピークに達しかけた時、ようやく姿が消えた。
(いなくなった? やっぱり、気のせい? でも)
最後に見た場所を茫然と見つめる紗希の顔色は青い。緊張で唇がカサカサに渇き、喉も痛かった。
(なんか、喉、渇いた。それに気持ち悪い。どっか……カフェでも)
「紗希ちゃん?」
「え?」
「やっぱり紗希ちゃんだ。また会ったね」
顔をあげると山下がいた。
「……信吾さん」
反射的にずっと呼び続けていた名前を口にしてしまった。同時にもう大丈夫だという安堵の気持ちが起こり、体中から力が抜けた。
「どうしたんだ? 顔色が悪いよ」
「……なんでも」
そこまで言いかけ、口を噤む。涙がこみあげてきて、思わず山下にしがみついた。
「わっ、ここじゃマズい。紗希ちゃん、こっちに」
往来で抱きついてしまった紗希は慌てて体を離した。
「ごめんなさいっ」
「いいよ、気にしないで。それより冷たいものでも飲んで落ち着いたほうがいい」
背中に手を回してそっと紗希を促す。紗希は頷くと山下について歩きだした。
近くの喫茶店に入って水を飲むとますます気持ちが落ち着いた。
「なにかあったの?」
「……いえ、その」
「紗希ちゃんはいつも一人で抱え込む子だったね。思いだしたよ」
「信吾さん」
「だから放っておけなくて、いつも見ていた。大事な人だったのに、結婚して僕のものにまでなったのに、どうして手放してしまったんだろうって、すごく悔やむよ」
優しい笑顔を向ける山下に紗希は罪悪感を覚えた。
早産してから離婚するまで、さんざん傷ついた。励まされることなく一人ぼっちで泣きながら過ごし、落ち着けば浮気を感じ始めた。証拠を掴むために奮闘し、以後は離婚調停で時間を取られた。
憎いはずなのに、罪悪感を覚える自分がわからない。
紗希は困惑しながら、なぜこの笑顔をあのつらい時に向けてくれなかったのだろうと思う。
「本当にすまなかったと思ってる」
「いいの。もういいの」
「紗希ちゃん、うまくいかなかったとはいえ、僕らは愛しあった仲だ。僕にこんなことを言う資格がないのはわかっている。だけど、青い顔をして立ち尽くしてしまうほど、怖いことがあったんだろ? 力になりたいんだ。なにがあったのか話してくれないか?」
言葉が喉に詰まる。恐怖がまた蘇ってきた。
「紗希ちゃん」
「あ、あの……その」
紗希はマスク男の顔を思いだし、ブルリと震えた。そして必死になってあの男の話をした。一方、山下は聞くほどに顔を曇らせた。
「異常者に気に入られたのかもしれない。遅くなる時は僕に連絡してくれ。迎えに行くよ」
「え? いいえ、それは」
「僕は小さな会社の営業マンだから時間に融通が利くんだ。あ、前の会社は辞めたんだよ」
「辞めた……そう、なんだ」
「気持ちを切り替えようと転職した。まぁ、そのことはいい。とにかく一人は危ないから」
紗希は慌てて首を左右に振った。
あの日から閉店して店を出ると、マスク男の姿を見るようになった。とはいえ必ずつけられているような感じもしない。そうなると追いかけられたというのは、自分の勝手な妄想かもしれないとも思う。
紗希はこの現状をどう解釈すべきか思案していた。
誰かに相談しようかとも思うが、確信もなく人に言うのも憚られる。
圭司に詳しく話せば、元夫と再会して話をしたことまで言ってしまいそうで嫌だった。
紗希の勤務はいかに夜詰めるようにしているとはいえ、ローテーションなので出勤すれば必ずマスク男に会うというものでもなかったが、それでもかなりの頻度で五時半頃に顔を合わせた。
話しかけるわけでもなく、ただじっと紗希を見ているような気がする。
紗希は自意識過剰なのだろうかと思いつつも、いつも同じような格好のこの男が気持ち悪くて仕方がなかった。
(あっ)
この日は違った。
何度曲がってもマスク男は一定の距離を保ってついてきた。
次第に紗希の歩調が速まり、動悸も激しくなってくる。
(どうしよう……このまま真っ直ぐ帰って家がバレるのはイヤだ)
歩いても歩いても、マスク男の姿が見える。緊張がピークに達しかけた時、ようやく姿が消えた。
(いなくなった? やっぱり、気のせい? でも)
最後に見た場所を茫然と見つめる紗希の顔色は青い。緊張で唇がカサカサに渇き、喉も痛かった。
(なんか、喉、渇いた。それに気持ち悪い。どっか……カフェでも)
「紗希ちゃん?」
「え?」
「やっぱり紗希ちゃんだ。また会ったね」
顔をあげると山下がいた。
「……信吾さん」
反射的にずっと呼び続けていた名前を口にしてしまった。同時にもう大丈夫だという安堵の気持ちが起こり、体中から力が抜けた。
「どうしたんだ? 顔色が悪いよ」
「……なんでも」
そこまで言いかけ、口を噤む。涙がこみあげてきて、思わず山下にしがみついた。
「わっ、ここじゃマズい。紗希ちゃん、こっちに」
往来で抱きついてしまった紗希は慌てて体を離した。
「ごめんなさいっ」
「いいよ、気にしないで。それより冷たいものでも飲んで落ち着いたほうがいい」
背中に手を回してそっと紗希を促す。紗希は頷くと山下について歩きだした。
近くの喫茶店に入って水を飲むとますます気持ちが落ち着いた。
「なにかあったの?」
「……いえ、その」
「紗希ちゃんはいつも一人で抱え込む子だったね。思いだしたよ」
「信吾さん」
「だから放っておけなくて、いつも見ていた。大事な人だったのに、結婚して僕のものにまでなったのに、どうして手放してしまったんだろうって、すごく悔やむよ」
優しい笑顔を向ける山下に紗希は罪悪感を覚えた。
早産してから離婚するまで、さんざん傷ついた。励まされることなく一人ぼっちで泣きながら過ごし、落ち着けば浮気を感じ始めた。証拠を掴むために奮闘し、以後は離婚調停で時間を取られた。
憎いはずなのに、罪悪感を覚える自分がわからない。
紗希は困惑しながら、なぜこの笑顔をあのつらい時に向けてくれなかったのだろうと思う。
「本当にすまなかったと思ってる」
「いいの。もういいの」
「紗希ちゃん、うまくいかなかったとはいえ、僕らは愛しあった仲だ。僕にこんなことを言う資格がないのはわかっている。だけど、青い顔をして立ち尽くしてしまうほど、怖いことがあったんだろ? 力になりたいんだ。なにがあったのか話してくれないか?」
言葉が喉に詰まる。恐怖がまた蘇ってきた。
「紗希ちゃん」
「あ、あの……その」
紗希はマスク男の顔を思いだし、ブルリと震えた。そして必死になってあの男の話をした。一方、山下は聞くほどに顔を曇らせた。
「異常者に気に入られたのかもしれない。遅くなる時は僕に連絡してくれ。迎えに行くよ」
「え? いいえ、それは」
「僕は小さな会社の営業マンだから時間に融通が利くんだ。あ、前の会社は辞めたんだよ」
「辞めた……そう、なんだ」
「気持ちを切り替えようと転職した。まぁ、そのことはいい。とにかく一人は危ないから」
紗希は慌てて首を左右に振った。