僕の好きな人は死にました。

プロローグ

 傘に打ちつける雨音が耳を塞ぎ、彼女の声は僕の脳に届いていなかった。後ろから来る自転車にも気づかず、水飛沫がかかっても、何も思えなかった。僕は僕を失っていた———。



 中学3年の夏。受験対策を始めるのはもう遅いと思いながらも両親に入れられた塾で、彼女と出会った。今思うに、一目惚れだったのだろう。初めてと言うこともあり、クラスメンバーが順番に自己紹介をしてくれたけど、早く彼女の名前が知りたくて、その前の人の好きな食べ物がジンギスカンとか、特技が縄跳びとかいう話は耳に入っても通り抜ける程だった。

彼女の名前は「#如月__きさらぎ__##優寿__ゆず__#」
髪がサラサラで、いつも笑っている彼女は本当に幸せそうに見えた。
塾での席が隣だったので、僕たちはすぐに仲良くなり、それから2人で帰るほどの距離間になった。今思えば、もうそれだけで良かった。

他愛もない会話が彼女と僕の間を行き来して、2人で笑った。学校の小テストで0点取っちゃった!とか、身体測定で背伸びした!とか、帰り道はあっという間だった。
そしていつも最後に優寿は「また明日」と言ってくれた。それに僕は「またその話の続き聞かせて!」と、2人で帰る理由を作るのが毎日だった。

たまに、別のコースで授業を受けている#葵__あおい__#さんと3人で帰ることがあった。葵さんと優寿は同じ中学校らしく、最初は2人の時間を邪魔されていると感じていたけれど、フレンドリーな葵さんのおかげで話が詰まることがなく、むしろ感謝するようになっていった。



そんな日々が続くと勝手に思っていた———。



 11月の雨の日、今日も優寿に会えると楽しみに、塾までの時間にテレビを見て待っていた。

[全国各地で発生している線状降水帯の影響で1日でおよそ1ヶ月の平均程度の雨量を観測するなど記録的豪雨が続いています。警察や消防によりますと、大雨の影響で自転車に乗っていた30代の男性が転倒し、病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。]

何も感じなかった、不運だなと思う程度で。
知らない人だからだろう。悲しくも苦しくもない。
あたりまえのように。



〔キーンコーンカーンコーン〕
学校より少し短めのチャイムが鳴り、授業が始まった。隣の席に彼女の姿は無く、残念ではあったけれど不安ではなかった。大雨だから休んだのか、体調不良か、その程度だと思ってた。その程度であって欲しかった。

「えー、如月さんについてですが、ご家庭の事情で急遽、退塾することとなりました。」

担当講師がそう言った。確かにそう言った。

ただひたすらに落ちる雨に耳が奪われてゆく、目がその音に泳ぐ。
ただ、言葉に表せない感情が僕の心を埋め尽くした。
大切なものを失ったというより、間違えて捨ててしまったような後悔が残る気持ちと、理解しようとしない僕の頭が混じり、痛みさえ感じた。


いつもの帰り道。葵さんが何か僕に話しかけているようだったけれど、傘に打ちつける雨音が 僕の耳を塞ぎ、彼女の声は僕の脳に届いていなかった。後ろから来る自転車にも気づかず、水飛沫がかかっても、何も思えなかった。

僕は僕を失っていた———。
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