カフェラテdeプリンのカサブランカ日記
 ぼんやりしていると思い出すことが有ります。 というか、ぼくは忘れることが出来なくて困ってます。
何でもかんでも覚えてしまって忘れないんですよ。 悪い思い出もたっくさん有ります。
 学生時代は派手に地味に虐められ続けましたから。

 小学生のころが一番悲惨でしたね。 別の小説に書いていくのでここでは書きませんが。
今でも正直に言えば恨んでますよ。 会えば何をするか分からない。
だから母校とも縁を切ったんです。 同窓会殺人なんてやりたくないから。
 その後もね、上靴に画鋲を仕込まれたり嘘の時間割を教えられて恥をかかされたりしましたよ。
 高校を卒業したら盲学校ではマッサージや鍼灸の勉強をします。
2年の三学期になるといよいよ臨床実習に入るわけですが、、、。
ここでも地味に虐めは有りましたね。
 土曜日になると使ったタオルとか手ぬぐいをまとめて洗濯するんですが、それがなぜかいつもぼくなんです。
洗濯機を回すだけ回してみんな先に帰ってしまうんですねえ。 一度として代わったことは無い。
(そんなもんかなあ。)くらいに思ってましたけど、やっぱり虐めですよ。 表立って何をするでもないんですけどね。

 その当時、クラスは15人居ました。 福岡盲学校では多いほうです。
でもメンバーを見ていて「一生関わることは無いな。」って思いました。
決定的な確信に変わったのは検定試験の時。 1990年でしたからまだ知事免許だったんです。
福岡での試験が終わった後、みんなは大分へ滑り止めの受験に行きました。 ところが、、、。
その主な目的は飲み会だった。
 それまでも週末になると仲良しだけ集まって飲んでるのは知ってました。 ぼくは田舎者なんで軽蔑されてたんですよ。
後は福岡市と久留米市に住んでる人たちです。 今から思えばどうでもいいことですけどね。
それで(都会人だと思い上がっている人たちとは親しくならないな。)ってことは最初から分かってました。
 その時は陰すら無くてもこの人生で勝ってやるんだ。 ぼくはそう決意しましたよ。
そしてそれから30年、突っ走りに突っ走ってきました。
青森から沖縄まで行ける所には行きました。 飛行機の乗り換えで立ち寄っただけって所も有りますけど。
福岡を出て岩手県にも住みました。 そして今は北海道です。
波乱万丈すぎますけど、いろんな体験もしました。
いろんな人たちにも会いました。 もちろん幽霊さんにもね。(笑)
いろんな人たちと心を繋いでも来ました。 その中に今でも忘れられない人が居ます。
 学生時代、しかもぼくが施設に居た頃に出会った女の子です。
その子の名前は由美ちゃん。 精神障害を持った女の子でした。
『ハートフルベーカリー』に出てくるあの女の子です。
 中学三年の時、彼女たちも一年だけ盲学校に通って義務教育終了を認定しようってことになりまして、、、。
そんでぼくらと同じマイクロバスに乗って通学してたわけです。
『ハートフルベーカリー』にも書いたように奇声を上げたり手を叩いたりしました。 そのたびに職員には注意され、先輩の男子には叩かれて黙らされてました。
ぼくはそれをずっと見てまして、(なんか違うんだよなあ。)ってずっと思ってました。
それで、隣に座れた時に思い切って手を握ってみたんです。 手の甲を撫でながらね。
んで背中もさすったり頭を撫でたりもしました。 そしたらおとなしくなっちゃったんですよ。
(これだったんだね。) そう思うと泣きたくなりました。 今まで怒られたり叩かれたりして怖かっただろうなって。
 由美ちゃんは恋をしてました。 初めて優しくされたんだもん。
そりゃあ、どんな人間だって好きになりますよ。 でも施設ではそれが許されなかった。
 ある時、廊下を歩いていた由美ちゃんがぼくにくっ付こうとしたんです。 離れたくなかったんですね。
でもね、それを見付けた年輩の職員が由美ちゃんを死ぬほどに叩いて喚き散らして部屋に連れていきました。
精神障碍者だから恋するなどもってのほかだって言うんです。 信じられなかった。
その事件が有ってからぼくはその施設を去りました。 同時に由美ちゃんにも会えなくなりました。
今はどうしているんでしょうねえ? 彼女も生きていたら54歳です。
覚えているかなあ? 生涯忘れられない恋人になりました。
精神障害が有っても心はちゃんと通じることを教えてくれた女の子です。
 奇声を上げたりわめいたりするけれど、暴れたり物を壊したりすることは無い子でした。
精神障害だけが妨げになって関わることは許されなかったけれど、叶うなら隣に居させてあげたい。
今でもそう思う。 可愛い子でしたからね。

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