カフェラテdeプリンのカサブランカ日記
 その頃の担任の先生はと言うと、大阪弁丸出しの熱い先生でした。 ぼくは3年間、褒められたことは有りません。
いつもいつも叱られてばかりでした。 出来も悪かったしね。
 でもその先生が卒業前になってやっと一度だけ褒めてくれました。 大阪へ旅立つ前です。
「大阪に行ったらやりたいことを思う存分にやってきなさい。」って。 「これまでお前はやらなあかんことを全部やってきた。 俺は知ってるぞ。」
 その上で先生は遺言のように言ってくれたんです。
「他の連中はみんなそれなりにやるさ。 そいつらはどうでもいい。
でもな、お前は違うんだ。 お前は本物になりなさい。
本物の経絡治療家になりなさい。 俺には分かってるぞ。」
言われた時は21歳です。 本当の世界をまだまだ知りません。
自分が何処までやれるかも知りません。 だから(そんなもんかなあ。)くらいに聞いてました。
 それが事実だって、先生の遺言だったって知ったのは31歳になってからでした。

 老人保健施設で働いていたぼくは事務長に無理を言って鍼治療をさせてもらっていました。 そこへ一人のおじいちゃんが紹介されてきたんです。
 「私は医者からパーキンソン病で治らないって言われてます。 マッサージだけやってください。」
そう言われたのですが、皮膚に触れてみて、脈を診てみて(これならやれる。)って確信したんですね。
 それで鍼治療を始めました。 おじいちゃんはいつも不機嫌です。
そうですよねえ。 医者からは治らないって言われて、マッサージだけやってもらおうと思っていたら鍼治療をされたんだから。
 おじいちゃんは本気で怒りました。 「私は治らないんだ。 余計なことをしないでくれ!」
ぼくも反論したんです。
「脈を診させてもらって皮膚にも触れさせてもらったうえで治せるって確信しました。 だから騙されたと思ってやらせてください。」
 最初の三か月は効果らしい効果も見られずに過ぎました。
 四か月目に入った頃です。 おじいちゃんが嬉しそうに話してくれました。
「自分で寝返りを打てるようになったよ。」って。
 パーキンソン病と言えばだんだんと体が動かなくなっていく難病です。 最初は確かに自分の意思では動けませんでした。
立つのも座るのも寝るのも誰かにやってもらわないといけません。 いつもいつも不機嫌で鬼瓦のような怖い顔をしていました。
それがね、変わり始めたんです。
 五か月目には自分で立ったり座ったり出来るようになりました。
半年後には行きたい所へ行ってやりたいことをやれるようになりました。
そこでおじいちゃんは初めて言ってくれたんです。
「あなたのことは信用できなかったが、真剣にやってくれるから嬉しかったよ。
あなたを信じられて良かった。 ここまでやってもらえて良かった。
好きな車にも乗れるね? ありがとう。」って。
「やりたいことは思う存分に出来ます。 安心してください。」 そう言って治療を終わりました。
この時でしたね。 恩師が認めてくれていたことに気付いたのは。
退職してすぐに脳梗塞をやってしまい、早くに亡くなってしまったから報告することは出来なかった。
ぼくが死んだら恩師に会ってやってきたことを全て報告するつもり。
それまで待っていてくれるかなあ?
 それにしてもあれから20年が経ってしまったんですねえ。 早いもんです。
30代だったぼくも50代ですから、、、。
 ここまで来て思いますね。 仕事に対して文句を言うやつが多すぎるって。
派遣だからどうの、肉体労働だからどうの、接客業だからどうの、、、。
文句を言うくらいなら最初からやるな! ぼくはそう思う。
 今、ぼくら障碍者を取り巻いている労働環境は最悪ですよ。
見えない 聞こえないって言うだけで雇おうとはしない。 話を聞こうともしない。
派遣だって何だって有るだけましじゃないか。 働きたくても働けないんだよ。
ぼくらの無念を何処に投げたらいい?
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