カフェラテdeプリンのカサブランカ日記
 やっと秋めいてきました。
百合さんは上のほうから茎が渇いてきてます。 いよいよ老年期って感じですね。
ここまでしっかりと世話をさせていただきました。
もうすぐ全てが終わります。 そして新たな球根の季節に。
球根はこれから育ち始めます。 今までは茎を育てるのに必死だった。
これからは根っこを育てるんです。 冬の間、氷の下で眠りに入るまで十分に育ちます。
3か月は氷の下ですね。 でも来年は暖冬だと聞いてます。
暖かいと心配だなあ。 茎が弱くなる。
厳冬だからきれいな花を咲かせることが出来るんです。
だからって室内を氷点下にしようとは思いません。 ぼくが死んでしまう。
悩ましいですねえ。 それでもまあ寒いのに変わりは無いと思うけど。
 来月は母さんの祥月命日です。 今年もまた来ますねえ。
 真夜中の3時半に亡くなったんです。 叔母から連絡が来ました。
胸騒ぎはしてたんですよ。 見まいに行った時、死ぬことは覚悟してました。
でもね、会いたがっていた息子に会わせることが出来たんでホッとしましたよ。
母さんがどう思ったかは敢えて聞いてません。 聞くことじゃないと思ったので。
もう9年前の話ですね。 生きていたら70歳でした。
若かったんだなあ。 ぼくとは17違いですからね。
 17違いということは高校生だったということです。 父は炭鉱マンでした。
閉山後は鉄工所で溶接工をしていました。 腕は相当に良かったらしい。
近所の商店のおばちゃんの話では「仕事の腕は良かったが、家庭を作る腕はダメだった。」とのこと。
 離婚に至った原因は何だったのか、、、? 疑問が残ります。
ぼくと父さんが喧嘩して、母は実家に逃げ込んだ。
そこで本来であれば夫婦が話をして今後どうするのかを決めるんですが、、、。
 余計なことに祖母と叔母が割り込んで喧嘩になってしまった。
だからこそ父さんは耐えられなくなって離婚を決意したんです。
「私が居なくなったら家計は崩壊しますからね!」 予言したとおりに崩壊しました。
叔母は「あんなことを言って何とかなるって思ってるのか?」って冷たく笑っていましたね。
夫婦の喧嘩に親戚であってもいい加減な覚悟で割り込むものではないことを教えられました。
親戚とはいっても他人ですからね。 教訓です。

 その後の父が何処でどうしていたのかは知りません。
彼女を連れていたことを祖母が教えてくれましたが、、、。
何年か経って「離婚させたのは可哀そうだった。」って言ってみても後の祭り。
 10年ほどして団地に父が住んでいることが分かったのですが、、、。
電話してみると「あなたは誰ですか? 知りませんよ。」と答えるだけ。
記憶が消えていたのか、わざと知らない振りをしていたのかは知りませんがね。
 それでも2006年の4月に亡くなったことを市役所が伝えてくれました。 生保を受けていたんです。
今はふるさとの寺に一人で眠っています。 いつか手元に迎えてあげたい。
名前まで分けてくれた父ですから。
 9月も中旬を過ぎて夜は目が覚めるくらいに寒くなってきました。
こうなると缶酎ハイは飲めません。 日本酒シーズンです。
夏の夜の寒いのも苦手なんですけど、これからの寒さはもっと苦手。
なんせ、北日本に引っ越したのが真冬でしたから。
飛行機を降りてみたら雪の中でした。 九州人にとっては有り得ない光景でしたね。
それから17年。 あっという間です。
岩手県に引っ越したのに今は北海道に居るんですからね。
北海道と言えばジャガイモと磐越競馬と松山千春。
中学生の頃は松山千春の歌をよく聞きました。 レコードも買いましたっけ。
先輩に千春バカと呼ばれていた人が居ましてね。 懐かしいですね。
 あの頃は障碍者施設で暮らしていました。 『遠き日の忘れ物』にも書きましたけど。
そこにはね、精神障碍者の子も暮らしてたんですよ。 そりゃあ、思いは様々です。
(こんなんと一緒にされたくないわ。)って思いも確かに在りました。
 その中でね、忘れられない子も確かに居ます。 今世ではもう会えないかな?
元気で居るなら会いたいと思うんだけどね。
 精神障碍者って叩いたりしないと何も分からないって思ってる人が多いけど、実はそうでもないってことを教えてくれた女の子でした。
同級生だったから彼女も今は54歳ですね。 生きているなら今も施設に居る。
生涯、施設の中で詩か暮らせないんですよね。 それもまた可哀そうな話。
どうにかして会いたいもんだ。 確かに世話をするのは大変かと思うけど。
食事だって自分で作れるわけじゃないからね。 でも会いたい。
そう思わせる女の子でした。

 今年、2023年は右に左に揺れ動いてきましたが、来年はさらに激動の年になります。
自衛隊も沖縄での準備を急いでますからね。 あの人は猛烈に反対してますけど。
おかげで産経新聞も「あいつは外患誘致だ!」って吠えましたよね。
外患誘致ってことはつまり〈どさくさに紛れて敵を呼び込んで国を攻撃させたこと〉です。
内乱よりも最低ですよね。 それをやろうとしているのかな?
やったら死刑しか有りません。 国を売る行為だから。
となると、気になるのが親中の人たち。
彼ら彼女らも何かしらで引っかかるのでは?と思うんですけど、、、。
無理やりにくっつけると『外患援助』ってのが在りますね。
敵を手招きすることです。 まあ誘致よりはいいけど、でもねえ。
 今、北海道をはじめ日本の土地を中国人は買い漁っています。 これだってこのまま許していいんですか?
東京の新宿区は半分が中国になったんですよ。 これも外患援助と言えないことは無い。
つまりは土地取引規制法を出し抜いたあの政党も法的にはかなりやばいってことです。
外患援助をやってしまう政党って必要ですか? 要りません。
そんな政党を野放しにしている日本ってどうなんでしょうねえ?
ぼくもずっと支援してきた一人です。 でもここのところ、あまりにも拙劣な話ばかりなので支援する気にはなりません。
そう、支持してきた人たちの中でも政党離れは確実に進んでいるんです。 政府が何をやろうとしても邪魔ばかりするのでは居てもらいたくない。
しかも真っ赤な政党です。 自分を恥じましたね。
支持しなくなって気持ちも軽くなりました。 誰もがそう思ってるかも。
さあ、今日も夜です。 パソコンを閉じたら飲みます。
それでは。

 9月ももうすぐ終わります。 来週は10月です。
8月に訪問マッサージの仕事を辞めて就労継続支援の作業所に通っています。
何か知らんが、一番の有名人になってしまいました。 誰かが必ず声を掛けてくる。
ムード満点 和気あいあいの作業所です。
ホテルの仕事を請け負っているんですけどね。 単純な作業ですが、なんか楽しい。
技術に追い回される仕事もいいけれど、単純な仕事もいいかなって。
 ぼくは鍼灸師です。 恩師に生前「お前は本物になれ。」って言われた鍼灸師です。
でもまあ、たまには骨休めも必要かな。
辞めた治療院からは「早く戻って来い。」って言われてるんですけど、、、。
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