カフェラテdeプリンのカサブランカ日記
 ここへ来てフェミニストが書いた一冊の本が中国で大ブレークしている。 まあね、「女は男より偉いのよ。」って言い捨てたあの人が書いた本なんだけど、、、。
どっちが偉いとか偉くないとか、そんなことはどうでもいいんだ。 確かに男から見てすごいなと思う女性はたくさん居る。
だからってそれが「男より偉い。」理由にはならない。
 アダムとイブだって男女が平等であるように仕組まれたわけでしょう? 上も下も無いんだよ。
それをさ、「私たちは偉いんだ。」って言い張られたらドン引きするしかないよ。 女性たちだってそうだろう。
今は鼻を高くできても、いずれ何かが足りないことに気付かされるんだ。
女じゃないと出来ないことも有る。 同じく男じゃないと出来ないことも有る。
それを分かってないな。

 以前は「女は家庭。 男は仕事。」って言われていた。 なぜだろう?
それはね、女が家庭を守って男が家庭を支えてきたからだよ。
もっと広く言えば女は地域を繋ぎ、男は地域を守ってきた。
地域で情報を共有してきたのは女だよ。 だからあちらこちらで井戸端会議が盛んだった。
縁側に集まり、玄関先で話し込み、それで地域の情報を共有してくれていた。 その情報を受けて男たちは動いていた。
 今、そのようなネットワークが完全に分断されて破壊されてしまった。
ネットワークを構成していた基本単位は大家族だった。 そこから伝統とか礼節とかが伝えられてきた。
 今、地域はバラバラになっていて市役所でさえ苦労するありさまだ。 自己中が増えてしまって地域がまとまらなくなっている。
そして不審者と犯罪者が増えてしまった。
 昭和40年ごろまでは鍵を掛けなくても安全だった。 窓を閉めなくても良かった。
今は二重三重に鍵を掛ける人が居るくらいに物騒極まりない世の中だ。 なぜこうなった?
地域ユニットが完全崩壊したからさ。 だから年寄りと障碍者には簡単に誰も近付かなくなった。
隣に引っ越した人間を誰も知らない。 そのくせ、何かと文句ばかり言う。
これじゃあ、互いに憎み合うしかないよ。 こんな地域をみんなで変えていこうじゃない。
人間関係は縦糸と横糸がうまい具合に絡み合うからバランスが取れるんだ。 縦も横もズタズタになったらさ迷うしかない。
そんなのは嫌だよ。

 パレスチナ紛争も深刻化の一途を辿っている。 断言する。
殺戮に正義など無い。 中国ジェノサイドが問題であるように如何なる戦闘にも正義など無い。
手を出したほうが完全に懲悪である。 そしてそれは単なる恨みの連鎖にしかならない。
戦う以上は正義と悪を主張する必要は有ると思うけれど。
はっきり言えることはウクライナを侵略したロシア、イスラエルを砲撃したパレスチナは悪であるということ。
そこに至ってもなお武装勢力と庶民は完全に切り離されなければならない。
でなければ、戦闘自体が正当化されてしまう。 已むに已まれぬ思いが有ったとはいえ、殺すのは良くない。
 今は、1945年以後でもっとも危険でもっとも醜悪な時代だと言ってもいい。
それはほとんど全ての指導者が利己のために動いているということだ。
理想論としか見られないかもしれないけれど、人間の四つの生き方を描いてみよう。

    1. 自己否定 他人否定
 もっとも最悪な生き方である。 他人を巻き添えにする卑怯な生き方である。
池田小学校乱入殺傷事件の犯人などはまさにこれだろう。
 日ごろから絶えまぬコンプレックスに悩まされていた。 そして「子供を殺せば死刑になれる。」という発想を抱いたとされている。
死にたければ一人で死んでくれ。 そう言いたくなるのはぼくだけではないはず。
だけど死ねなかった。 だから死刑を望んだ。
身勝手極まりない男だと言える。 半面、そうしなければならないほど追い込まれていたのは不憫である。


    2. 自己肯定 他人否定
 俗にいう独裁者タイプ。 プーチンも習近平もこのタイプだろう。
周囲の人たちが誰も信用できないから恐怖で縛るしかない。
習近平が現代の毛沢東と呼ばれるのもこのためだ。
 最初、彼は「不正と汚職を追放する。」と言っていた。
 共産党政治の中では汚職無しでは全てがうまくいかなかったから。 そして汚職を理由に宿敵を消してしまった彼は身内の消去に向かっていく。
自身で任命した大臣を粛清し、次々と粛清している今の彼は完全なる疑心暗鬼状態だ。
いずれは首相でさえ粛清するだろうと言われている。 ここまで来たら誰にも止められない。
おそらくは悲劇的な最期を迎えることだろう。


    3. 自己否定 他人肯定
 よく「あの人はああなって羨ましいなあ。」とぼやいている人が居る。
人の幸福を認めながら裏で自分の不幸を嘆いている。 有り難くない人である。
「どうせ私はあんな風にはなれないんだから、、、。」 愚痴をこぼすのは勝手だけれど、あちこちでこぼされると聞いているほうは迷惑でしかない。
羨ましいのであれば、それ相応の努力をすべきである。 自分を認めることが出来ないのは最大の不幸かもしれない。


    4. 自己肯定 他人肯定
 もっとも理想的でもっとも難しい生き方だろう。
仏教でいえば仏や菩薩にも通じる生き方である。 こんな生き方をしたいものだ。
自分も他人も認め合う。 長所も短所も含めてね。
「ここはいいけど、あいつのこれは嫌だな。」というのは人間誰しも思うこと。
嫌なポイントは誰にだって有る。 だから人間なんだ。
調書ばかりだったらロボットだよ。 ぼくはそう思う。
 短所に気付くということは、その人にも同じような一面が隠れているということかもしれない。
これはユングが夢分析をする中で表したシャドーという存在にも通じるだろう。
自分の意識の中に自分でさえ気付いていない個性が隠れている。 それが夢の中である日突然正体を現してくる。
(なぜあんな夢を見たんだろう?) 不思議に思う夢はシャドーの表れなのかもしれない。
言い換えれば未発達の自分が夢の中でその存在に気付くようにシグナルを送ってくるのである。 たいていは自分が嫌っている人の姿となってね。
 人の短所に気付くことで実は自分が成長するための道標を与えられているとしたら、、、。
それはもう感謝するしかないよね。 ぼくらは感謝するために生まれてきたんだ。

 時々、一人で大きくなったように偉そうに言ってる人が居るけれど、生まれる時も死ぬ時も誰かに世話してもらってることを思い出そう。
 一人で生まれてきて一人で死んでいく。 確かにそれは事実だ。
でも生まれるためには父さんと母さんが必要だし、産科医や助産師 看護師の力を借りなければいけない。
言葉を教えてくれたのは誰? 食事や下の世話をしてくれたのは誰?
学校に通うのも仕事を始めるのも誰かの世話になってるよね?
 そして年老いたら介護を受けることになる。 ヘルパーや介護士の世話を受けるわけだ。
死んだ後だって葬式だ火葬だ納骨だって誰かの世話になってるよね。 一人じゃ出来ないことばかり。
揺り籠から墓場まで感謝尽くしなんだよ。 感謝で始まって感謝で終わるんだ。
どうせあの世に持っていくならたくさんの感謝を持って行こう。 次の世でもっと幸せになるためにね。
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