カフェラテdeプリンのカサブランカ日記
 今回はね、絶対に失敗出来ないんだ。
2014年に旅立った母さんのためにもね。
 でも、ぼくがカサブランカを育てるとは思わなかった。
 見えないんだし、そんなことは出来ないだろうって思ってた。
いざやり始めるとなんだか面白い。

 その頃は小さな町の小さな一軒家に住んでました。
小さな訪問マッサージの事業所で働いてました。
小さい尽くしの人生もいいかな。
 社長は隣に住んでるおっさん。 まるで寅さんみたいな人だった。
「寅さんって呼ぶな!」って本人は言ってたけれど、寅さんそのものだったなあ。
 この一軒家は二階建て。 3ldkになるのかなあ?
二階はプラレールを走らせて寝るだけ。
一日のほとんどは一階で過ごしておりました。

 ホームヘルパーも来てくれておりまして、掃除をやってもらいます。
当時の管理者さんには厳しく言われましたねえ。
「あたしらは家政婦じゃないんです。 あなたが頑張っても出来ないであろうことをやらせてもらうだけですよ。」
確かにそうなんです。 ヘルパーと家政婦は違います。
 家政婦は仕事として家事全般をやります。
ヘルパーは見えないと難しいことや、体が動かないと難しいことを代わってやってくれるんですね。
だからヘルパーなんです。 助ける人、、、ですね。
だから何でもやっちゃいけないんです ほんとは。

 小さな町に引っ越して2年目。
でもねえ、やっぱり小さな町は不便なことが多いんですよ。
洋服屋が無いんですねえ。 パンツ一枚買えないのには笑えなかった。
 そこでガイドヘルパーを頼んで隣町にまでパンツを買いに行ったりしたわけです。

 まあ、文句はこれくらいでいいでしょう。
6月になると芽がグングン伸びてきます。
でもおかしいな、、、一本が伸びない。
ずっと水をやってるんですけど伸びません。 やばいな、、、。
一か月経っても伸びないので一本は諦めました。
 この冬は驚く事件が起きました。 雪が多かったので心配してたんですけど。
 この一軒家の前は町道です。 んで行き止まりになってます。
そこへ除雪車が丁寧に入ってくるんです。
それはいいんですけど、ブルで奥へ雪を押し込むだけなので、、、。
一か月もしたら家の前にとんでも大きなエベレストが聳え立ちました。
「おいおい、これじゃあ中まで入れないぞ。」
タクシーの運転手が苦々しい顔で見詰めています。
「おい、これは退かしてもらわないと崩れたら大変だぞ。」
近所の人たちも心配しています。
健康管理センターの相談支援員に相談したところ、、、
「実費で業者を呼んでやってもらったらどうですか?」 現場を見ずに彼は言いました。
それから数日後、、、。

 仕事に出ようとした月曜日の朝のこと。 「ドアが開かないな、、、。」
焦ったぼくは寅さんを呼んで見てもらいました。
「ひでえなあ。 写真を撮ったから役場に行ってくるよ。」 彼は現場を見てうんざりしたんですね。
 玄関が埋まっていて開かなくなってたわけです。
この一軒家には誰も住んでいないと思ったのでしょう。
 でもね、今から思えば滅多に体験できない貴重な体験をさせてもらいました。

 さてさてカサブランカに話を戻しましょう。
一本だけ残った百合さんは懸命に育ってくれています。
毎朝毎晩見ていると情が移るんですねえ、家族みたいに思えてくる。
いやいや、それにしても伸びたもんです。 7月ともなれば1メートルくらいになったでしょうか。
相棒が枯れてしまって寂しそうですが、、、。

 それでも枯らせるわけにはいきません。 水やり続行です。
仕事はなかなか増えなくて苦しいんですけど、そんなことを言ってられない。
百合さんの懸命な姿に癒されながら励まされながら生きております。
支柱も立てました。 うん、これで良し。
 そのまま8月に突入です。

 この頃になると花芽も随分と膨らんできて重そうですねえ。
持ってあげたいくらい。
でも持ってやると茎が弱くなります。 ダメですねえ。
 雨の日は風も強くなるので倒れたりしています。
夜中だったりすると朝まで気付きませんね。 可哀そうです。
起こしながら謝って水をやるわけです。 鉢植えですからねえ。
地面に植えてたらそうでもないんでしょうけど、、、。
考えようによっては鉢植えでよかったかっとも思います。
地植で倒れたら、、、それで茎が折れてたら、、、。
いろんなことを考えるわけです。
そんなこんなで10か月が過ぎようとしています。
 8月も10日を過ぎると少しずつ花芽が開いてきます。
いい匂いが漂い始めるわけですね。
でもね、開き始めたばかりの頃は気付かなかったんです。
わざわざ花芽を触るわけにもいかないのでね。
 それでぼくが開花に気付いたのは8月12日でした。
お盆の前の日です。
 東日本では7月にお盆を迎える地域も多いですけど、、、。
 この日はお盆というよりは日航機墜落事故の日ですよね。
未だにいろいろと探られ続けているあの事故から35年が経ったわけです。
 あの頃、ぼくは高校生でした。
夏休みだったので衝撃的な事故でしたね。
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