淡雪の恋 心に弾けた思いを君へ
 いつか夏休みも終わって二学期が始まった。 あゆみもバスケを引退して勉強漬けの毎日が始まった。
寝ても覚めても頭の中は受験のことでいっぱいらしい。 俺はというと文化祭やら体育祭やらのことで朝から走り回っている。
 「朝から何をモソモソしてるの?」 不思議そうに母ちゃんが聞いてくる。
「俺さ、文化祭の実行委員なんだよ。 おかげで模擬店とか舞台の進行とかやらなきゃいけなくて大変なの。」 「そっか。 頑張ってね。」
とはいうものの、敬子には高校生の実感が掴めない。 そりゃそうだよな、高校には行って無いんだから。
 あゆみはあゆみで朝から教科書と睨めっこ。 「そんなに見てたら穴が開いちゃうぞ。」
「いいの。 兄ちゃんは黙ってて。」 「黙ってられるかってんだ。」
「顔だけでもうるさいからあっちに行ってて。」 ただでさえよく喧嘩する兄妹なのにこれでは、、、。
 火花を散らしている二人を見ながら母ちゃんは朝から忙しいのである。
スーパーに行くと朝のうちは裏方で仕入れやら問い合わせに追われ、午後はレジ打ちでバタバタ、、、。
「ごめんねえ。 今日も総菜で我慢して。」 疲れ切った母ちゃんは買ってきた総菜をテーブルに並べて溜息を吐いた。
 「お母さん あんまり無理しないで。 あゆみも味噌汁とか作れる物は作るから。」 「大丈夫なの?」
「何が?」 「受験勉強も忙しいのにさ、、、。」
「大丈夫だよ。 兄ちゃんも手伝ってくれるし、、、、ねえ。」 あゆみはそう言うと俺の顔を見た。
「う、うん。」 「ほらね、兄ちゃんも手伝ってくれるから大丈夫だよ。」
「ありがとう。 でも無理しないのよ。」 母ちゃんは煮物を食べながらまた溜息を吐いた。
 この17年間、私がホッとすることは無かった。 敏夫を身籠って中学を卒業してお母さんが家を出て行った。
親戚の人たちも一斉に私たちから離れていった。 お父さんはそれでも必死に働いてくれていた。
 飲んで帰ってくることも多かったけど、そんな夜でも変わらずに私を可愛がってくれた。 そしてあゆみが生まれた。
慰安旅行もお父さんは一人だった。 奥さんを連れた人たちが多かったのにね。
もちろん、私を妻だとは言えなかった。 れっきとした娘だったから。
 お土産をたくさん買ってきてくれたわよね。 そして日曜日には魚釣りにも行った。

 そんなお父さんが死んだのは3年前。 退職金はほとんど使わずに残してあるの。
敏夫たちが何かに使うことが有るかもしれないから。 それにね、私はスーパーで15年も働いてきたのよ。
お父さんが死んでからは本当に一人だった。 寂しかった。
でもね、敏夫たちに寂しいなんて言えないわよ。 そしたら敏夫に抱かれてしまった。
あゆみを産んで以来、久しぶりだった。 逃げたいはずなのに逃げられなかった。
 敏夫を産んだ時には母乳が出なくてお父さんはミルクを欠かさないように気を付けてくれたわ。
それがさ、あゆみの時には出過ぎちゃって保存するのに何本もペットボトルを集めてくれた。
「俺のせいで寂しい思いをさせちまったな。」っていっつも言うのよ。 苦しかったなあ。
 結婚した友達には新婚旅行の話とか結婚式の話とかたくさん聞いたわ。
でも私はそんなの一度も無かったなあ。 結婚したわけじゃないから。
それなりに楽しかったんだけどね。 敏夫が生まれた後、今のスーパーに勤め始めたの。
お父さんだけに大変な思いをさせたくなくて。 私は一人っ子なのよ。
だから思い切って働きに出たの。 それが今でも続いてるのよねえ。
 敏夫が小学校に上がった時、私は23歳だった。 一番若かったのよ。
珍しそうな眼で担任にもジロジロ見られたわ。 嫌だったなあ。
でも気付いたら敏夫ももう高校2年生。 大きくなったわねえ。

 夕食を食べ終わると俺は食器を洗い始めた。 「私がやるわよ。」
「母ちゃんは疲れてるんだから休んでて。 やっちまうから。」 「いいの?」
「任せてよ。」 「じゃあ、、、お願いね。」
 そう言いながら母ちゃんはテーブルに落ち着いたんだけど、なんか落ち着かない様子。 立ち上がると自分の部屋へ行ってしまった。
 俺は母ちゃんが寝てしまったのを確認してから部屋に戻ってきた。 ノートを開いては実行委員会の記録を読み返している。
そこへあゆみが入ってくる。 「どうした?」
「この問題が分からなくてさあ、、、。」 「これか。 この化学式は、、、。」
 四六時中、教科書と睨めっこしているあゆみのこと。 何を聞いてくるか分かったもんじゃない。
国語だったり数学だったり、時には英語だったり、、、。
 最近は母ちゃんと話すことが少なくなって心に隙間風が吹いているような気がする。
っていうか、あんまりにも仲が良過ぎたんだね 今まで。 お互いに忙しいんだからこれくらいでいいのかも?
 屁理屈をこね回してはみるけどどっか虚しく思ってるのも現実なんだよな。 やっちまった感覚が忘れられないのかな?
だって脱衣所で素っ裸になってる母ちゃんをいきなり押し倒してやっちまったんだぜ。 勘弁してくれよって言いたいよな。
 初めてだったからさ、無我夢中だった。 その後の罪悪感も半端なかった。
 あーあ、死ねるものなら消えてしまいたいよ。 でも俺が消えたってどうにもならないんだよね。

 次の日も同じくで母ちゃんは総菜をいっぱい買ってきた。 「無理してるんじゃないの?」
「そうでもないわよ。」 「最近、笑わなくなったしさ、、、寂しいよ。」
「そう? そっか。」 母ちゃんは味噌汁を飲みながら考え込んでしまった。
静かな部屋でテレビだけが賑やかである。 今日も変なニュースを伝えている。
俺は母ちゃんの肩をポンと叩いてみた。 「うん。」
 どんな意味が有ったんだろう? 誰に答えたのでも、何に向かったのでもなく、、、。
食べ終わった俺は風呂を沸かした。 「母ちゃん 入っていいよ。」
「うん。 先に入ってて。」 「いいの?」
「後で入るから。」 母ちゃんは自分の部屋へ戻って行った。
「小説を買ったとか言ってたよな。」 気晴らしになればいいけど、、、。

 あゆみが出て行った後、俺は服を脱いで湯に浸かった。 のんびりと天井を仰いでみる。
子供の頃から慣れ親しんできた風呂である。 じいちゃんが結婚した当時から入ってきた風呂である。
あの当時はタイル張りだった。 それが変わってしまって新しい風呂になっている。
 ばあちゃんもこの風呂に仲良く入ってたんだろうなあ。 あの日までは、、、。
 考え事をしながら体を洗う。 そしてまた湯に浸かる。
寝そうになりながら天井を見上げているとガラガラっとサッシが開いた。 「いいかな?」
母ちゃんが入ってきた。 あんまりにも久しぶりだった。
驚いている俺を見て母ちゃんは不思議そうである。 「なあに?」
「久しぶりだからさ、、、。」 「そうねえ。 久しぶりだわね。」
「あゆみは大丈夫なの?」 「うん。 寝てるみたいだから。」
 湯をかぶった母ちゃんは俺と向かい合うように湯に浸かった。
「敏夫もいろいろ考えてたのよね?」 「そりゃそうだよ。 あんだけのことをやっちまったんだから。」
「そうよね。 他人だったら今頃は警察の中よね。」 「ほんとにごめん。」
「いいの。 それよりもこれから先をどうしようかなって。」 「これから先?」
「敏夫も来年は3年生なのよ。 進学か就職か決めないと、、、。」 「そうだね。」
「三学期には結論を出したほうがいいと思うんだ。」 「だよなあ。」
「どっちにしてもお金がかかるからね。」 「どっちがいいのかな?」
「それは自分にしか分からないことよ。」 「そうだね。」
 黙ってしまった母ちゃんはぼんやりと天井を見上げている。 体はくっ付いている。
何だかドキドキしているのに手さえ握れないのはなぜだろう? (あれ以上 母ちゃんを苦しめたくないな。)とも思っていたが、、、。


< 6 / 10 >

この作品をシェア

pagetop