《マンガシナリオ》噂のプレイボーイは、本命彼女にとびきり甘い
第4話「どうやら、閉じ込められちゃったみたいだね」
◯学校、2年2組の教室(昼休み)
それから数週間後。
今日も蓮の席の周りには、女の子たちが集まっている。
クラスメイトたち「蓮、聞いたよ!駅前の『SUNNY』でバイトしてるんだってね」
クラスメイトたち「うっそー!?バイトなんかしてていいの?バレたらやばくない?」
蓮が『SUNNY』というカフェでバイトしているという噂が流れる。
蓮「ちゃんと学校には許可もらってるよ」
クラスメイトたち「許可?」
クラスメイトたち「あっ、知ってるー。なんかウチって、テストの成績がいい生徒はバイトOKなんだってー」
クラスメイトたち「なにそれー!知らなかった〜」
蓮の周りで口々に話す女の子たち。
クラスメイトたち「でも、なんでSUNNYで?あそこ、人気のお店だから大変じゃない?」
蓮「人気だからこそ、かわいい女のお客さんがいっぱいくるんだよ」
クラスメイトたち「うわっ、出た!さすがプレイボーイ」
同じ教室内で読書をしている凛。
しかし、本当は蓮たちの話が気になってしょうがない。
凛(かわいい女のお客さんがいっぱいくる…か)
凛は、この前繁華街で蓮がかわいい女の子と歩いていた姿を思い出す。
凛(あれは…彼女?それとも、バイトで知り合ったお客さんとかなのかな)
ずっとそのことが気になっていた凛。
蓮との何気なくやり取りしていたDMも、あの日以来凛が返事を返さないままで止まっている。
普段から、学校ではほとんど会話もしない。
クラスメイトたち「今日はバイト?蓮がいるなら、SUNNY行ってみようかな〜♪」
蓮「残念でした。今日は、放課後に学級委員の集まりがあるって前々からわかってたから休みにしてるんだよね」
クラスメイトたち「え〜、そうなの〜?ていうか、蓮ってちゃんとそういうの参加するんだ〜」
蓮「俺、こう見えて学級委員ですからっ」
おどけたように、キメ顔をする蓮。
クラスメイトたち「いや、そんなかっこいい顔したって見えない見えない!」
クラスメイトたち「ただ、くじ引きでなっちゃっただけでしょ〜。そんなにがんばらなくたっていいのに」
蓮「そうはいったって、凛ちゃん1人に任せるわけにはいかないしね」
プレイボーイの蓮の言うことだとわかっていても、その言葉に少しだけキュンとしてしまう凛。
クラスメイトたち「それにしても、蓮ってゴンさんと何気に仲よくない?」
クラスメイトたち「学級委員の集まりとはいえ、ゴンさんといっしょにいて楽しい?」
そんな会話が聞こえ、ごくりとつばを呑む凛。
本を読むフリをしながら、蓮の返答をドキドキしながら待つ。
蓮「楽しいよ」
それを聞いて、顔がぽっと赤くなる凛。
蓮「俺、女の子とだったらだれといたって楽しいし♪」
しかし、その言葉に落胆する。
凛のメガネがずり下がる。
凛(でも、今日の学級委員の集まり…。戸倉くんとなにを話したらいいんだろう)
久々に蓮といっしょになれるといううれしさ半分、繁華街で見た女の子とのツーショットが脳裏に浮かび、凛は複雑な思いを抱いていた。
◯学校、廊下(前述の続き)
もうすぐ昼休みが終わろうとする頃。
お手洗いに行っていた凛は、予鈴の音を聞いて足早に教室へと戻る。
蓮〈もしもし?〉
そのとき、廊下の角から蓮の声が聞こえる。
蓮〈あ、うん。予鈴鳴ったところで、もうすぐ5限が始まるけど――〉
凛は、角からゆっくりとのぞく。
スマホを耳にあて、電話をしている蓮がいる。
蓮〈…えっ、そうなの!?…それはヤバイだろ〉
緊急事態なのか、蓮の顔色が変わる。
蓮〈それなら、わかった。うん、今から向かうから安心して〉
深刻そうな表情をして電話を切る蓮。
凛は気づかれないように、そっと教室へと戻る。
◯学校、2年2組の教室(前述の続き)
次の英語の授業の教科書やノートを机の上に準備して、先生がくるのを待つ凛。
そのすぐあとに蓮が教室に戻ってくる。
蓮は自分の席に向かうと、机の横にかけていたリュックを机の上に置く。
その中に、ペンケースなどをしまっていく蓮。
その姿を周りのクラスメイトたちは不思議そうに見ている。
クラスメイトたち「どうしたの、蓮?」
クラスメイトたち「えっ…、帰るの?」
蓮「うん。ちょっと急用ができて」
クラスメイトたち「急用?…あっ!もしかして〜、彼女に呼び出されたとか〜?」
茶化すようにニヤニヤしながら蓮に話しかける女の子。
その女の子に、蓮は真顔で答える。
蓮「うん、そう。彼女が熱出したみたいだから、今すぐ行ってあげないといけないんだよね」
思いもよらない言葉が返ってきて、唖然とする女の子。
蓮はリュックを背負うと、凛のもとへやってくる。
蓮「凛ちゃん、ごめん。俺、急用で今から帰るから、今日の学級委員の集まり…行けないや」
凛「か…かまいません」
蓮「ほんとごめんね」
蓮は申し訳なさそうに眉を下げると、足早に教室から出ていく。
そんな蓮の後ろ姿をクラスメイトたちの女の子が見つめる。
蓮がいなくなると、ヒソヒソ話を始める。
クラスメイトたち「…聞いた?彼女が熱出したからって、早退だって!」
クラスメイトたち「その発言にはびっくりした。蓮ってプレイボーイじゃないの?彼女には一途なの?」
クラスメイトたち「知らな〜い。けど、3人もいるうちの1人なら、一途でもなんでもないでしょっ」
クラスメイトたち「たしかに〜!…でも、ちょっとその彼女がうらやましいかも」
クラスメイトたち「…ね。蓮もあんなマジな顔するんだ」
クラスメイトたち「ほんとほんと!蓮を本気にさせるって、どんな彼女なんだろっ」
凛もその会話には興味があった。
蓮は、これまでいっしょになった学級委員の男の子とは違い協力的。
今日の集まりも、事前にわかっていたためバイトを入れないで参加するつもりでいた。
それなのに、電話一本かかってきただけで早退してしまった。
凛(…ということは、さっきの電話の相手が彼女ってことだよね)
凛の頭の中に、繁華街で見かけたかわいい女の子の顔が浮かぶ。
凛(戸倉くんは、適当な理由で学級委員の集まりをサボったりなんかしないことは知っている。…でも、学校を早退してまで彼女のもとに駆けつけたいんだ)
凛は胸がキュウっと締めつけられる。
ため息をつく凛。
◯駅前、繁華街(放課後)
学級委員の集まりを終えた凛は、繁華街にやってきていた。
母親【醤油切らしちゃったんだけど、学校帰りに買ってきてくれる?お願いね】
母親からのメッセージが表示されたスマホを見つめながら、スーパーにやってきた凛。
醤油を買い外に出ると、ちょうど雨が降り出した。
地面に落ちた雨粒が跳ね上がるほどの激しい雨。
憂鬱そうに空を見上げる買い物客たち。
買い物客たち「どうしよ〜。傘なんて持ってないよ〜」
買い物客たち「仕方ないけど、傘も買ってくる?」
買い物客たち「…待って!スマホで天気予報見たら、あと10分くらいで止むみたい」
買い物客たち「よかった。ただのにわか雨か」
凛はそんな会話を聞きながら、腕にかけていた花柄の紺色の傘を広げる。
朝の天気予報で、今日は夕方ににわか雨の可能性があると聞いていた凛は、大きめの傘を持ってきていた。
そのまま家に帰ろうとする。
そのとき、凛のそばをスーパーから出てきただれかが通り過ぎる。
買い物袋を両手に下げ、降りしきる雨の中を駆けていく――バターブロンドの金髪。
凛「戸倉くん…!」
とっさに声をかける凛。
その声に反応した蓮が振り返る。
蓮「凛ちゃん!?」
凛「なにしてるの、濡れちゃうよ…!?」
凛は蓮に駆け寄ると傘の中へ入れる。
凛「こんな雨の中、傘もささないなんて無茶だよ…!」
蓮「でも俺の家、この近くだし」
毛先からしずくを滴らせて微笑む蓮。
凛「あと10分くらいで止むみたいだから、スーパーで雨宿りしたらいいのに」
蓮「でも、その10分でさえも待てないんだよね。今すぐ帰ってやりたいから」
その蓮の言葉に、はっとする凛。
今日の昼休みの終わり頃のことを思い出す。
クラスメイトたち『急用?…あっ!もしかして〜、彼女に呼び出されたとか〜?』
蓮『うん、そう。彼女が熱出したみたいだから、今すぐ行ってあげないといけないんだよね』
ふと、蓮の買い物袋の中身が少しだけ見える。
中には、アイスやゼリーが入っている。
凛(熱を出した彼女に、早く届けたいんだ…)
悟った凛は言葉が出ない。
蓮「凛ちゃん、傘ありがとう。俺、もう行くね」
凛「…あっ、でもこの雨の中じゃ、戸倉くんが風邪引いちゃう…!」
蓮「大丈夫だって。俺、あんまり風邪とか引かないから」
凛「…ダメだよ!そういう油断が風邪に繋がるんだからっ」
凛は、自分の傘を蓮に押しつける。
そうなったら凛が濡れるからダメだと、必死に断る蓮。
押し問答の凛と蓮。
◯蓮の家のマンションの前(前述の続き)
3階建てのマンション。
蓮がマンションのエントランスで鍵を挿し、オートロックが解除されたガラスのドアが開く。
蓮「凛ちゃん、傘ありがとう。急いでたから、ほんと助かったよ」
微笑む蓮。
そんな蓮を後ろから眺める凛。
凛(結局、いっしょに傘に入ることになって、こうして戸倉くんの家まできてしまった…)
マンションには入らず、エントランスで固まる凛。
凛(だけど、たしか…熱を出したのは彼女だったよね?…ということは、ここは彼女の家?)
動かない凛を不思議に思い、振り返る蓮。
蓮「凛ちゃん、そんなところで突っ立ってどうしたの?」
凛「い…いや、わたしは…」
なにか適当な理由をつけて帰ろうとする凛。
凛(さすがに、戸倉くんの彼女の家に上がり込むのは…いくらなんでもマズイよね。あんただれって絶対なるし…)
キョトンとして首をかしげる蓮。
蓮「早くおいでよ。俺に半分傘貸してくれたから、凛ちゃんも濡れちゃったでしょ?タオル貸すから、ウチに上がって」
その蓮の言葉に、目を丸くする凛。
凛(“ウチ”…?ってことは、ここは戸倉くんの家?…でも、熱が出てる彼女がいるということは、もしかして戸倉くんの家で…同棲!?)
困惑する凛。
凛「い…いや!本当にわたしは大丈夫だから…!ちょっと濡れただけだし、こんなの全然たいしたことないから…!」
なんとか理由をつけ、マンションから出ていこうとする凛。
凛に駆け寄る蓮。
凛の腕をつかむ。
蓮「ダメだよ。そういう油断が風邪に繋がるんだから。…って、さっき凛ちゃんが俺に言ってくれたでしょ」
蓮にそう言われ、言葉を返せない凛。
蓮「さっ、早く早く。本当に風邪引いちゃうから」
凛は蓮に連れられて、マンションの中へと入っていく。
◯蓮の家のマンション、303号室(前述の続き)
【303】と表札にかかれた部屋のドアの前に立つ凛と蓮。
ドアの鍵穴に鍵をさす蓮。
その後ろで、顔を引きつらせながら無理やり笑みをつくって微笑む凛。
凛(流れで部屋の前まできちゃったけど、…どうしよう。玄関でタオルだけ借りたら、すぐに帰ろう…!)
部屋のドアを開ける蓮。
ドキドキしながら、蓮の後ろに立つ凛。
蓮「ごめんね、玄関散らかってるけどそこで待ってて。今、タオル持ってくるから」
そう言って、買い物袋を下げた蓮が部屋の奥へと消えていく。
玄関は、大人4人が収まるほどのスペース。
足元を見ると、女性ものの靴やサンダルがたくさん並んでいる。
凛(これ、全部彼女のかな)
落ち着きなく、キョロキョロと足元に並んだ靴を眺める凛。
蓮「お待たせ」
そこへ、タオルを手にした蓮が戻ってくる。
蓮も頭からタオルをかぶり、わしゃわしゃと拭いている。
凛「あ…ありがとう」
凛は濡れた髪や肩を簡単に拭くと、すぐに蓮にタオルを返す。
凛「それじゃあ、わたしはこれで――」
?「だれ?お客さん?」
そのとき、部屋の奥から女の人の声が聞こえる。
彼女の声かと思い、ドキッと目を見開く凛。
足音が近づいてくる。
玄関から正面にあるドアがゆっくりと開く。
凛(…どうしよう!彼女に見つかっちゃう…!)
どぎまぎする凛は、とっさに蓮の後ろに隠れる。
ドアを開けて現れたのは、肩につくかつかないくらいの黒髪ミディアムヘアの女の子。
てっきりこの前見かけた茶髪のロングヘアの女の子が出てくるものと思っていた凛はキョトンとする。
雰囲気もなんとなく凛に似ている物静かな女の子。
大人っぽい落ち着きはあるが、幼さが残る顔立ち。
凛(戸倉くんの…彼女?小学生くらいにしか見えないけど…)
不思議そうに目をパチパチとさせる凛。
蓮「あっ、さつき」
そう言って、振り返る蓮。
歩み寄ってくるさつきに説明する蓮。
蓮「スーパー行ったら学校の友達に会って。雨降り出したから、ここまで傘に入れてもらったんだ」
さつき「そうだったんだ。新しい学校の友達、初めて見た」
蓮「俺だって、友達くらいいるに決まってるだろ」
親しげに話す蓮とさつき。
さつきがふと凛に顔を向ける。
目を細めて、じっと凛を見つめるさつき。
凛(…うぅ。なんかわたし…にらまれてる?…て、そうだよね。知らない人がいきなりきたんだから)
凛を見つめるさつきの前に、蓮が遮るように立つ。
蓮「さつき、メガネ!メガネ!」
さつき「え…?あっ、ほんどだ。取ってくる」
メガネをしていないことに気づいたさつきは、パタパタとリビングのほうへ駆けていく。
蓮「ごめんね、凛ちゃん。さつき、目が悪くて。べつに、にらんでたわけじゃないから気にしないで」
凛「…あ、ううん。それよりもわたし、お邪魔になるからそろそろ――」
そう言って、玄関のドアのドアノブを握ろうとする凛。
?「なになに〜?学校のおともだち〜?」
するとまた、奥から声が聞こえる。
甲高い女の人の声――というよりは、女の子の声。
さつきが閉めたドアを開けて出てきたのは、蓮の半分ほどの身長の小さな女の子。
パジャマ姿で、頬がほんのり赤く、額に冷えピタを貼っている。
蓮「あっ、コラ、なず!ちゃんと寝てないとダメだろ」
なずな「だって〜。新しい学校のおともだち、なずも見てみたかったんだもん〜」
蓮に抱きつくなずな。
そんななずなをひょいっと抱っこして持ち上げる蓮。
凛「えっと…、そのコは……」
落ち着きのある『さつき』という名前の女の子が出てきたかと思いきや、新たな小さな女の子の登場に状況が把握できない凛。
蓮は、抱っこしたなずなと顔を見合わせる。
蓮「ほら、なず。ごあいさつは?」
なずな「とくらなずなです!5さいです!」
なずなは凛に向かって手を広げ、5歳だということをアピールする。
凛「…えっ。と…“とくら”?」
蓮「うん、俺の妹。かわいいでしょ?」
蓮はなずなの頬に自分の頬をすり合わせる。
蓮「ほら、なず。さっきよりも熱いぞ。アイスとかゼリー買ってきたから、それ食べて薬飲んで寝るんだぞ。わかった?」
なずな「うん、わかった!」
大きくうなずくなずな。
蓮「さつきー!なず連れてって」
さつき「今そっち行くー」
そう言ってやってきたのは、さっきの物静かな女の子。
取りに行ったメガネをかけている。
さつき「さっきはすみませんでした。メガネをかけてなくて、顔がよく見えなくて…」
凛にペコッと軽く頭を下げるさつき。
さつき「戸倉さつきです。兄がいつもお世話になっております」
凛「い…いえ!こちらこそ、お世話になっておりますっ…!」
さつきに丁寧なあいさつをされ、深々と頭を下げる凛。
蓮がなずなを下へ下ろすと、なずなの手をさつきが握る。
なずなは凛に手を振りながら、さつきといっしょにリビングへ入っていく。
凛「…びっくりした。戸倉くんって、歳の離れた妹さんが2人もいたんだね」
蓮「うん。さつきが11歳で、なずなが5歳」
妹たちが入っていったリビングのドアを穏やかなまなざしで見つめる蓮。
蓮「あ〜、それと。妹は2人じゃないよ?」
凛「…え?」
首をかしげる凛。
そのとき、背後の玄関のドアが開く音がする。
?「ただいま〜」
その声に反応して振り返る凛。
そこにいたのは、茶髪のロングヘアをサイドで1つに結んだ女の子。
繁華街で、蓮と並んで歩いていた女の子だ。
凛(あのときの…彼女だ…!)
無意識に一歩後退りする凛。
蓮「あやめ、おかえり」
その凛の後ろから、蓮の声が聞こえる。
凛(…えっ。今、『ただいま』『おかえり』って言った…?)
驚いて蓮のほうを振り返る凛。
あやめ「あれ?お客さん?」
キョトンとした表情で凛を見つめるあやめ。
あやめのほうが身長が高く、凛を見下ろすかたちになる。
あやめ「お兄ちゃんの学校と同じ制服…。もしかして、お兄ちゃんの彼女!?」
キラキラとした憧れのようなまなざしで凛を見て、顔を近づけるあやめ。
突然のことで凛は体をのけ反らせ、靴箱にもたれかかる。
蓮「あやめ、ちょっと…。凛ちゃん引いてるからっ」
食い気味のあやめと引き気味の凛との間に割って入る蓮。
やれやれというふうに、蓮はため息をつく。
蓮「凛ちゃんは、同じクラスの友達。俺のせいで雨に濡れちゃったから、タオル貸そうと思って連れてきただけ」
あやめ「な〜んだ、そうなんだっ」
あやめはつまらなさそうに口を尖らせる。
あやめ「そういえばなず、お熱なんだっけ!?」
蓮「ああ。今は元気そうだけど、食べられるもの食べさせて寝かしておいて」
あやめ「うん、わかった」
あやめは玄関でローファーを脱ぐと、蓮を避けるようにして上がる。
そこでくるりと凛のほうを振り返るあやめ。
あやめ「どうぞ、ごゆっくり…♪」
あやめはにこりと笑うと、リビングへ入っていく。
パタンとリビングのドアが閉まり、蓮はポリポリと頭をかきながら凛に顔を向ける。
蓮「ごめんね、騒がしくて」
凛「ううん、大丈夫。それよりも…さっきの人……」
蓮「あやめのこと?あれが、一番年上の妹だよ。14歳」
凛「…14歳!?」
驚く凛。
凛(大人っぽいから同い年くらいかと思っていたけど3つも年下だったんだ…)
凛はポカンと口が開く。
凛「わたし…てっきり、戸倉くんの彼女なんだと…」
恥ずかしそうに話す凛に、頬をゆるませクスクスと笑う蓮。
蓮「でも凛ちゃん、あやめに会ったことあったっけ?」
凛「あ…、いや…。前に…繁華街で。戸倉くんといっしょに歩いているところを見かけて…」
少し考え込む蓮。
すぐに、なにかひらめいたようにはっとする。
蓮「あ〜!母さんの誕生日が近かったから、あやめといっしょにプレゼントを買いに行ってたんだよ。そのときじゃないかな?」
凛に微笑みかける蓮。
その表情を見て、あのとき目撃した2人の謎が解けて、ほっとする凛。
蓮「2人で歩いてたら、よく間違われるんだよね」
凛「う…うん。どっちも美男美女で、お似合いに見えたから」
蓮「凛ちゃん、それは言い過ぎだって!…でも、俺にとっては妹3人ともみんな大切な存在だから、ある意味守ってあげたい『彼女』ではあるけどね」
白い歯を見せ笑う蓮。
その言葉にはっとする凛。
凛「…もしかして!『彼女が3人いる』っていう噂は…」
蓮「うん。あやめとさつきとなずなのこと。だから本当のところ、彼女なんていないんだよね」
おどけたように舌をペロッと出す蓮。
凛「じゃあ、今日早退するときに言ってた…『熱が出た彼女』っていうのも…」
蓮「なずのこと。保育園から迎えにきてほしいって連絡があったって母さんから電話がかかってきて。でも、母さんは仕事抜け出せないから、かわりに俺が保育園まで迎えに行ってたんだ。だから、学級委員の集まりに行けなくて、ごめんね」
凛「ううん、そんなこと…」
新たにわかった事実に驚く凛。
『彼女が3人いる』と噂されていたチャラいプレイボーイは、妹を大事に思う兄だったということが判明する。
蓮「シスコンで引いた?ウチ、4年前に父さんを病気で亡くしてるから、俺が父親がわりみたいなもので。それもあってか、いつも自分のことよりも妹たちのこと優先しちゃって」
はにかみながら微笑む蓮。
その顔は、今までに見たことがないくらい清々しい笑顔だった。
蓮の新しい一面を知って、うれしさがじわりとこみ上げる凛。
凛「そんなことで引いたりなんかしない…!家族を大切に思ってるって、気恥ずかしくてなかなか言葉にできなかったりするけど、それを堂々と語れる戸倉くんはとってもかっこいいよ…!」
凛のその言葉に一瞬ポカンとなる蓮。
そんな蓮の表情を見て、顔が徐々に熱くなる凛。
凛(わたしったら…勢いに任せて、『かっこいい』なんて本人に向かって…なんてことを言ってるんだろう…!!)
恥ずかしくなった凛は、蓮に背中を向ける。
その凛の背中を優しいまなざしで見つめる蓮。
蓮「よかった。秘密を知られたのが、凛ちゃんで」
背中から蓮の言葉が聞こえ、目を丸くする凛。
蓮「下まで送るよ。凛ちゃんも早く帰らないと、家族の人が心配するよね」
凛「それなら、わたしはここで大丈夫。戸倉くんは、なずなちゃんの看病を――」
蓮「あやめとさつきがいるから大丈夫だよ。だから、送るくらいさせて?それに、部屋に取りに行きたいものもあったから」
そう言って、ローファーをはく蓮。
凛(…部屋?って、戸倉くんの家はここじゃないの?)
不思議に思いながらも、凛は蓮といっしょに外へ出る。
◯蓮の家のマンションの前(前述の続き)
水たまりが残る歩道で向かい合う凛と蓮。
蓮「本当にすぐに止んだね。でも、熱が出たなずとさつきを待たせてたから、あそこで雨宿りなんてしてる暇なかったんだよね」
ハハハと軽く笑う蓮。
凛(本当に、戸倉くんは家族思いなんだな)
微笑みながら、蓮を見つめる凛。
凛「そういえば、部屋に取りに行きたいものがあると言っていたのは…」
蓮「あ〜、うん。俺の部屋、こっちのマンションなんだよね」
そう言って、蓮は隣の5階建てのマンションを指さす。
凛「…えっ」
そのマンションを見上げる凛。
蓮「俺、一人暮らししてるんだ。って言っても、実家の隣のマンションだから、一人暮らし感はあんまりないけどね」
舌をペロッと出して笑う蓮。
凛「じゃあ、わざわざ一人暮らしなんてしなくても…」
蓮「でもあの部屋、3LDKでさ。あやめもさつきも自分の部屋がほしい歳だろうから。それなら、俺が別で部屋を借りて家を出たほうがいいと思って」
蓮の話に目を丸くして驚く凛。
蓮「母さん、看護師でさ。なにかあったとき、すぐになずのお迎え行けないから、一人暮らしするって言っても実家から近いところがよくて。そうしたら、こっちに引っ越してくるときにちょうど隣同士のマンションで空きがあったからここにしたんだ」
凛「じゃあ…もしかして、一人暮らしの部屋の家賃は…」
蓮「バイト代から払ってるよ。大家さんが母さんの知り合いだから、特別に安くしてもらってる。でも、大学の学費も貯めたいから、絶対にバイトを辞めるわけにはいかないんだ。だから、勉強がんばらないとなんだよね」
蓮の話を聞くと、部屋の家賃、光熱費、スマホ代、その他諸々の出費もすべてバイト代から支払っていた。
蓮の母親の収入からして、決して生活が苦しいというわけではない。
しかし、幼い妹たちのために、自分は早くに家を出て自立すると決めていた。
蓮「あやめは小さいときからダンスを習ってて、今はチアダンス部に入ってるんだけど、意外とセンスあるみたいでさ。チアの強豪校から高校の推薦がもらえそうなんだよね」
凛「…すごい!まだ中2なのに!」
蓮「うん、エースでがんばってるんだよね。さつきは将来医者になりたいみたいで、私立中学に入るために猛勉強中。なずは、前にテレビで見たヴァイオリニストが気に入ったみたいで、ヴァイオリンを習いたいって言い出したんだよね。それで一度ヴァイオリン教室の見学に行ったら、どうやらなずは絶対音感を持ってるってわかって。本人もやる気満々だから、習わせてやりたいんだよね。だから妹たちの将来のために、俺のバイト代が少しでも足しになったらと思って、俺もがんばってるんだよね」
蓮の見た目や言動から、自分とはまったく違う雰囲気の人間だと思い、当初蓮に対して嫌悪感に近い思いを抱いていた凛。
だが実際は、凛よりも大人で立派だということがわかり、そんなことを思っていた自分が恥ずかしくなる凛。
凛「…ごめん。わたし、戸倉くんのこと…誤解してた」
ぽつりと小さくつぶやく凛。
うつむく凛の頭にそっと手をのせる蓮。
蓮「謝らなくたっていいよ。だって俺、こんなのだし。それに、周りから誤解されてたってなんとも思ってないから」
蓮は、なにも気にしていないというふうに笑う。
蓮「それに、本当のことは凛ちゃんだけが知ってくれていたら、それで十分だから」
凛と視線を合わせるようにしてかがむ蓮。
蓮と目が合い、ドキッとして頬を赤くする凛。
◯凛の家、凛の部屋(夜、前述の続き)
蓮と別れて、家に帰ってきた凛はどこか上の空。
寝る前にベッドに横になってスマホを触る凛。
ふと頭の中に思い浮かぶのは、別れ際の蓮の顔。
蓮にDMを送りたくて、インスタを開ける凛。
しかし、だいぶ前に自分が返事をしないままで終わらせていたため、なんとDMを送ったらいいのかわからない。
蓮宛てのDMを開けたまま、指が固まる凛。
そのときちょうど蓮からDMが送られてくる。
蓮【今日は助かったよ、ありがとう。
凛ちゃんは風邪引いてない?
なずは熱も下がってぐっすり寝てるよ】
まるで息を合わせたかのようなタイミングできた蓮のDMにドキッとするも、頬をゆるませる凛。
凛【わたしは大丈夫だよ。
なずなちゃんも熱が下がってよかった】
そのあとも蓮とDMのやり取りをする凛。
その中で、いろいろなことが新たにわかる。
蓮のインスタ名【@R_A.S.N】は、前に3人の彼女の名前だと話していたが、それは妹3人の名前の頭文字だったということ。
インスタを新しく始めたあやめのことが心配で、閲覧用でアカウントを作ろうとしたところ、あやめが勝手に蓮のインスタ名を登録したと。
また、妹たちにお菓子を作ってあげるうちに、お菓子作りが得意になった。
そんな些細な話を蓮とDMで交わす凛。
知らない蓮のことがたくさん知れて、気づいたら夜の12時近くになっていた。
蓮【それじゃあ、凛ちゃん。おやすみ】
凛【おやすみなさい】
そう送った凛は、急に心の中に虚しさを感じる。
凛(どうしちゃったんだろう…わたし。もう寝ないといけないのに、戸倉くんともっと話したくてたまらない)
凛はキュッと握ったスマホを胸の中に包み込みながら眠る。
◯学校、2年2組の教室
数日後。
凛(それからというもの、わたしは戸倉くんのことが気になってしょうがなかった)
授業中、気づいたら蓮に目を向けている凛。
蓮が女の子と話している姿を見かけると、顔を背ける凛。
◯繁華街(休日、お昼)
久々に朋子と遊ぶ凛。
ファミレスでごはんを食べている。
朋子「そういえば、彼氏とはどう?」
凛「…えっ?…彼氏って?」
朋子「蓮くんだよ〜!あのイケメンの!」
朋子はにんまりとして、フォークでくるくるとまとめたパスタを口へと運ぶ。
凛(あ…、そうか。朋子ちゃんには、そういう話になってたんだった)
グラスに入った水をひと口飲む凛。
凛「なんていうか…。毎日のDMがすごく楽しいんだよね。新しい一面をたくさん知れて」
朋子「あ〜、わかるわかる〜♪連絡きてないかって、ずっとスマホ確認しちゃうもん」
凛「うん、そうなんだよね…。スマホなんて家族との連絡手段でしかなかったのに」
朋子「いやいや、彼氏との連絡手段としてもスマホは必須だって!」
凛「…そうなのかな。でも、毎日DMでやり取りしてるのに、学校で話せないないのが…どこかもどかしいんだよね」
視線を落とす凛。
キョトンとする朋子。
朋子「学校で話せないの?なんで?」
凛「…わたしなんかと話したら周りから不釣り合いって思われて、きっと馬鹿にされるだろうから」
朋子「もしかして、周りには秘密で付き合ってるの…!?」
目を丸くして驚く朋子。
凛(…本当は付き合ってなんてないけど)
と思いつつも、凛はぎこちなくうなずく。
凛「それに、いつも周りには他の女の子たちがいるから。わたしが話しかける隙間なんてないんだよね」
朋子「たしかにあんなにイケメンなら、他の女子が放ってはおかないよねっ」
朋子の言葉に納得するように、ハハハとむなしく笑う凛。
凛「ただの友達同士として話しているのはわかってるんだけど、なんだか…見てるのがつらいんだよね」
他の女の子と話して楽しそうに笑う蓮の姿を思い浮かべる凛。
唇をキュッと噛みしめる。
そんな凛の顔をのぞき込む朋子。
朋子「そんなの当たり前じゃん」
凛「え?」
朋子「彼氏が他の女子と話してるんでしょ?ヤキモチ焼いて当然だよっ」
その朋子の言葉に目を見開ける凛。
凛「…“ヤキモチ”?」
朋子「そうでしょ?モヤモヤしたりするんだよね?」
凛「う…うん」
朋子「じゃあ、もうそれってヤキモチじゃん!自分以外の女子と楽しく話してほしくないって思うのは、好きだったら当たり前に抱く感情だよ」
凛「す…“好き”!?」
驚いて、口をポカンと開ける凛。
凛「そ…そんな、“好き”とか…そういうのじゃなくてっ…」
朋子「付き合ってるのに、なに言ってるの凛ちゃん〜。学校でもそんな感じだったら、普段知らないバイト先だったら余計に心配になるんじゃない?」
凛「…バイト先?」
凛はキョトンとして、目をパチパチとさせる。
凛(朋子ちゃんの言うとおり、戸倉くんがバイトをしている姿は一度しか見たことがない。どんな人たちに囲まれて、どんな感じでバイトをしているかは…知らない)
モヤモヤしてきて、膝に置いた手をギュッと握りしめる凛。
凛(わたし、戸倉くんのこと…知った気になっていたけど、まだまだ知らないことがたくさんある)
ごくりとつばを呑む凛。
その凛の前に、自分のスマホ画面を見せる朋子。
朋子「そんなに気になるなら、いっしょにバイトしちゃえば?ほらっ」
朋子のスマホをのぞき込む凛。
スマホに表示されていたのは、蓮がバイトをしているカフェ『SUNNY』のSNSのアカウント。
そこには、【短期スタッフ募集中】と書かれた投稿があった。
朋子「つい最近、この募集を見かけたんだ〜。8月中だけの1ヶ月の短期間みたい。来週から夏休みだし、凛ちゃん応募してみたら?たしか凛ちゃんの学校って、成績上位者はバイトOKなんだよね?」
にこっと微笑む朋子。
求人情報が書かれたスマホをじっと見つめる凛。
◯凛の家、リビング(夜、前述の続き)
数日後。
夕食を終えたリビングでは、凛の母親はキッチンで食器を洗っていて、凛の父親はダイニングテーブルのところでイスに腰掛けて新聞を読んでいる。
凛「…あ、あの…!お父さん、お母さん…!」
父親と母親に声をかける凛。
凛「ちょっと相談したいことがあるんだけど…」
父親「なんだ?」
父親がメガネ越しに凛を見つめる。
ごくりとつばを呑む凛。
母親「どうかしたの?」
食器洗いで濡れた手をタオルで拭き、凛と父親がいるダイニングテーブルのところまでやってくる母親。
凛「あの…、その…」
スマホを握りしめ、もじもじする凛。
「バイトをしたい」と言っても、「ダメ」と言われるのはわかっていたため言いづらかった。
しかし、唇をキュッと噛み、意を決する。
凛「わたし、ここでバイトしてみたいの…!」
凛は、SUNNYの短期バイトのことが書かれたSNSの投稿を表示した自分のスマホ画面をダイニングテーブルの上に置く。
父親「…バイト?」
低い声でつぶやくと、険しい顔をして凛のスマホ画面をのぞき込む父親。
母親「あっ!知ってるわ、このカフェ。駅前の人気のところよね?…でも、バイトって」
初めは明るい声のトーンで話していた母親だったが、少し表情を曇らせる。
凛「バイトって言っても、1ヶ月間だけの短期なの…!ちょうど夏休みだし、…やってみたいなって」
母親「でも、凛。バイトなんかしてどうするの?今のお小遣いじゃ足りない?なにかほしいものでもあるの?」
凛「べ…べつに、そういうわけじゃ…」
正直な凛は、嘘がつけない。
かと言って、好きな人といっしょにバイトをしたいとも言うわけにもいかず口ごもる。
そんな凛に父親から鋭い視線が刺さる。
それがプレッシャーとなり、凛はうつむく。
凛「や……やっぱり…ダメだよね。ごめん、変なこと言って――」
父親「いいんじゃないか?」
突然口を開いた父親の言葉に、驚いて目を丸くしながら父親に目を向ける凛。
凛「…いいの?」
父親「ああ。凛の成績なら、バイトしてもいいんだろう?なにもやましいことをするわけじゃないんだから、凛の好きなようにしなさい」
母親「…お父さん、本当にいいの?バイトなんて初めてなのに、うまくできるかどうか…」
心配そうな表情を浮かべ、父親の隣に座る母親。
父親「何事も、“初めて”を経験しないとなにも始まらない。それに社会経験として、お金を稼ぐ大変さやありがたみを学ぶいい機会だろうし」
普段は仏頂面の父親が、頬をゆるませ凛に視線を移す。
凛「…ありがとう、お父さん!」
父親「そのかわり、自分でやると決めたのなら、途中で辞めたいなんて言って投げ出すんじゃないぞ。与えられた仕事は責任を持ってやりなさい」
凛「はい!」
満面の笑みの凛。
スマホを抱えて、軽い足取りで2階の自分の部屋へと上がっていく。
リビングに残された父親と母親。
父親の前にコーヒーを出す母親。
母親「でも、あなたがあんな簡単にバイトを許可するとは思わなかったわ」
父親「素直にうれしかったんだよ。内向的な凛が、勉強のこと以外で自分からなにかしたいと言ってきたのは初めてだったから。まさか、バイトをしたいと言い出すとは思わなかったが」
出されたコーヒーをひと口飲む父親。
母親「そうね〜。でも、急にどうしたのかしら。お金がほしいってわけでもなさそうだったし。もしかして、そのバイト先に好きな男の子でもいるとか…!?」
母親のその言葉に、コーヒーにむせる父親。
父親「バ…、バカなことを言うんじゃないっ」
母親「あらそう?最近の凛、学校に行くのもいつも楽しそうで、好きなコでもできたのかなと思っていたけど」
父親「もしそれがバイトをしたい理由なら、予めそのバイト先に偵察に行ってみないといけないな」
母親「そんなことしたら、娘に嫌われるわよ?それに、あなたみたいなおじさんが入れるようなところじゃないわよ。しかも、まだバイトの面接に受かったわけでもないのに〜」
クスクスと笑う母親。
父親「凛は素直で自慢の我が子だぞ。そんなコを雇わないわけないだろ」
母親「フフフ、親バカね」
父親「親バカで結構」
恥ずかしそうに少し頬を赤くしながら、ズズズとコーヒーをすする父親。
◯カフェ『SUNNY』、ホール(朝の開店時間前)
それから10日後。
数日前にあったバイトの面接で受かった凛は、SUNNYの制服を着てスタッフの前に立つ。
凛の隣には、もう1人の新規短期スタッフの男の子が立っている。
店長「それでは、今日から1ヶ月の短期でここで働いてもらうスタッフの2人です」
店長から他のスタッフに紹介される凛。
店長「それじゃあ、松井くんから自己紹介お願いします」
隆弘「は…はい!松井隆弘です。初めてのバイトで緊張していますが、よろしくお願いします…!」
拍手をするスタッフたち。
高校1年生の隆弘は、黒髪で小柄な男の子。
制服もサイズが大きいのか、少しダボッとしている。
店長「次は権田原さん、お願いします」
凛「…はいっ!ご…権田原凛です。わたしもアルバイトは初めてです…。…ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
深々と頭を下げる凛。
拍手をするスタッフ。
顔を上げる凛。
そのとき、スタッフの中に交じる蓮と目が合う。
にこりと微笑む蓮に対して、凛ははにかむ。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(前述の続き)
店長の前に並ぶ凛と蓮。
店長「権田原さんは、戸倉くんとは同じ学校なんだよね?」
凛「は…はい!」
店長「じゃあ、戸倉くんが権田原さんの指導係ってことでよろしくね」
蓮「は〜い。了解です!」
店長はその場を蓮に任せると、隆弘を他の指導係につけに事務所を出ていく。
蓮「それじゃあ、凛ちゃん。よろしくね」
凛「…はいっ!よろしくお願いします」
また深々と蓮に頭を下げる凛。
蓮「なんか堅くない?言葉遣いも前みたいに戻った感じがするんだけど」
凛「ここは職場なので…。それに、戸倉くんは職場の先輩という立場になるので敬語を…」
それを聞いて、思わずプッと吹き出す蓮。
蓮「堅い!堅い!そんな上下関係が厳しいところじゃないから。まぁ年上の人にはある程度敬語だけど、それでもラフだから…ここ!」
お腹を抱えて笑う蓮。
蓮「だから、俺に対してはいつもどおりでいいからね」
微笑む蓮に、凛は少し頬を赤くしながらうなずく。
◯カフェ『SUNNY』、冷凍庫の前(前述の続き)
大人の背丈よりも高い大きな冷凍庫のドアの前で立つ凛と蓮。
蓮「今から、冷凍庫の中の在庫を数えるよ。10分くらいで終わるだろうけど、こんな格好だと寒いから一応上着を着よう」
凛は、冷凍庫のそばにかけられていた上着を一着蓮から手渡される。
クーラーがきいた冷凍庫前の室内でその上着を着ると、若干汗ばむほど。
◯カフェ『SUNNY』、冷凍庫の中(前述の続き)
冷凍庫の中へ入る凛と蓮。
上着を着て、真夏の冷凍庫に入ると一瞬気持ちよく感じる。
しかしすぐに肌寒くなって、両腕を交差するようにして腕を擦る凛。
蓮「上着着てても寒いでしょ?すぐに終わらせよう」
凛「うん!」
蓮「あっ、凛ちゃん!そこにあるダンボールを冷凍庫のドアに挟んでくれる?」
冷凍庫のドアを中から手で支える蓮が指さす。
凛が冷凍庫の中から顔をのぞかせると、ドアのすぐそばにダンボールがあった。
蓮「この冷凍庫、外からは開けられるけど、中からは開けられないんだよね。だから、このダンボールを噛ませておく必要かあって」
凛「そうなんだね」
凛はダンボールを滑らせて、ドアに挟み込む。
半開きのままになるドア。
中で作業をする凛と蓮。
蓮「凛ちゃんからDMで、ここの短期のバイトをしたいって相談されたときはびっくりしたよ」
凛「な…夏休みだしっ。なにか新しいこと初めてみたいなって思って」
凛(本当は、バイトでの戸倉くんの様子が気になって…なんてことは言えない)
凛は悟られないように作業をする。
蓮「俺も凛ちゃんといっしょにバイトできるならうれしいし、店長にめっちゃ推しておいた!」
凛「…えっ!それでわたし…コネみたいな感じで面接に合格したの…?」
蓮「ううん、決してそういうわけではないよ!ちゃんと凛ちゃんの人柄を見て採用ってなったわけだし。店長も言ってたよ。権田原さんは真面目で純粋そうだからって」
褒められて、恥ずかしくなって顔が熱くなる凛。
蓮「それにしても、よくバイト許してもらえたよね?お父さんもお母さんも厳しい人だって、前に話してなかったっけ?」
凛「うん。だから、わたしもびっくりしちゃった。だけどお父さんが、お金を稼ぐことの大変さやありがたみを知るいい機会だって言ってくれて」
蓮「そうなんだ。いいお父さんだね」
…パタン
そのとき、静かな物音がかすかに聞こえ、同時に作業する手が止まる凛と蓮。
顔を見合わせた2人は、ゆっくりとドアのほうへ目を向ける。
さっきダンボールを噛ませて半開きになっていたドアは、ピッタリと閉まっていた。
凛「…えっ!?」
慌ててドアに駆け寄る凛。
何度も手で押すが、ドアはびくともしない。
おそるおそる蓮のほうを振り返る凛。
蓮「う〜ん。どうやら、閉じ込められちゃったみたいだね」
蓮は困ったように眉を下げて微笑む。
閉じ込められたらとわかり、顔面蒼白になる凛。
それから数週間後。
今日も蓮の席の周りには、女の子たちが集まっている。
クラスメイトたち「蓮、聞いたよ!駅前の『SUNNY』でバイトしてるんだってね」
クラスメイトたち「うっそー!?バイトなんかしてていいの?バレたらやばくない?」
蓮が『SUNNY』というカフェでバイトしているという噂が流れる。
蓮「ちゃんと学校には許可もらってるよ」
クラスメイトたち「許可?」
クラスメイトたち「あっ、知ってるー。なんかウチって、テストの成績がいい生徒はバイトOKなんだってー」
クラスメイトたち「なにそれー!知らなかった〜」
蓮の周りで口々に話す女の子たち。
クラスメイトたち「でも、なんでSUNNYで?あそこ、人気のお店だから大変じゃない?」
蓮「人気だからこそ、かわいい女のお客さんがいっぱいくるんだよ」
クラスメイトたち「うわっ、出た!さすがプレイボーイ」
同じ教室内で読書をしている凛。
しかし、本当は蓮たちの話が気になってしょうがない。
凛(かわいい女のお客さんがいっぱいくる…か)
凛は、この前繁華街で蓮がかわいい女の子と歩いていた姿を思い出す。
凛(あれは…彼女?それとも、バイトで知り合ったお客さんとかなのかな)
ずっとそのことが気になっていた凛。
蓮との何気なくやり取りしていたDMも、あの日以来凛が返事を返さないままで止まっている。
普段から、学校ではほとんど会話もしない。
クラスメイトたち「今日はバイト?蓮がいるなら、SUNNY行ってみようかな〜♪」
蓮「残念でした。今日は、放課後に学級委員の集まりがあるって前々からわかってたから休みにしてるんだよね」
クラスメイトたち「え〜、そうなの〜?ていうか、蓮ってちゃんとそういうの参加するんだ〜」
蓮「俺、こう見えて学級委員ですからっ」
おどけたように、キメ顔をする蓮。
クラスメイトたち「いや、そんなかっこいい顔したって見えない見えない!」
クラスメイトたち「ただ、くじ引きでなっちゃっただけでしょ〜。そんなにがんばらなくたっていいのに」
蓮「そうはいったって、凛ちゃん1人に任せるわけにはいかないしね」
プレイボーイの蓮の言うことだとわかっていても、その言葉に少しだけキュンとしてしまう凛。
クラスメイトたち「それにしても、蓮ってゴンさんと何気に仲よくない?」
クラスメイトたち「学級委員の集まりとはいえ、ゴンさんといっしょにいて楽しい?」
そんな会話が聞こえ、ごくりとつばを呑む凛。
本を読むフリをしながら、蓮の返答をドキドキしながら待つ。
蓮「楽しいよ」
それを聞いて、顔がぽっと赤くなる凛。
蓮「俺、女の子とだったらだれといたって楽しいし♪」
しかし、その言葉に落胆する。
凛のメガネがずり下がる。
凛(でも、今日の学級委員の集まり…。戸倉くんとなにを話したらいいんだろう)
久々に蓮といっしょになれるといううれしさ半分、繁華街で見た女の子とのツーショットが脳裏に浮かび、凛は複雑な思いを抱いていた。
◯学校、廊下(前述の続き)
もうすぐ昼休みが終わろうとする頃。
お手洗いに行っていた凛は、予鈴の音を聞いて足早に教室へと戻る。
蓮〈もしもし?〉
そのとき、廊下の角から蓮の声が聞こえる。
蓮〈あ、うん。予鈴鳴ったところで、もうすぐ5限が始まるけど――〉
凛は、角からゆっくりとのぞく。
スマホを耳にあて、電話をしている蓮がいる。
蓮〈…えっ、そうなの!?…それはヤバイだろ〉
緊急事態なのか、蓮の顔色が変わる。
蓮〈それなら、わかった。うん、今から向かうから安心して〉
深刻そうな表情をして電話を切る蓮。
凛は気づかれないように、そっと教室へと戻る。
◯学校、2年2組の教室(前述の続き)
次の英語の授業の教科書やノートを机の上に準備して、先生がくるのを待つ凛。
そのすぐあとに蓮が教室に戻ってくる。
蓮は自分の席に向かうと、机の横にかけていたリュックを机の上に置く。
その中に、ペンケースなどをしまっていく蓮。
その姿を周りのクラスメイトたちは不思議そうに見ている。
クラスメイトたち「どうしたの、蓮?」
クラスメイトたち「えっ…、帰るの?」
蓮「うん。ちょっと急用ができて」
クラスメイトたち「急用?…あっ!もしかして〜、彼女に呼び出されたとか〜?」
茶化すようにニヤニヤしながら蓮に話しかける女の子。
その女の子に、蓮は真顔で答える。
蓮「うん、そう。彼女が熱出したみたいだから、今すぐ行ってあげないといけないんだよね」
思いもよらない言葉が返ってきて、唖然とする女の子。
蓮はリュックを背負うと、凛のもとへやってくる。
蓮「凛ちゃん、ごめん。俺、急用で今から帰るから、今日の学級委員の集まり…行けないや」
凛「か…かまいません」
蓮「ほんとごめんね」
蓮は申し訳なさそうに眉を下げると、足早に教室から出ていく。
そんな蓮の後ろ姿をクラスメイトたちの女の子が見つめる。
蓮がいなくなると、ヒソヒソ話を始める。
クラスメイトたち「…聞いた?彼女が熱出したからって、早退だって!」
クラスメイトたち「その発言にはびっくりした。蓮ってプレイボーイじゃないの?彼女には一途なの?」
クラスメイトたち「知らな〜い。けど、3人もいるうちの1人なら、一途でもなんでもないでしょっ」
クラスメイトたち「たしかに〜!…でも、ちょっとその彼女がうらやましいかも」
クラスメイトたち「…ね。蓮もあんなマジな顔するんだ」
クラスメイトたち「ほんとほんと!蓮を本気にさせるって、どんな彼女なんだろっ」
凛もその会話には興味があった。
蓮は、これまでいっしょになった学級委員の男の子とは違い協力的。
今日の集まりも、事前にわかっていたためバイトを入れないで参加するつもりでいた。
それなのに、電話一本かかってきただけで早退してしまった。
凛(…ということは、さっきの電話の相手が彼女ってことだよね)
凛の頭の中に、繁華街で見かけたかわいい女の子の顔が浮かぶ。
凛(戸倉くんは、適当な理由で学級委員の集まりをサボったりなんかしないことは知っている。…でも、学校を早退してまで彼女のもとに駆けつけたいんだ)
凛は胸がキュウっと締めつけられる。
ため息をつく凛。
◯駅前、繁華街(放課後)
学級委員の集まりを終えた凛は、繁華街にやってきていた。
母親【醤油切らしちゃったんだけど、学校帰りに買ってきてくれる?お願いね】
母親からのメッセージが表示されたスマホを見つめながら、スーパーにやってきた凛。
醤油を買い外に出ると、ちょうど雨が降り出した。
地面に落ちた雨粒が跳ね上がるほどの激しい雨。
憂鬱そうに空を見上げる買い物客たち。
買い物客たち「どうしよ〜。傘なんて持ってないよ〜」
買い物客たち「仕方ないけど、傘も買ってくる?」
買い物客たち「…待って!スマホで天気予報見たら、あと10分くらいで止むみたい」
買い物客たち「よかった。ただのにわか雨か」
凛はそんな会話を聞きながら、腕にかけていた花柄の紺色の傘を広げる。
朝の天気予報で、今日は夕方ににわか雨の可能性があると聞いていた凛は、大きめの傘を持ってきていた。
そのまま家に帰ろうとする。
そのとき、凛のそばをスーパーから出てきただれかが通り過ぎる。
買い物袋を両手に下げ、降りしきる雨の中を駆けていく――バターブロンドの金髪。
凛「戸倉くん…!」
とっさに声をかける凛。
その声に反応した蓮が振り返る。
蓮「凛ちゃん!?」
凛「なにしてるの、濡れちゃうよ…!?」
凛は蓮に駆け寄ると傘の中へ入れる。
凛「こんな雨の中、傘もささないなんて無茶だよ…!」
蓮「でも俺の家、この近くだし」
毛先からしずくを滴らせて微笑む蓮。
凛「あと10分くらいで止むみたいだから、スーパーで雨宿りしたらいいのに」
蓮「でも、その10分でさえも待てないんだよね。今すぐ帰ってやりたいから」
その蓮の言葉に、はっとする凛。
今日の昼休みの終わり頃のことを思い出す。
クラスメイトたち『急用?…あっ!もしかして〜、彼女に呼び出されたとか〜?』
蓮『うん、そう。彼女が熱出したみたいだから、今すぐ行ってあげないといけないんだよね』
ふと、蓮の買い物袋の中身が少しだけ見える。
中には、アイスやゼリーが入っている。
凛(熱を出した彼女に、早く届けたいんだ…)
悟った凛は言葉が出ない。
蓮「凛ちゃん、傘ありがとう。俺、もう行くね」
凛「…あっ、でもこの雨の中じゃ、戸倉くんが風邪引いちゃう…!」
蓮「大丈夫だって。俺、あんまり風邪とか引かないから」
凛「…ダメだよ!そういう油断が風邪に繋がるんだからっ」
凛は、自分の傘を蓮に押しつける。
そうなったら凛が濡れるからダメだと、必死に断る蓮。
押し問答の凛と蓮。
◯蓮の家のマンションの前(前述の続き)
3階建てのマンション。
蓮がマンションのエントランスで鍵を挿し、オートロックが解除されたガラスのドアが開く。
蓮「凛ちゃん、傘ありがとう。急いでたから、ほんと助かったよ」
微笑む蓮。
そんな蓮を後ろから眺める凛。
凛(結局、いっしょに傘に入ることになって、こうして戸倉くんの家まできてしまった…)
マンションには入らず、エントランスで固まる凛。
凛(だけど、たしか…熱を出したのは彼女だったよね?…ということは、ここは彼女の家?)
動かない凛を不思議に思い、振り返る蓮。
蓮「凛ちゃん、そんなところで突っ立ってどうしたの?」
凛「い…いや、わたしは…」
なにか適当な理由をつけて帰ろうとする凛。
凛(さすがに、戸倉くんの彼女の家に上がり込むのは…いくらなんでもマズイよね。あんただれって絶対なるし…)
キョトンとして首をかしげる蓮。
蓮「早くおいでよ。俺に半分傘貸してくれたから、凛ちゃんも濡れちゃったでしょ?タオル貸すから、ウチに上がって」
その蓮の言葉に、目を丸くする凛。
凛(“ウチ”…?ってことは、ここは戸倉くんの家?…でも、熱が出てる彼女がいるということは、もしかして戸倉くんの家で…同棲!?)
困惑する凛。
凛「い…いや!本当にわたしは大丈夫だから…!ちょっと濡れただけだし、こんなの全然たいしたことないから…!」
なんとか理由をつけ、マンションから出ていこうとする凛。
凛に駆け寄る蓮。
凛の腕をつかむ。
蓮「ダメだよ。そういう油断が風邪に繋がるんだから。…って、さっき凛ちゃんが俺に言ってくれたでしょ」
蓮にそう言われ、言葉を返せない凛。
蓮「さっ、早く早く。本当に風邪引いちゃうから」
凛は蓮に連れられて、マンションの中へと入っていく。
◯蓮の家のマンション、303号室(前述の続き)
【303】と表札にかかれた部屋のドアの前に立つ凛と蓮。
ドアの鍵穴に鍵をさす蓮。
その後ろで、顔を引きつらせながら無理やり笑みをつくって微笑む凛。
凛(流れで部屋の前まできちゃったけど、…どうしよう。玄関でタオルだけ借りたら、すぐに帰ろう…!)
部屋のドアを開ける蓮。
ドキドキしながら、蓮の後ろに立つ凛。
蓮「ごめんね、玄関散らかってるけどそこで待ってて。今、タオル持ってくるから」
そう言って、買い物袋を下げた蓮が部屋の奥へと消えていく。
玄関は、大人4人が収まるほどのスペース。
足元を見ると、女性ものの靴やサンダルがたくさん並んでいる。
凛(これ、全部彼女のかな)
落ち着きなく、キョロキョロと足元に並んだ靴を眺める凛。
蓮「お待たせ」
そこへ、タオルを手にした蓮が戻ってくる。
蓮も頭からタオルをかぶり、わしゃわしゃと拭いている。
凛「あ…ありがとう」
凛は濡れた髪や肩を簡単に拭くと、すぐに蓮にタオルを返す。
凛「それじゃあ、わたしはこれで――」
?「だれ?お客さん?」
そのとき、部屋の奥から女の人の声が聞こえる。
彼女の声かと思い、ドキッと目を見開く凛。
足音が近づいてくる。
玄関から正面にあるドアがゆっくりと開く。
凛(…どうしよう!彼女に見つかっちゃう…!)
どぎまぎする凛は、とっさに蓮の後ろに隠れる。
ドアを開けて現れたのは、肩につくかつかないくらいの黒髪ミディアムヘアの女の子。
てっきりこの前見かけた茶髪のロングヘアの女の子が出てくるものと思っていた凛はキョトンとする。
雰囲気もなんとなく凛に似ている物静かな女の子。
大人っぽい落ち着きはあるが、幼さが残る顔立ち。
凛(戸倉くんの…彼女?小学生くらいにしか見えないけど…)
不思議そうに目をパチパチとさせる凛。
蓮「あっ、さつき」
そう言って、振り返る蓮。
歩み寄ってくるさつきに説明する蓮。
蓮「スーパー行ったら学校の友達に会って。雨降り出したから、ここまで傘に入れてもらったんだ」
さつき「そうだったんだ。新しい学校の友達、初めて見た」
蓮「俺だって、友達くらいいるに決まってるだろ」
親しげに話す蓮とさつき。
さつきがふと凛に顔を向ける。
目を細めて、じっと凛を見つめるさつき。
凛(…うぅ。なんかわたし…にらまれてる?…て、そうだよね。知らない人がいきなりきたんだから)
凛を見つめるさつきの前に、蓮が遮るように立つ。
蓮「さつき、メガネ!メガネ!」
さつき「え…?あっ、ほんどだ。取ってくる」
メガネをしていないことに気づいたさつきは、パタパタとリビングのほうへ駆けていく。
蓮「ごめんね、凛ちゃん。さつき、目が悪くて。べつに、にらんでたわけじゃないから気にしないで」
凛「…あ、ううん。それよりもわたし、お邪魔になるからそろそろ――」
そう言って、玄関のドアのドアノブを握ろうとする凛。
?「なになに〜?学校のおともだち〜?」
するとまた、奥から声が聞こえる。
甲高い女の人の声――というよりは、女の子の声。
さつきが閉めたドアを開けて出てきたのは、蓮の半分ほどの身長の小さな女の子。
パジャマ姿で、頬がほんのり赤く、額に冷えピタを貼っている。
蓮「あっ、コラ、なず!ちゃんと寝てないとダメだろ」
なずな「だって〜。新しい学校のおともだち、なずも見てみたかったんだもん〜」
蓮に抱きつくなずな。
そんななずなをひょいっと抱っこして持ち上げる蓮。
凛「えっと…、そのコは……」
落ち着きのある『さつき』という名前の女の子が出てきたかと思いきや、新たな小さな女の子の登場に状況が把握できない凛。
蓮は、抱っこしたなずなと顔を見合わせる。
蓮「ほら、なず。ごあいさつは?」
なずな「とくらなずなです!5さいです!」
なずなは凛に向かって手を広げ、5歳だということをアピールする。
凛「…えっ。と…“とくら”?」
蓮「うん、俺の妹。かわいいでしょ?」
蓮はなずなの頬に自分の頬をすり合わせる。
蓮「ほら、なず。さっきよりも熱いぞ。アイスとかゼリー買ってきたから、それ食べて薬飲んで寝るんだぞ。わかった?」
なずな「うん、わかった!」
大きくうなずくなずな。
蓮「さつきー!なず連れてって」
さつき「今そっち行くー」
そう言ってやってきたのは、さっきの物静かな女の子。
取りに行ったメガネをかけている。
さつき「さっきはすみませんでした。メガネをかけてなくて、顔がよく見えなくて…」
凛にペコッと軽く頭を下げるさつき。
さつき「戸倉さつきです。兄がいつもお世話になっております」
凛「い…いえ!こちらこそ、お世話になっておりますっ…!」
さつきに丁寧なあいさつをされ、深々と頭を下げる凛。
蓮がなずなを下へ下ろすと、なずなの手をさつきが握る。
なずなは凛に手を振りながら、さつきといっしょにリビングへ入っていく。
凛「…びっくりした。戸倉くんって、歳の離れた妹さんが2人もいたんだね」
蓮「うん。さつきが11歳で、なずなが5歳」
妹たちが入っていったリビングのドアを穏やかなまなざしで見つめる蓮。
蓮「あ〜、それと。妹は2人じゃないよ?」
凛「…え?」
首をかしげる凛。
そのとき、背後の玄関のドアが開く音がする。
?「ただいま〜」
その声に反応して振り返る凛。
そこにいたのは、茶髪のロングヘアをサイドで1つに結んだ女の子。
繁華街で、蓮と並んで歩いていた女の子だ。
凛(あのときの…彼女だ…!)
無意識に一歩後退りする凛。
蓮「あやめ、おかえり」
その凛の後ろから、蓮の声が聞こえる。
凛(…えっ。今、『ただいま』『おかえり』って言った…?)
驚いて蓮のほうを振り返る凛。
あやめ「あれ?お客さん?」
キョトンとした表情で凛を見つめるあやめ。
あやめのほうが身長が高く、凛を見下ろすかたちになる。
あやめ「お兄ちゃんの学校と同じ制服…。もしかして、お兄ちゃんの彼女!?」
キラキラとした憧れのようなまなざしで凛を見て、顔を近づけるあやめ。
突然のことで凛は体をのけ反らせ、靴箱にもたれかかる。
蓮「あやめ、ちょっと…。凛ちゃん引いてるからっ」
食い気味のあやめと引き気味の凛との間に割って入る蓮。
やれやれというふうに、蓮はため息をつく。
蓮「凛ちゃんは、同じクラスの友達。俺のせいで雨に濡れちゃったから、タオル貸そうと思って連れてきただけ」
あやめ「な〜んだ、そうなんだっ」
あやめはつまらなさそうに口を尖らせる。
あやめ「そういえばなず、お熱なんだっけ!?」
蓮「ああ。今は元気そうだけど、食べられるもの食べさせて寝かしておいて」
あやめ「うん、わかった」
あやめは玄関でローファーを脱ぐと、蓮を避けるようにして上がる。
そこでくるりと凛のほうを振り返るあやめ。
あやめ「どうぞ、ごゆっくり…♪」
あやめはにこりと笑うと、リビングへ入っていく。
パタンとリビングのドアが閉まり、蓮はポリポリと頭をかきながら凛に顔を向ける。
蓮「ごめんね、騒がしくて」
凛「ううん、大丈夫。それよりも…さっきの人……」
蓮「あやめのこと?あれが、一番年上の妹だよ。14歳」
凛「…14歳!?」
驚く凛。
凛(大人っぽいから同い年くらいかと思っていたけど3つも年下だったんだ…)
凛はポカンと口が開く。
凛「わたし…てっきり、戸倉くんの彼女なんだと…」
恥ずかしそうに話す凛に、頬をゆるませクスクスと笑う蓮。
蓮「でも凛ちゃん、あやめに会ったことあったっけ?」
凛「あ…、いや…。前に…繁華街で。戸倉くんといっしょに歩いているところを見かけて…」
少し考え込む蓮。
すぐに、なにかひらめいたようにはっとする。
蓮「あ〜!母さんの誕生日が近かったから、あやめといっしょにプレゼントを買いに行ってたんだよ。そのときじゃないかな?」
凛に微笑みかける蓮。
その表情を見て、あのとき目撃した2人の謎が解けて、ほっとする凛。
蓮「2人で歩いてたら、よく間違われるんだよね」
凛「う…うん。どっちも美男美女で、お似合いに見えたから」
蓮「凛ちゃん、それは言い過ぎだって!…でも、俺にとっては妹3人ともみんな大切な存在だから、ある意味守ってあげたい『彼女』ではあるけどね」
白い歯を見せ笑う蓮。
その言葉にはっとする凛。
凛「…もしかして!『彼女が3人いる』っていう噂は…」
蓮「うん。あやめとさつきとなずなのこと。だから本当のところ、彼女なんていないんだよね」
おどけたように舌をペロッと出す蓮。
凛「じゃあ、今日早退するときに言ってた…『熱が出た彼女』っていうのも…」
蓮「なずのこと。保育園から迎えにきてほしいって連絡があったって母さんから電話がかかってきて。でも、母さんは仕事抜け出せないから、かわりに俺が保育園まで迎えに行ってたんだ。だから、学級委員の集まりに行けなくて、ごめんね」
凛「ううん、そんなこと…」
新たにわかった事実に驚く凛。
『彼女が3人いる』と噂されていたチャラいプレイボーイは、妹を大事に思う兄だったということが判明する。
蓮「シスコンで引いた?ウチ、4年前に父さんを病気で亡くしてるから、俺が父親がわりみたいなもので。それもあってか、いつも自分のことよりも妹たちのこと優先しちゃって」
はにかみながら微笑む蓮。
その顔は、今までに見たことがないくらい清々しい笑顔だった。
蓮の新しい一面を知って、うれしさがじわりとこみ上げる凛。
凛「そんなことで引いたりなんかしない…!家族を大切に思ってるって、気恥ずかしくてなかなか言葉にできなかったりするけど、それを堂々と語れる戸倉くんはとってもかっこいいよ…!」
凛のその言葉に一瞬ポカンとなる蓮。
そんな蓮の表情を見て、顔が徐々に熱くなる凛。
凛(わたしったら…勢いに任せて、『かっこいい』なんて本人に向かって…なんてことを言ってるんだろう…!!)
恥ずかしくなった凛は、蓮に背中を向ける。
その凛の背中を優しいまなざしで見つめる蓮。
蓮「よかった。秘密を知られたのが、凛ちゃんで」
背中から蓮の言葉が聞こえ、目を丸くする凛。
蓮「下まで送るよ。凛ちゃんも早く帰らないと、家族の人が心配するよね」
凛「それなら、わたしはここで大丈夫。戸倉くんは、なずなちゃんの看病を――」
蓮「あやめとさつきがいるから大丈夫だよ。だから、送るくらいさせて?それに、部屋に取りに行きたいものもあったから」
そう言って、ローファーをはく蓮。
凛(…部屋?って、戸倉くんの家はここじゃないの?)
不思議に思いながらも、凛は蓮といっしょに外へ出る。
◯蓮の家のマンションの前(前述の続き)
水たまりが残る歩道で向かい合う凛と蓮。
蓮「本当にすぐに止んだね。でも、熱が出たなずとさつきを待たせてたから、あそこで雨宿りなんてしてる暇なかったんだよね」
ハハハと軽く笑う蓮。
凛(本当に、戸倉くんは家族思いなんだな)
微笑みながら、蓮を見つめる凛。
凛「そういえば、部屋に取りに行きたいものがあると言っていたのは…」
蓮「あ〜、うん。俺の部屋、こっちのマンションなんだよね」
そう言って、蓮は隣の5階建てのマンションを指さす。
凛「…えっ」
そのマンションを見上げる凛。
蓮「俺、一人暮らししてるんだ。って言っても、実家の隣のマンションだから、一人暮らし感はあんまりないけどね」
舌をペロッと出して笑う蓮。
凛「じゃあ、わざわざ一人暮らしなんてしなくても…」
蓮「でもあの部屋、3LDKでさ。あやめもさつきも自分の部屋がほしい歳だろうから。それなら、俺が別で部屋を借りて家を出たほうがいいと思って」
蓮の話に目を丸くして驚く凛。
蓮「母さん、看護師でさ。なにかあったとき、すぐになずのお迎え行けないから、一人暮らしするって言っても実家から近いところがよくて。そうしたら、こっちに引っ越してくるときにちょうど隣同士のマンションで空きがあったからここにしたんだ」
凛「じゃあ…もしかして、一人暮らしの部屋の家賃は…」
蓮「バイト代から払ってるよ。大家さんが母さんの知り合いだから、特別に安くしてもらってる。でも、大学の学費も貯めたいから、絶対にバイトを辞めるわけにはいかないんだ。だから、勉強がんばらないとなんだよね」
蓮の話を聞くと、部屋の家賃、光熱費、スマホ代、その他諸々の出費もすべてバイト代から支払っていた。
蓮の母親の収入からして、決して生活が苦しいというわけではない。
しかし、幼い妹たちのために、自分は早くに家を出て自立すると決めていた。
蓮「あやめは小さいときからダンスを習ってて、今はチアダンス部に入ってるんだけど、意外とセンスあるみたいでさ。チアの強豪校から高校の推薦がもらえそうなんだよね」
凛「…すごい!まだ中2なのに!」
蓮「うん、エースでがんばってるんだよね。さつきは将来医者になりたいみたいで、私立中学に入るために猛勉強中。なずは、前にテレビで見たヴァイオリニストが気に入ったみたいで、ヴァイオリンを習いたいって言い出したんだよね。それで一度ヴァイオリン教室の見学に行ったら、どうやらなずは絶対音感を持ってるってわかって。本人もやる気満々だから、習わせてやりたいんだよね。だから妹たちの将来のために、俺のバイト代が少しでも足しになったらと思って、俺もがんばってるんだよね」
蓮の見た目や言動から、自分とはまったく違う雰囲気の人間だと思い、当初蓮に対して嫌悪感に近い思いを抱いていた凛。
だが実際は、凛よりも大人で立派だということがわかり、そんなことを思っていた自分が恥ずかしくなる凛。
凛「…ごめん。わたし、戸倉くんのこと…誤解してた」
ぽつりと小さくつぶやく凛。
うつむく凛の頭にそっと手をのせる蓮。
蓮「謝らなくたっていいよ。だって俺、こんなのだし。それに、周りから誤解されてたってなんとも思ってないから」
蓮は、なにも気にしていないというふうに笑う。
蓮「それに、本当のことは凛ちゃんだけが知ってくれていたら、それで十分だから」
凛と視線を合わせるようにしてかがむ蓮。
蓮と目が合い、ドキッとして頬を赤くする凛。
◯凛の家、凛の部屋(夜、前述の続き)
蓮と別れて、家に帰ってきた凛はどこか上の空。
寝る前にベッドに横になってスマホを触る凛。
ふと頭の中に思い浮かぶのは、別れ際の蓮の顔。
蓮にDMを送りたくて、インスタを開ける凛。
しかし、だいぶ前に自分が返事をしないままで終わらせていたため、なんとDMを送ったらいいのかわからない。
蓮宛てのDMを開けたまま、指が固まる凛。
そのときちょうど蓮からDMが送られてくる。
蓮【今日は助かったよ、ありがとう。
凛ちゃんは風邪引いてない?
なずは熱も下がってぐっすり寝てるよ】
まるで息を合わせたかのようなタイミングできた蓮のDMにドキッとするも、頬をゆるませる凛。
凛【わたしは大丈夫だよ。
なずなちゃんも熱が下がってよかった】
そのあとも蓮とDMのやり取りをする凛。
その中で、いろいろなことが新たにわかる。
蓮のインスタ名【@R_A.S.N】は、前に3人の彼女の名前だと話していたが、それは妹3人の名前の頭文字だったということ。
インスタを新しく始めたあやめのことが心配で、閲覧用でアカウントを作ろうとしたところ、あやめが勝手に蓮のインスタ名を登録したと。
また、妹たちにお菓子を作ってあげるうちに、お菓子作りが得意になった。
そんな些細な話を蓮とDMで交わす凛。
知らない蓮のことがたくさん知れて、気づいたら夜の12時近くになっていた。
蓮【それじゃあ、凛ちゃん。おやすみ】
凛【おやすみなさい】
そう送った凛は、急に心の中に虚しさを感じる。
凛(どうしちゃったんだろう…わたし。もう寝ないといけないのに、戸倉くんともっと話したくてたまらない)
凛はキュッと握ったスマホを胸の中に包み込みながら眠る。
◯学校、2年2組の教室
数日後。
凛(それからというもの、わたしは戸倉くんのことが気になってしょうがなかった)
授業中、気づいたら蓮に目を向けている凛。
蓮が女の子と話している姿を見かけると、顔を背ける凛。
◯繁華街(休日、お昼)
久々に朋子と遊ぶ凛。
ファミレスでごはんを食べている。
朋子「そういえば、彼氏とはどう?」
凛「…えっ?…彼氏って?」
朋子「蓮くんだよ〜!あのイケメンの!」
朋子はにんまりとして、フォークでくるくるとまとめたパスタを口へと運ぶ。
凛(あ…、そうか。朋子ちゃんには、そういう話になってたんだった)
グラスに入った水をひと口飲む凛。
凛「なんていうか…。毎日のDMがすごく楽しいんだよね。新しい一面をたくさん知れて」
朋子「あ〜、わかるわかる〜♪連絡きてないかって、ずっとスマホ確認しちゃうもん」
凛「うん、そうなんだよね…。スマホなんて家族との連絡手段でしかなかったのに」
朋子「いやいや、彼氏との連絡手段としてもスマホは必須だって!」
凛「…そうなのかな。でも、毎日DMでやり取りしてるのに、学校で話せないないのが…どこかもどかしいんだよね」
視線を落とす凛。
キョトンとする朋子。
朋子「学校で話せないの?なんで?」
凛「…わたしなんかと話したら周りから不釣り合いって思われて、きっと馬鹿にされるだろうから」
朋子「もしかして、周りには秘密で付き合ってるの…!?」
目を丸くして驚く朋子。
凛(…本当は付き合ってなんてないけど)
と思いつつも、凛はぎこちなくうなずく。
凛「それに、いつも周りには他の女の子たちがいるから。わたしが話しかける隙間なんてないんだよね」
朋子「たしかにあんなにイケメンなら、他の女子が放ってはおかないよねっ」
朋子の言葉に納得するように、ハハハとむなしく笑う凛。
凛「ただの友達同士として話しているのはわかってるんだけど、なんだか…見てるのがつらいんだよね」
他の女の子と話して楽しそうに笑う蓮の姿を思い浮かべる凛。
唇をキュッと噛みしめる。
そんな凛の顔をのぞき込む朋子。
朋子「そんなの当たり前じゃん」
凛「え?」
朋子「彼氏が他の女子と話してるんでしょ?ヤキモチ焼いて当然だよっ」
その朋子の言葉に目を見開ける凛。
凛「…“ヤキモチ”?」
朋子「そうでしょ?モヤモヤしたりするんだよね?」
凛「う…うん」
朋子「じゃあ、もうそれってヤキモチじゃん!自分以外の女子と楽しく話してほしくないって思うのは、好きだったら当たり前に抱く感情だよ」
凛「す…“好き”!?」
驚いて、口をポカンと開ける凛。
凛「そ…そんな、“好き”とか…そういうのじゃなくてっ…」
朋子「付き合ってるのに、なに言ってるの凛ちゃん〜。学校でもそんな感じだったら、普段知らないバイト先だったら余計に心配になるんじゃない?」
凛「…バイト先?」
凛はキョトンとして、目をパチパチとさせる。
凛(朋子ちゃんの言うとおり、戸倉くんがバイトをしている姿は一度しか見たことがない。どんな人たちに囲まれて、どんな感じでバイトをしているかは…知らない)
モヤモヤしてきて、膝に置いた手をギュッと握りしめる凛。
凛(わたし、戸倉くんのこと…知った気になっていたけど、まだまだ知らないことがたくさんある)
ごくりとつばを呑む凛。
その凛の前に、自分のスマホ画面を見せる朋子。
朋子「そんなに気になるなら、いっしょにバイトしちゃえば?ほらっ」
朋子のスマホをのぞき込む凛。
スマホに表示されていたのは、蓮がバイトをしているカフェ『SUNNY』のSNSのアカウント。
そこには、【短期スタッフ募集中】と書かれた投稿があった。
朋子「つい最近、この募集を見かけたんだ〜。8月中だけの1ヶ月の短期間みたい。来週から夏休みだし、凛ちゃん応募してみたら?たしか凛ちゃんの学校って、成績上位者はバイトOKなんだよね?」
にこっと微笑む朋子。
求人情報が書かれたスマホをじっと見つめる凛。
◯凛の家、リビング(夜、前述の続き)
数日後。
夕食を終えたリビングでは、凛の母親はキッチンで食器を洗っていて、凛の父親はダイニングテーブルのところでイスに腰掛けて新聞を読んでいる。
凛「…あ、あの…!お父さん、お母さん…!」
父親と母親に声をかける凛。
凛「ちょっと相談したいことがあるんだけど…」
父親「なんだ?」
父親がメガネ越しに凛を見つめる。
ごくりとつばを呑む凛。
母親「どうかしたの?」
食器洗いで濡れた手をタオルで拭き、凛と父親がいるダイニングテーブルのところまでやってくる母親。
凛「あの…、その…」
スマホを握りしめ、もじもじする凛。
「バイトをしたい」と言っても、「ダメ」と言われるのはわかっていたため言いづらかった。
しかし、唇をキュッと噛み、意を決する。
凛「わたし、ここでバイトしてみたいの…!」
凛は、SUNNYの短期バイトのことが書かれたSNSの投稿を表示した自分のスマホ画面をダイニングテーブルの上に置く。
父親「…バイト?」
低い声でつぶやくと、険しい顔をして凛のスマホ画面をのぞき込む父親。
母親「あっ!知ってるわ、このカフェ。駅前の人気のところよね?…でも、バイトって」
初めは明るい声のトーンで話していた母親だったが、少し表情を曇らせる。
凛「バイトって言っても、1ヶ月間だけの短期なの…!ちょうど夏休みだし、…やってみたいなって」
母親「でも、凛。バイトなんかしてどうするの?今のお小遣いじゃ足りない?なにかほしいものでもあるの?」
凛「べ…べつに、そういうわけじゃ…」
正直な凛は、嘘がつけない。
かと言って、好きな人といっしょにバイトをしたいとも言うわけにもいかず口ごもる。
そんな凛に父親から鋭い視線が刺さる。
それがプレッシャーとなり、凛はうつむく。
凛「や……やっぱり…ダメだよね。ごめん、変なこと言って――」
父親「いいんじゃないか?」
突然口を開いた父親の言葉に、驚いて目を丸くしながら父親に目を向ける凛。
凛「…いいの?」
父親「ああ。凛の成績なら、バイトしてもいいんだろう?なにもやましいことをするわけじゃないんだから、凛の好きなようにしなさい」
母親「…お父さん、本当にいいの?バイトなんて初めてなのに、うまくできるかどうか…」
心配そうな表情を浮かべ、父親の隣に座る母親。
父親「何事も、“初めて”を経験しないとなにも始まらない。それに社会経験として、お金を稼ぐ大変さやありがたみを学ぶいい機会だろうし」
普段は仏頂面の父親が、頬をゆるませ凛に視線を移す。
凛「…ありがとう、お父さん!」
父親「そのかわり、自分でやると決めたのなら、途中で辞めたいなんて言って投げ出すんじゃないぞ。与えられた仕事は責任を持ってやりなさい」
凛「はい!」
満面の笑みの凛。
スマホを抱えて、軽い足取りで2階の自分の部屋へと上がっていく。
リビングに残された父親と母親。
父親の前にコーヒーを出す母親。
母親「でも、あなたがあんな簡単にバイトを許可するとは思わなかったわ」
父親「素直にうれしかったんだよ。内向的な凛が、勉強のこと以外で自分からなにかしたいと言ってきたのは初めてだったから。まさか、バイトをしたいと言い出すとは思わなかったが」
出されたコーヒーをひと口飲む父親。
母親「そうね〜。でも、急にどうしたのかしら。お金がほしいってわけでもなさそうだったし。もしかして、そのバイト先に好きな男の子でもいるとか…!?」
母親のその言葉に、コーヒーにむせる父親。
父親「バ…、バカなことを言うんじゃないっ」
母親「あらそう?最近の凛、学校に行くのもいつも楽しそうで、好きなコでもできたのかなと思っていたけど」
父親「もしそれがバイトをしたい理由なら、予めそのバイト先に偵察に行ってみないといけないな」
母親「そんなことしたら、娘に嫌われるわよ?それに、あなたみたいなおじさんが入れるようなところじゃないわよ。しかも、まだバイトの面接に受かったわけでもないのに〜」
クスクスと笑う母親。
父親「凛は素直で自慢の我が子だぞ。そんなコを雇わないわけないだろ」
母親「フフフ、親バカね」
父親「親バカで結構」
恥ずかしそうに少し頬を赤くしながら、ズズズとコーヒーをすする父親。
◯カフェ『SUNNY』、ホール(朝の開店時間前)
それから10日後。
数日前にあったバイトの面接で受かった凛は、SUNNYの制服を着てスタッフの前に立つ。
凛の隣には、もう1人の新規短期スタッフの男の子が立っている。
店長「それでは、今日から1ヶ月の短期でここで働いてもらうスタッフの2人です」
店長から他のスタッフに紹介される凛。
店長「それじゃあ、松井くんから自己紹介お願いします」
隆弘「は…はい!松井隆弘です。初めてのバイトで緊張していますが、よろしくお願いします…!」
拍手をするスタッフたち。
高校1年生の隆弘は、黒髪で小柄な男の子。
制服もサイズが大きいのか、少しダボッとしている。
店長「次は権田原さん、お願いします」
凛「…はいっ!ご…権田原凛です。わたしもアルバイトは初めてです…。…ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
深々と頭を下げる凛。
拍手をするスタッフ。
顔を上げる凛。
そのとき、スタッフの中に交じる蓮と目が合う。
にこりと微笑む蓮に対して、凛ははにかむ。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(前述の続き)
店長の前に並ぶ凛と蓮。
店長「権田原さんは、戸倉くんとは同じ学校なんだよね?」
凛「は…はい!」
店長「じゃあ、戸倉くんが権田原さんの指導係ってことでよろしくね」
蓮「は〜い。了解です!」
店長はその場を蓮に任せると、隆弘を他の指導係につけに事務所を出ていく。
蓮「それじゃあ、凛ちゃん。よろしくね」
凛「…はいっ!よろしくお願いします」
また深々と蓮に頭を下げる凛。
蓮「なんか堅くない?言葉遣いも前みたいに戻った感じがするんだけど」
凛「ここは職場なので…。それに、戸倉くんは職場の先輩という立場になるので敬語を…」
それを聞いて、思わずプッと吹き出す蓮。
蓮「堅い!堅い!そんな上下関係が厳しいところじゃないから。まぁ年上の人にはある程度敬語だけど、それでもラフだから…ここ!」
お腹を抱えて笑う蓮。
蓮「だから、俺に対してはいつもどおりでいいからね」
微笑む蓮に、凛は少し頬を赤くしながらうなずく。
◯カフェ『SUNNY』、冷凍庫の前(前述の続き)
大人の背丈よりも高い大きな冷凍庫のドアの前で立つ凛と蓮。
蓮「今から、冷凍庫の中の在庫を数えるよ。10分くらいで終わるだろうけど、こんな格好だと寒いから一応上着を着よう」
凛は、冷凍庫のそばにかけられていた上着を一着蓮から手渡される。
クーラーがきいた冷凍庫前の室内でその上着を着ると、若干汗ばむほど。
◯カフェ『SUNNY』、冷凍庫の中(前述の続き)
冷凍庫の中へ入る凛と蓮。
上着を着て、真夏の冷凍庫に入ると一瞬気持ちよく感じる。
しかしすぐに肌寒くなって、両腕を交差するようにして腕を擦る凛。
蓮「上着着てても寒いでしょ?すぐに終わらせよう」
凛「うん!」
蓮「あっ、凛ちゃん!そこにあるダンボールを冷凍庫のドアに挟んでくれる?」
冷凍庫のドアを中から手で支える蓮が指さす。
凛が冷凍庫の中から顔をのぞかせると、ドアのすぐそばにダンボールがあった。
蓮「この冷凍庫、外からは開けられるけど、中からは開けられないんだよね。だから、このダンボールを噛ませておく必要かあって」
凛「そうなんだね」
凛はダンボールを滑らせて、ドアに挟み込む。
半開きのままになるドア。
中で作業をする凛と蓮。
蓮「凛ちゃんからDMで、ここの短期のバイトをしたいって相談されたときはびっくりしたよ」
凛「な…夏休みだしっ。なにか新しいこと初めてみたいなって思って」
凛(本当は、バイトでの戸倉くんの様子が気になって…なんてことは言えない)
凛は悟られないように作業をする。
蓮「俺も凛ちゃんといっしょにバイトできるならうれしいし、店長にめっちゃ推しておいた!」
凛「…えっ!それでわたし…コネみたいな感じで面接に合格したの…?」
蓮「ううん、決してそういうわけではないよ!ちゃんと凛ちゃんの人柄を見て採用ってなったわけだし。店長も言ってたよ。権田原さんは真面目で純粋そうだからって」
褒められて、恥ずかしくなって顔が熱くなる凛。
蓮「それにしても、よくバイト許してもらえたよね?お父さんもお母さんも厳しい人だって、前に話してなかったっけ?」
凛「うん。だから、わたしもびっくりしちゃった。だけどお父さんが、お金を稼ぐことの大変さやありがたみを知るいい機会だって言ってくれて」
蓮「そうなんだ。いいお父さんだね」
…パタン
そのとき、静かな物音がかすかに聞こえ、同時に作業する手が止まる凛と蓮。
顔を見合わせた2人は、ゆっくりとドアのほうへ目を向ける。
さっきダンボールを噛ませて半開きになっていたドアは、ピッタリと閉まっていた。
凛「…えっ!?」
慌ててドアに駆け寄る凛。
何度も手で押すが、ドアはびくともしない。
おそるおそる蓮のほうを振り返る凛。
蓮「う〜ん。どうやら、閉じ込められちゃったみたいだね」
蓮は困ったように眉を下げて微笑む。
閉じ込められたらとわかり、顔面蒼白になる凛。