《マンガシナリオ》噂のプレイボーイは、本命彼女にとびきり甘い
第5話「…ごめん。今、ヤキモチ焼いてた」
◯カフェ『SUNNY』、冷凍庫の中(第5話の続き)
開かない冷凍庫のドアの前で、呆然と立ち尽くす凛。
凛「どうしよう…。…そうだ!スマホでお店に電話して――」
エプロンのポケットをのぞく凛。
しかし、すぐに肩を落とす。
凛「…そうだった。スマホはロッカーの中に置いてるんだった…」
再び、ドアに目を向ける凛。
そして、そのドアを内側から叩く。
凛「すみません〜!だれかいませんか!?閉じ込められたんです!」
凛がドアを叩く音が冷凍庫内に響く。
その叩く凛の手首を蓮が後ろから握る。
驚いて振り返る凛。
蓮「そんなことしたって、向こうには聞こえないよ。このドア、分厚いから」
凛「…でもっ」
蓮「それに、凛ちゃんの手が冷たくなっちゃうでしょ?」
蓮は、ドアを叩いていた凛の手を優しく包み込む。
手が触れ、頬を赤くする凛。
凛「だけど、どうしたら…」
蓮「心配しなくたって、そのうち俺たちがいないって気づいただれかが助けにきてくれるって」
凛「そんな悠長なこと言ってたら、凍えちゃうよ…!」
蓮「それなら――」
蓮はそうつぶやくと、自分が着ていた上着を脱ぎ始める。
それを凛の上に被せる。
蓮「どう?こうしたら凍えない?」
凛「戸倉くん…なにしてるのっ。こんなことしたら、戸倉くんが――」
蓮「いいのいいの。俺、寒さに強いから」
凛「そういう問題じゃ――」
蓮が被せた上着を脱ごうとする凛。
その上から、蓮が後ろから凛を包み込むようにして抱きしめる。
蓮「しょうがないなー。まだ寒いなら、これならどう?」
ギュッと蓮に抱きしめられ、顔が真っ赤になる凛。
凛「…ちょっ。戸倉くん――」
蓮「じっとしてて。こうしてたらあったかいでしょ?」
耳元でささやかれ、凛は耳まで真っ赤になる。
凛(な…なんでこんなことになってるの〜…。戸倉くんが…わたしをっ)
恥ずかしさのあまり、キュッと目をつむる凛。
そのとき背中から物音がして、背を向けていた冷凍庫のドアが開く。
店長「2人とも大丈夫…!?」
凛は驚いて目を向けると、開いたドアのところには店長が立っている。
凛「て…店長…!」
店長「ブザーが鳴ったからきたんだよ」
凛「ブザー…?」
首をかしげる凛。
蓮は凛から体を離すと、店長のほうを向き直る。
蓮「さすが店長っ。助けにきてくれると思ってました!」
店長「も〜、戸倉くん。こんなところで女の子に抱きついちゃダメでしょ」
蓮「抱きついてたんじゃありません。凛ちゃんを温めてたんです」
店長「やってることは同じだよ。ほんと、戸倉くんってプレイボーイだよね〜。権田原さん、なんともない?」
凛「あっ…はい。わたしはべつに…」
ポカンとしながら、冷凍庫から出る凛。
凛「…あの。さっき『ブザー』って…」
店長「ああ。この冷凍庫、外からは開けられないから、もし中に人が閉じ込められたら事務所にあるブザーが鳴る仕組みになってるんだよ。ドアが閉まってる状態で、中で熱を感知したら鳴るのかな?詳しい仕組みはわからないけどねっ」
ハハハと笑って話す店長。
その話を聞いて、蓮に顔を向ける凛。
凛「戸倉くん、…そのこと知ってたの?」
蓮「まぁ、ここでバイトしてるからね。それくらいのことは」
いたずらっぽく舌をペロッと出して笑う蓮。
凛(…そうだったんだ!どうりで、焦るような素振りもなく、どこか余裕があると思った。わたしはあのまま凍死しちゃうじゃないかと思ってたのに…)
◯カフェ『SUNNY』、ホール(前述の続きから1時間後)
冷凍庫での仕事が終わった凛は、ホールに出てお客さんから注文を取る練習をしていた。
初めての接客にドキドキする凛。
表情が固くなるも、なんとか笑顔をつくりながら接客する凛。
その仕事の傍ら、凛は同じく注文を取っている蓮に目を移す。
テキパキと仕事をこなす蓮を見て、普段見ない一面にかっこいいと思ってキュンとする凛。
ふと、先程の冷凍庫で抱きしめられたことを思い出す。
凛(わたしったら、仕事中になにを思い出してるんだろう…!)
首を左右にブンブンと振り、思い出したことを打ち消す凛。
しかし、すぐにまた蓮を目で追い頬が赤くなる。
蓮『じっとしてて。こうしてたらあったかいでしょ?』
凛(…あんなことされたら、ドキドキしちゃうに決まってるよ)
愛おしい目をして、蓮を見つめる凛。
爽やかな笑顔で接客する蓮。
接客させる女性客たちもうれしそうに笑っている。
蓮が注文を取り終え、厨房へ向かう。
蓮の後ろ姿を見つめながら、女性客たちが小声で話す。
女性客「今の店員さん、めちゃくちゃかっこよくなかった〜?」
女性客「次きたら、思いきって連絡先聞いちゃう!?」
そんな声が聞こえ、ドキッとする凛。
凛(まだ少ししかしてないけど、それでも十分すぎるくらいわかる。学校で人気の戸倉くんは、バイト先でも人気だってことが)
顔見知りの女性客と親しそうに話す蓮。
お願いされ、いっしょに写真に写る蓮。
嫌な顔ひとつせず、スマートに接客する蓮。
凛(やっぱり、戸倉くんは戸倉くん。冷凍庫でのことだって、べつにわたしだけの『特別』…じゃないよね。きっと、あの場にいたのがわたしじゃなくても、同じことをしてたよね)
落ち込み、不安げな表情を浮かべる凛。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(数日後)
凛がバイトを始めて数日後。
休憩時間。
事務所のイスに座って、持参した水筒のお茶を飲む凛。
凛以外、事務所にはだれもいない。
そこへ、同じく休憩にやってきた隆弘が事務所に入ってくる。
隆弘「お疲れさまです、権田原さん」
凛「お疲れさまです」
隆弘はテーブルを挟んで、凛の向かいのイスに座る。
隆弘「そういえば、権田原さんもバイトするの初めてなんですよね?」
凛「…はい。まだ慣れなくて困ってます。松井くんはどうですか?」
隆弘「ぼくも…全然ですっ。でも、やっていて楽しいです!」
キラキラした笑顔を見せる隆弘。
凛「それはわたしも感じています。スタッフのみなさんも優しい方ばかりで」
隆弘「そうですよね!…ていうか、初日から思ってたんですけど、なんで敬語ですか?ぼくのほうが年下ですよね?」
キョトンとした顔をして、首をかしげる隆弘。
凛「あっ…。これが、わたしのいつもの話し方といいますか…」
恥ずかしそうに手をもじもじさせる凛。
隆弘「そんな、ぼくに対しては敬語やめてください。権田原さんのほうが年上なんですから」
凛「年齢なんて関係ないです…!」
隆弘「でも、なんだか距離感じちゃいます…。短期とはいえ、せっかく同じときに入った同期なんですから」
凛「『同期』…ですか」
隆弘「はい、『同期』です!なので、短い間ですけど仲よくなりたいなって思ってます」
にこりと微笑む隆弘。
それを見て、頬がゆるむ凛。
凛「そうですね。改めまして、よろしくお願いします」
隆弘「こちらこそ、よろしくお願いします。…って、まだ堅いですよ、権田原さん」
隆弘にそう言われ、照れ笑いする凛。
凛「…すみません。なかなか慣れないもので」
隆弘「それじゃあ、まずは呼び方から変えてみませんか?」
凛「呼び方…?」
首をかしげる凛。
隆弘「ぼく、あまり名字で呼ばれるの慣れてないんですよね」
凛「そうなんですか?じゃあ、なんて呼んだら…」
隆弘「『隆弘』でお願いします!そっちのほうがしっくりくるので」
凛「隆弘くん…ですか?」
隆弘「はい!ぼくも『凛さん』って呼んでもいいですか?権田原さん名字って…正直長くて、…すみませんっ」
ペコッと頭を下げる隆弘。
それを見て、クスッと笑う凛。
凛「それ、よく言われます」
隆弘「…やっぱり!それじゃあ、『凛さん』で」
隆弘はうれしそうに微笑む。
◯カフェ『SUNNY』(数日後)
仕事にも慣れてきた2人。
休憩時間が重なれば、楽しそうに雑談をする仲に。
凛にとって、隆弘は仲のいいバイト先の友達となっていた。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(数日後)
凛と隆弘がバイトを始めて2週間がたつ。
凛「お疲れさまです」
蓮「お疲れさまで〜す」
いっしょに事務所に入ってくる凛と蓮。
2人とも今から出勤で、たまたま裏口で会ったためいっしょに入ってきた。
隆弘「あっ、お疲れさまです!」
事務所には、今日のバイトが終わって着替えて帰ろうとしていた隆弘がいた。
隆弘「お2人とも、今からですか?」
凛「うん」
蓮「そうだよ」
隆弘「今日、ずっと満席で大変でした〜…」
蓮「土曜日だからね。それに、この前雑誌で取り上げられたみたいだから、そのせいじゃないかな?」
隆弘「なるほど〜…。お客さんが多くて、ぼくテンパっちゃって…。ミスしまくりだったんです…」
肩を落として落ち込む隆弘。
隆弘「ぼくと違って、凛さんはいつも冷静だから大丈夫だとは思いますが」
凛「…そんなことないよ!でも、たしかに今日はいつも以上に忙しそうだね」
隆弘「はい。あとのこと、お願いします」
凛「ほんとにお疲れさま、隆弘くん」
隆弘「お疲れさまです」
ペコッと頭を下げ、凛と蓮の横を通りすぎる隆弘。
凛は、隆弘の背中を見送る。
蓮「凛ちゃん」
隆弘が事務所から出ていくと、蓮が凛に声をかける。
凛「ん?」
振り返る凛。
蓮は、少しムスッとしている。
蓮「凛ちゃんさ、松井くんと…仲いいよね?」
凛「そう…なのかな?まあ、同じタイミングで入った短期スタッフだからね」
蓮「…本当にそれだけ?」
凛を見下ろしながら、一歩凛に詰める蓮。
蓮「だって、休憩時間とかバイト上がったあととか、よく2人が事務所で話してるの見かけるんだけど…」
凛「あ〜っ。それは、お互いに今日はこんな新しいことができたよとか、それどうやるの?とか聞き合ってて――」
蓮「だったら俺に聞いてよ!」
壁を背にして立つ凛に対して、壁ドンをする蓮。
大きな声を出した蓮に、驚いて見上げる凛。
凛「戸倉くん、…急にどうしたの?」
蓮「どうしたのじゃないよ。なんでもっと俺を頼ってくれないの?俺、凛ちゃんの指導係だよね?わからないことがあったら、まず俺に相談してよっ」
少し泣きそうなように、くしゃっとした表情で凛に訴えかける蓮。
見たこともない余裕のない蓮の表情に、思わず口がぽかんと開く凛。
蓮「…俺って、そんなに頼りない?年下で新人の松井くんのほうがいい?」
凛「そ…、そういうつもりじゃなかったんだけど…」
慌てて否定する凛。
凛(戸倉くんはお客さんからも人気だし、要領よくて人一倍仕事もこなしてるから…わたしが声をかけて時間を取らせるのは悪いかなって思って。だから、新人同士で解決できるならと思って、松井くんと情報交換として話していただけなんだけど…)
蓮の顔をのぞき込む凛。
凛「戸倉くん、…なんかいつも感じが違うけど」
凛が聞き返すと、頬を赤くしながら視線をそらす蓮。
少し口をとがらせる。
蓮「…ごめん。今、ヤキモチ焼いてた」
と、小さく口ごもるようにつぶやく蓮。
その発言に、一瞬にして顔がぽっと熱くなる凛。
凛「ヤ…ヤキモチ…!?」
蓮「そりゃそうでしょ。2人、いつの間にか名前で呼び合ってるんだから」
凛「それは、流れでそういう話になって…」
蓮「流れで?俺なんて、松井くんよりも前から凛ちゃんと知り合ってるのに、未だに『戸倉くん』だけど?」
迫るように、肘をついて壁ドンをしたまま蓮が顔を近づけてくる。
間近で蓮と目が合い、心臓がバクバクする凛。
恥ずかしすぎて、まともに蓮の顔も見れない。
蓮「俺だって、下の名前で呼んでほしい」
メガネがズレる凛を見つめる蓮。
ごくりとつばを呑む凛。
凛「も…、もう〜。なに言ってるの、戸倉くん。下の名前でなんて、他の女の子から呼んでもらってるじゃん」
蓮「他の女の子なんて興味ない。俺は、凛ちゃんに呼ばれたいの」
凛「わたしに…?」
蓮「そうだよ。好きな人に自分の名前を呼んでもらいたい。そんなの、当たり前のことじゃん」
その言葉を聞き、キョトンと目を丸くする凛。
パチクリと何度も瞬きをする。
そのとき、休憩で女性店員が事務所に入ってくる。
ドアの開く音に反応して、凛から体を離す蓮。
女性店員「お疲れさまです〜」
蓮「…お疲れさまですっ」
凛「おっ…おおおお…お疲れさまです…!」
瞬時にお互い背中を向けて、何事もなかったかのようにあいさつをする蓮と凛。
凛は挙動不審な感じで、冷や汗を流す。
女性店員「2人とも今から?まだ着替えてなかったの?」
凛「ちょ…ちょうど着替えようとしていたところで…!」
凛は慌てながら女子更衣室に入っていく。
ドアを閉め、ドアに背中をつけてズルズルとへたり込むようにして床にしゃがみ込む凛。
凛(…びっくりした〜…)
さっきの出来事を振り返る凛。
蓮『俺は、凛ちゃんに呼ばれたいの』
凛『わたしに…?』
蓮『そうだよ。好きな人に自分の名前を呼んでもらいたい。そんなの、当たり前のことじゃん』
思い出して、顔を赤くする凛。
凛(さっき戸倉くん、『好きな人』って言ってたけど。それって……)
凛の胸がドキッとなる。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(2週間後)
その間、何度か蓮とシフトがかぶることがあった凛。
しかし、休憩時間や上がる時間が同じタイミングになることはなく、バイト中の業務的な会話しか交わしていなかった。
その間も、凛と隆弘が話している場面に遭遇すると、ヤキモチを焼いたように少し頬を膨らませる蓮。
そんな日々が続く。
そして、凛と隆弘の短期のバイト最終日。
2人とも同じシフトで入っていて、同じ時間に上がる。
凛と隆弘がそれぞれ更衣室から出て事務所へ行くと、店長が待っていた。
店長「この1ヶ月お疲れさま。2人がきてくれたおかげで、夏休みの繁忙期を乗り切ることができたよ。本当にありがとう」
凛「とんでもないです。こちらこそ、貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました」
凛は店長に深々と頭を下げる。
隆弘「ぼくも初めてのバイトでドキドキしてましたけど、とっても楽しかったです!ありがとうございました!」
隆弘も店長にお辞儀をする。
店長「そういえば2人とも、このあと用事ある?」
店長の言葉に顔を見合わせる凛と隆弘。
凛「いえ」
隆弘「ぼくも家に帰るだけです」
店長「それならちょうどよかった。このあとお店に寄ってよ」
凛「お店に…ですか?」
店長「うん。『1ヶ月お疲れさま』ってことで、なんでも好きなものサービスするからさ!」
隆弘「いいんですか!?」
目を輝かせる隆弘。
店長「いいよー。お茶して帰ってね。権田原さんも遠慮しないで」
凛「…ありがとうございます!」
◯カフェ『SUNNY』、店内(前述の続き)
15時。
バイト上がりの凛は、隆弘といっしょにSUNNYの店内へ入る。
女性店員「いらっしゃいま――、あっ!2人ともお疲れさま〜」
凛と隆弘に気づく女性店員。
窓際の席へ案内する。
テーブルを挟んで向かい合わせで座る凛と隆弘。
女性店員「店長から聞いてるよ。またあとで注文取りにくるね」
女性店員は、お冷やとメニューをテーブルの上へ置いていく。
メニューを手に取り、ページをめくる隆弘。
隆弘「ぼくは、ハンバーグプレートにします!」
凛「ハンバーグプレート!?この時間に?」
隆弘「はい!バイト終わり、いつもお腹ペコペコで。凛さんはなににしますか?」
凛にメニューを手渡す隆弘。
凛「わたしは…えっと〜…」
凛はメニューに目を移す。
女性店員「2人とも決まった?」
凛と隆弘の席へさっきの女性店員が注文を取りにやってくる。
隆弘「ぼくは、ハンバーグプレートでお願いします!」
女性店員「この時間からハンバーグ!?さすが松井くん、食べ盛りの男子だね〜」
隆弘「エヘヘ…♪」
女性店員は次にメニューとにらめっこをする凛に視線を向ける。
女性店員「権田原さんは?」
店長から遠慮しないでと言われたものの、どうしても値段に目が行ってしまう凛。
凛「…わたしは。それじゃあ…アイスティーで」
女性店員「アイスティー…!?そんなのでいいの?」
凛「あ…、はい」
女性店員「それは遠慮しすぎだって〜。せっかく店長がああ言ってくれてるんだしさっ」
隆弘「そうですよ〜、凛さん。せめて、ケーキセットとかにしたらどうですか?」
隆弘は凛からメニューを取り上げると、ケーキセットのページを開ける。
その中に、以前朋子が頼んでいたケーキセットのケーキを別途でカヌレに変更したものの写真が載っていた。
つばをごくりと呑む凛。
凛「あの…」
女性店員「ん?」
凛「これでも…いいですか?」
遠慮がちに、人差し指でカヌレの写真を指さす凛。
女性店員「あ〜、カヌレのケーキセットね」
凛「…あっ。やっぱり…高いですよね。もう少し安いほうが――」
女性店員「そんなことないって!」
凛「そ…そうですか?…それじゃあ、お願いしますっ」
女性店員「オッケー。ドリンクは?アイスティーでいいの?」
凛「…あ、はい」
女性店員「本当に?」
ニヤリとして、凛の顔をのぞき込む女性店員。
女性店員「権田原さんがどうしてもアイスティーが飲みたいならいいけど、もし他に飲みたいものがあるなら変えるなら今だよ!」
そう言われ、凛は無意識のうちにドリンクが書かれた枠の中の【ロイヤルミルクティー】という文字に目が行っていた。
初めてSUNNYにきたときに、朋子がカヌレのケーキセットとロイヤルミルクティーを注文していた。
それがおいしそうでたまらなかった。
女性店員「1ヶ月がんばったご褒美だと思って。遠慮したら損だよっ」
女性店員が背中を押してくれたことで、凛はゆっくりと口を開く。
凛「それじゃあ…、ドリンクは…ロイヤルミルクティーでお願いします…!」
凛の本音を聞き出し、満足したように笑みを見せる女性店員。
女性店員「了解♪」
にこりと笑うと厨房へ向かっていった。
しばらくすると、凛と隆弘が注文した料理が運ばれくる。
蓮「お待たせいたしました」
隆弘「あっ!戸倉さん!」
蓮の顔を見上げる隆弘。
蓮「2人とも1ヶ月のバイト、お疲れさま」
蓮はそう言いながら、丁寧に料理をテーブルの上へ並べる。
隆弘「戸倉さん、お世話になりました!ぼく、戸倉さんといっしょにバイトできてよかったです!」
蓮「そう?俺、そんなたいしたことしてないと思うけど」
隆弘「いえいえ。ミスなく仕事こなすし、めちゃくちゃかっこよかったです!」
蓮「そうかな〜?ただの慣れだよ」
隆弘「そんなことないです!男のぼくでも惚れそうになりました!」
隆弘は、尊敬のまなざしを蓮に送る。
蓮は隆弘ににこりと笑ってみせると、凛のほうへ顔を向ける。
蓮「凛ちゃんもごゆっくり。…と言いたいところだけど、あんまり2人で仲よくしないでね」
小声で凛にささやく蓮。
凛はその言葉の意味がよくわからず、不思議そうに首をかしげる。
隆弘「いただきま〜すっ♪」
蓮が立ち去ると、手を合わせてさっそくハンバーグを頬張る隆弘。
そんな隆弘の向かいで、凛もティーカップを手に取る。
ロイヤルミルクティーをひと口飲み、フォークで半分に切ったカヌレをひと口食べる。
凛(…お、おいしい…!)
あまりのおいしさに目を輝かせ、静かに感動する凛。
ケーキセットを楽しみながら、隆弘と他愛のない話をする。
女性店員「いらっしゃいませ」
そんな声が聞こえ、凛の斜め前の席に、凛に背中を向けるようにして1人の女性が席につく。
黒に近い茶髪のロングヘア。
凛(…あれ?あの人、どこかで…)
凛が気になっていると、その席にお冷やを置きに蓮がやってくる。
沙織「蓮〜!きちゃった♪」
蓮に手を振る横顔が見え、はっとする凛。
凛(戸倉くんの元カノさんだ…!)
沙織は蓮の手首をつかみ、親しげに話をする。
それを見ていた凛の視線に気づき、隆弘が振り返る。
隆弘「戸倉さん、あいかわらず女性客に人気ですよね」
こそっと隆弘が小声でささやいてくる。
軽くあしらうように接客する蓮。
しかし、ベタベタとする沙織。
隆弘「イケメンだし仕事はできるし、そりゃモテますよね〜。女の人には困ってなさそうだけど、彼女とかいるのかな?」
凛に話しかけるような隆弘のひとり言。
凛(妹思いな戸倉くんに、…彼女がいないことは知っている)
凛は、この前の事務所での出来事を思い出す。
蓮『…ごめん。今、ヤキモチ焼いてた−』
蓮『他の女の子なんて興味ない。俺は、凛ちゃんに呼ばれたいの』
蓮『好きな人に自分の名前を呼んでもらいたい。そんなの、当たり前のことじゃん』
そのときの蓮の顔を思い出し、ほんのりと頬が赤くなる凛。
凛(あのときは、もしかして戸倉くん…わたしのこと――。なんて思っちゃったけど…)
そう思いながら、チラリと蓮に目を移す凛。
沙織と話をする蓮。
凛からの席では、2人の会話はほとんど聞こえない。
なにを話しているかわからず、不安な気持ちになる凛。
沙織の席を離れたあと、べつの女性客グループの席につかまり、写真撮影に応じる蓮。
それらを見て、凛は視線を落とす。
凛(忘れちゃいけない、戸倉くんはプレイボーイだってこと。わたしだけじゃなくて、戸倉くんは女の子みんなに優しいんだよね)
小さくため息をつく凛。
沙織はたびたび蓮を席に呼び出し、なにかを話している。
それが毎回気になってしょうがない凛。
そのあと、隆弘も読書好きということがわかり、2人の会話が弾む。
そのとき、店内にグラスが割れる音が響く。
蓮「失礼いたしました…!」
凛と隆弘が驚いて目を向けると、蓮が慌てて床に散らばったガラスのコップの破片を拾っていた。
隆弘「戸倉さんが…ミス?めずらしいですね」
凛「…そうだね」
隆弘「ていうか、戸倉さんも失敗するんですね。いつも完璧だから、あんな姿初めて見ました」
凛「わたしも…」
心配そうに蓮を見つめる凛。
◯カフェ『SUNNY』、お店の前(前述の続き)
お店を出て、向かい合う凛と隆弘。
隆弘「おいしかったですね、凛さん」
凛「そうだね。料理はおいしいし、スタッフの人はみんな優しいし、本当にいいところでバイトさせてもらえたなぁ」
凛は、名残惜しそうにSUNNYを見つめる。
隆弘「凛さん、今からお家に帰るんですか?」
凛「うん。明日から2学期だし、学校の準備もしないといけないし」
隆弘「そうですか。それじゃあ、送ります!」
凛「…えっ?わたしの家まで?」
隆弘「はい!凛さんと好きな作家さんも同じとわかったので、もう少し語りたいですから」
ニッと笑う隆弘。
凛「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて――」
蓮「…ちょっと待って!」
突然、凛の後ろから声がする。
凛と隆弘は声がしたほうへ振り返る。
そこには、私服姿の蓮が息を切らしながら立っていた。
隆弘「あれっ?戸倉さん?バイト上がりですか?」
蓮「うん。さっき上がったとこ」
隆弘「お疲れさまです。じゃあ、ぼくたちはここで――」
蓮「待って、松井くん」
蓮が隆弘の肩に手を置く。
蓮「凛ちゃんを送るんだよね?だったら、俺が送るから」
隆弘「え?でも――」
蓮「俺が、おーくーるーかーらー!」
場の空気が読めずキョトンとする隆弘。
そんな隆弘に対し、笑顔をつくりながらも言葉に圧をかけてる蓮。
隆弘「そうですか?戸倉さんがそこまで言うなら」
蓮「わかってくれてありがとう、松井くん」
蓮は、隆弘と凛の間に割り込む。
凛「それじゃあまたね、隆弘くん」
隆弘「はい!また連絡します!」
手を振り合う凛と隆弘。
隆弘の言葉を聞いて、凛のほうを振り返る蓮。
蓮「…凛ちゃん、松井くんと連絡先交換したの?」
凛「うん。さっき同じ趣味で盛り上がって、そのときに」
蓮「…あ、そうなんだ。うん…、とりあえず行こうか」
テンションが下がる蓮。
そんな蓮を凛は不思議そうに見つめる。
◯凛の家までの帰り道(夕方、前述の続き)
2人並んで歩道を歩く凛と蓮。
蓮「凛ちゃん。もし松井くんから連絡あっても、絶対に2人で遊んだりしたらダメだからね?」
凛「えっ?べつにわたしと松井くんは、2人で遊ぶような仲じゃ――」
蓮「いいから。もし誘われたら、俺もいっしょに行くからっ」
ムスッとして頬を少し膨らませる蓮。
しばらく歩くと、凛の家が見えてくる。
凛「あそこがわたしの家なの」
角の家を指さす凛。
凛「送ってくれてありがとう。このあたりまでで大丈夫だよ」
蓮「ううん、家の前まで送るよ」
凛「そう?でも、戸倉くんの家…真逆だよね?」
蓮「俺が送りたいから送るの」
凛「優しいんだね。ありがとう」
にこりと優しく微笑む凛。
凛「そういえば、戸倉くんがミスするなんてめずらしいよね」
蓮「…あ〜。俺、派手にグラス割ってたよね。そのあとにオーダーミスもしちゃってさ」
凛「そうなの?いつもなら絶対にそんなことしないのにね。今日はどうしたの?調子でも悪い?」
凛は自分の家の前で足を止め、蓮の顔をのぞき込む。
そんな凛を見て、蓮は恥ずかしそうに顔をそらす。
蓮「そりゃ…ミスだってするよ」
凛「え…?」
蓮「…だって、凛ちゃんと松井くんのことが気になって、全然集中できなかったんだから」
眉を下げて顔を赤らめながら、凛に訴えかける蓮。
その蓮の表情を見て、ドキッとする凛。
凛(わたしと松井くんのことが気になって…?わたしだって、戸倉くんと元カノさんが話しているのを見て、気になってしょうがなかったけど、……同じ気持ちだったってこと?)
母親「…凛?」
そのとき、後ろから凛の母親の声がする。
買い物袋を手にさげた母親が、凛と蓮に歩み寄る。
凛「あっ、お母さん」
母親「バイトお疲れさま。…えっと、そちらの方は?」
蓮に視線を移す母親。
凛「同じバイト先の――」
蓮「戸倉といいます。はじめまして」
ペコリと頭を下げる蓮。
凛「バイト終わりに、家まで送ってもらったの」
母親「あら、そうだったの。わざわざありがとうございます」
蓮にお辞儀をする母親。
母親「凛。夕飯の支度、手伝ってくれる?」
凛「…あ、うんっ」
凛はチラリと蓮に目をやる。
本当は蓮と話の続きをしたかったが、気になるところで母親がやってきたため、名残惜しそうに蓮に視線を送る凛。
凛「それじゃあ戸倉くん、送ってくれてありがとう」
蓮に手を振り、母親といっしょに家の中へ入っていく凛。
◯学校、2年2組の教室(放課後)
次の日。
2学期最初の登校日。
始業式とホームルームで、学校は午前中のみ。
ホームルームが終わり、パラパラと帰っていく生徒たち。
凛も帰ろうとバッグを肩にかけ、教室を出ようとする。
女子生徒たち「ゴンさん」
そのとき、ドアを塞ぐようにして3人の女子生徒たちが凛の前に現れる。
同じクラスと隣のクラスの女子生徒たち。
驚いて目を丸くする凛。
凛「あ…あの、通れないんですが…」
女子生徒たち「悪いけど、今からちょっと付き合ってるくれる?」
女子生徒たち「話があるんだけど」
凛「…話?」
女子生徒たち「いいからっ!」
凛は胸ぐらをつかまれ、無理やり引っ張られていく。
◯学校、屋上(前述の続き)
屋上に連れてこられた凛。
凛は3人の女子生徒たちと向かい合うようにして立つ。
眉間にシワを寄せ、不機嫌そうな表情の女子生徒たち。
凛「…なんですか、こんなところに連れてきて」
女子生徒たち「なんですかは、こっちのセリフ」
女子生徒たち「ゴンさんこそ、なんなの?」
女子生徒たち「ゴンさんの分際で、色目なんか使ってんの?」
女子生徒たちに詰め寄られる凛。
圧倒され、凛は一歩後ずさりする。
凛「あの…、言っている意味がよくわからないんですが…」
女子生徒たち「…わざとらしい」
女子生徒たちは眉間にシワを寄せて、口々に文句を言い合いながら顔を見合わせる。
女子生徒たち「でも本当にわかってないのなら、ハッキリ言ってあげる」
腕を組んで、凛にゆっくりと歩み寄る女子生徒。
女子生徒たち「ゴンさんあなた、蓮につきまとうの、もうやめてくれる?」
訳がわからず、ぽかんとした表情を浮かべる凛。
凛「…つきまとう?わたしが?戸倉くんに?」
女子生徒たち「そうよ!夏休みに、蓮と同じところでバイトしてたんでしょ!?」
女子生徒たち「バイトがしたいなら、他にたくさんあるでしょ!?なんでわざわざ蓮のカフェにっ」
凛「それは……。バイトしている戸倉くんのことも知りたかったから…」
凛の素直な言葉に、女子生徒たちの目尻がピクッと動く。
女子生徒たち「それをつきまとってるって言うの!ちょっといっしょに学級委員やったからって、勝手に蓮を自分と同じ仲間だなんて思わないでよね!」
女子生徒たち「地味なゴンさんと蓮とじゃ、住んでる世界が違うの!蓮が迷惑するだけだから、ほんとそういうのやめて!」
女子生徒たち「いくら蓮がプレイボーイって言ったって、遊びだったとしてもゴンさんを選ぶわけないでしょ!頭いいなら、それくらい考えなさいよ!」
3人から口々に罵倒され、肩をすくめてうつむく凛。
女子生徒たち「優しくしてもらったりしたかもしれないけど、蓮はみんなに優しいの!それが蓮なの!」
女子生徒たち「そんなことで、蓮のこと好きになったりしてないよね?もしそうならウケるんだけどっ!」
ケラケラと笑う女子生徒たち。
女子生徒たち「蓮はテキトーな人間なの。テキトーに女の子たちと遊んで、毎日お気楽に過ごしてるの。アタシたちもそれを知ってて、プレイボーイの蓮と――」
凛「…そんなんじゃないっ」
絞り出すような凛の声。
うつむいたまま、力を込めた握りこぶし作り、肩をプルプルと震わせる凛。
凛「戸倉くんは、そんな適当な人なんかじゃないっ!」
目を見開けてにらむ凛に、女子生徒たちは一瞬怯む。
女子生徒たち「…は?なに言ってるの?」
女子生徒たち「ゴンさんこそ、蓮とほとんどしゃべったこともないくせに、テキトーなこと言わないでよね!」
凛「じゃあ聞くけど、あなたたちは戸倉くんのなにを知ってるっていうの?」
凛の言葉に、ごくりとつばを呑む女子生徒たち。
女子生徒たち「なにって…、女の扱いにはうまいプレイボーイで、バイトだって女性客と出会うために――」
凛「戸倉くんは、そんな不純な理由でバイトなんかしてない!遊んでそうに見えるのだって、ただの勘違い!戸倉くんは、だれよりも妹さんたちのことを大事に思ってる優しいお兄ちゃんだよ!」
凛の必死の訴えに、キョトンとする女子生徒たち。
女子生徒たち「い…妹?」
女子生徒たち「蓮って、妹いるの…?」
女子生徒たち「…さぁ?聞いたことないけど」
困ったようにそれぞれ顔を見合わせる女子生徒たち。
凛「あなたたちこそ、戸倉くんのことをよく知りもしないのに勝手なことを言わないでください…!」
女子生徒たち「…なっ!!ゴンさんのくせに、なにその口の利き方…!!」
カッとなった1人が、右手で凛の左頬を叩く。
パァン!というビンタする音が屋上に響く。
吹っ飛んで地面に転がる凛のメガネ。
凛「べつに…色目を使ってるわけでも、つきまとってるわけでもありません」
凛は叩かれた拍子に顔が右に向いたまま、ぽつりぽつりと話し始める。
凛「だけど、わたし…戸倉くんのことを好きになってしまったんです。…自分でも驚いています。だから、釣り合わないことなんて重々承知してます」
凛はゆっくりと女子生徒たちへ顔を向ける。
凛「でも、陰から戸倉くんを見てかっこいいなって思ったり、キュンとしたりすることは…そんなにダメなことなのでしょうか?」
潤んだ目で女子生徒たちに訴えかける凛。
いつもとは違う雰囲気の凛に息を呑む女子生徒たち。
女子生徒たち「だからぁ…。ゴンさんは黙って読書でもして、本だけ見てればいいの!たいしてかわいくもないくせに、そんな勝手な思い込みしてるだけでイライラする…!!」
さっき凛を叩いた女子生徒が、再び右手を振り上げる。
凛は怯え、目をつむる。
振り上げた女子生徒の手を後ろからだれかがつかむ。
怯えながらもゆっくりと目を開ける凛。
目に入ったのは、凛を叩こうとして手を振り上げた女子生徒の手首を後ろからつかむ蓮の姿。
女子生徒たち「…蓮!?」
蓮「この手…、どうするつもり?」
蓮はこれまでに見せたことのないくらいの冷たい視線で女子生徒を見下ろす。
女子生徒たち「い…いつからここに!?」
蓮の手を振り払い、蓮と向かい合うようにして立つ女子生徒たち。
蓮「ついさっき。帰ろうとしたら、廊下から凛ちゃんたちが屋上にいるのが見えたから」
女子生徒たち「ああ…そうなの。アタシたちは、ただゴンさんに話があっただけ」
蓮「話って?」
女子生徒たち「蓮につきまとうのはやめてって。ゴンさんなんかに好かれて蓮が迷惑してると思ったから、かわりに言ってあげたの」
蓮「ふ〜ん、そうなんだ」
興味なさそうに返事をする蓮。
蓮は3人の女子生徒たちの間を割って入ると、その向こう側にいる凛のもとへ歩み寄る。
人差し指で凛の左側の顔周りの髪を耳にかける。
叩かれて赤くなった頬を見て、悲しそうに眉を下げる蓮。
再び、女子生徒たちのほうを振り返る。
蓮「つきまとうのはやめてって、凛ちゃんに言ったんだよね?」
女子生徒たち「そうよ…!でも、ゴンさんがいろいろと口答えするから――」
蓮「じゃあそのセリフ、そっくりそのまま返すよ。俺につきまとうのやめてくれる?」
蓮の言葉に、ポカンとする女子生徒たち。
蓮「俺、凛ちゃん以外の女の子に興味ないんだよね。俺のためとか、勝手にそういうことされるほうが迷惑なんだけど」
女子生徒たち「…は?蓮…なに言って…」
女子生徒たち「相手…、ゴンさんだよ!?蓮がゴンさんに本気になるわけ――」
蓮「本気だよ。俺、凛ちゃんのこと本気で好きなんだよね」
凛の背中へ回り込む蓮。
女子生徒たちに見せつけるように、後ろから凛を優しく抱きしめる。
驚いて目を丸くして、蓮の腕の中で固まる凛。
女子生徒たち「…そんなっ、嘘でしょ…」
女子生徒たち「なんで…蓮がゴンさんなんかにっ…」
女子生徒たち「ありえない…。絶対に…ありえない」
呆然と立ち尽くす女子生徒たち。
蓮は落ちていたメガネを拾うと、凛の手を引く。
蓮に連れられ、屋上から出ていく凛。
◯学校、中庭(前述の続き)
凛が読書するときに使うベンチにやってきた蓮と凛。
ベンチに腰掛ける2人。
蓮「はい、どーぞっ」
凛にメガネを手渡す蓮。
凛「あ…ありがとう」
メガネを受け取ると、ぎこちない手つきでかける凛。
その凛の姿を見てなにかに気づいた蓮は、一旦どこかへ走っていく。
すぐに戻ってきて、水で濡れたハンカチを凛の叩かれた左頬にあてる。
蓮「これで少しはましになったらいいんだけど…」
不安そうな表情を浮かべる蓮。
凛「ありがとう」
微笑む凛。
ハンカチを自分で持とうと、左頬に手を伸ばす凛。
そのとき、ハンカチを持っていた蓮の手に触れる。
凛「…あっ……」
とっさに手を離す凛。
顔を上げると、真正面にいる蓮と目が合う。
凛「あ…、あの…。さっき言ってたことって…」
蓮「ん?」
キョトンとして首をかしげる蓮。
蓮「あ〜っ。俺が、凛ちゃんのことを好きって話?」
凛は顔を赤くしながら、こくんこくんとうなずく。
凛「あんなこと言って…よかったの?変な噂が広まっちゃうよ…?」
蓮「広まったって、べつにかまわないよ」
凛「…でも、戸倉くんが…わ、わたしのことを好きだなんて…そんな嘘……」
蓮「嘘なわけないじゃん。本気じゃなきゃ、あんなこと言わないよ」
蓮のまっすぐな瞳に吸い込まれそうになる凛。
蓮「もしかして、気づいてなかった?俺、何回か『好き』って言ったことあるよね?」
凛「それは…!なにかの冗談かな、とか…思ったりして…」
蓮「冗談なんかじゃないよ。『好き』って言うの、本当はすっげー緊張してたんだから」
照れたように笑う蓮。
その表情にキュンとする凛。
蓮はそっと凛の手を握る。
蓮「…えっと。凛ちゃんも俺と同じ気持ちってことで…いいんだよね?」
凛「え…?」
不安そうに、凛の顔をのぞき込む蓮。
蓮「さっき、あのコたちと話してるの…聞こえちゃったんだよね」
蓮は恥ずかしそうに頬をポリポリとかく。
凛はさっきのことを思い出す。
凛『だけど、わたし…戸倉くんのことを好きになってしまったんです』
思い出して、赤くなった顔を両手で隠す凛。
凛「あ…、あれは…!」
蓮「うれしかったよ。まさか、凛ちゃんがこんな俺みたいなヤツを好きでいてくれてただなんて」
凛「戸倉くんは、こんなヤツなんかじゃないよ…!家族思いでとっても優しくて、自立していてすごく尊敬してる」
尊敬のまなざしで蓮を見つめる凛。
蓮「俺だって、凛ちゃんの素直でまっすぐなところに惹かれたんだよ」
叩かれた凛の頬を労るように、蓮がそっと頬に手を添える。
蓮「だれにも流されない芯の強いところが好き。だからこそ、燃えちゃうんだよね」
舌をペロッと出す蓮。
凛「燃えちゃう?」
蓮「うん。凛ちゃんを俺だけの色に染めたいって」
凛の鼓動の速さがマックスになる。
蓮のかっこよさに、胸の高鳴りが止まらない凛。
凛「ほ…、本当にわたしでいいの?」
蓮「凛ちゃんじゃなきゃやだっ」
ベンチに座る凛を優しく抱きしめる蓮。
蓮「はぁ〜…、ずっとこうしたかった」
抱きしめたまま、蓮が凛の耳元でつぶやく。
蓮はいったん凛から体を離し、次におでことおでこをくっつける。
蓮「俺の本命彼女は凛ちゃんだけ」
おでこをくっつけたまま、上目遣いで凛に話しかける蓮。
蓮「俺は凛ちゃんしか見ない。だから、凛ちゃんも俺だけを見て?」
凛「…うん!」
凛ははにかみながらうなずく。
指を絡ませ、手をつなぐ凛と蓮。
凛(この日わたしは、噂のプレイボーイの戸倉くんとお付き合いすることとなった。恋愛初心者のわたしは、この日からとびきり甘く溺愛されることをまだ知らない)
開かない冷凍庫のドアの前で、呆然と立ち尽くす凛。
凛「どうしよう…。…そうだ!スマホでお店に電話して――」
エプロンのポケットをのぞく凛。
しかし、すぐに肩を落とす。
凛「…そうだった。スマホはロッカーの中に置いてるんだった…」
再び、ドアに目を向ける凛。
そして、そのドアを内側から叩く。
凛「すみません〜!だれかいませんか!?閉じ込められたんです!」
凛がドアを叩く音が冷凍庫内に響く。
その叩く凛の手首を蓮が後ろから握る。
驚いて振り返る凛。
蓮「そんなことしたって、向こうには聞こえないよ。このドア、分厚いから」
凛「…でもっ」
蓮「それに、凛ちゃんの手が冷たくなっちゃうでしょ?」
蓮は、ドアを叩いていた凛の手を優しく包み込む。
手が触れ、頬を赤くする凛。
凛「だけど、どうしたら…」
蓮「心配しなくたって、そのうち俺たちがいないって気づいただれかが助けにきてくれるって」
凛「そんな悠長なこと言ってたら、凍えちゃうよ…!」
蓮「それなら――」
蓮はそうつぶやくと、自分が着ていた上着を脱ぎ始める。
それを凛の上に被せる。
蓮「どう?こうしたら凍えない?」
凛「戸倉くん…なにしてるのっ。こんなことしたら、戸倉くんが――」
蓮「いいのいいの。俺、寒さに強いから」
凛「そういう問題じゃ――」
蓮が被せた上着を脱ごうとする凛。
その上から、蓮が後ろから凛を包み込むようにして抱きしめる。
蓮「しょうがないなー。まだ寒いなら、これならどう?」
ギュッと蓮に抱きしめられ、顔が真っ赤になる凛。
凛「…ちょっ。戸倉くん――」
蓮「じっとしてて。こうしてたらあったかいでしょ?」
耳元でささやかれ、凛は耳まで真っ赤になる。
凛(な…なんでこんなことになってるの〜…。戸倉くんが…わたしをっ)
恥ずかしさのあまり、キュッと目をつむる凛。
そのとき背中から物音がして、背を向けていた冷凍庫のドアが開く。
店長「2人とも大丈夫…!?」
凛は驚いて目を向けると、開いたドアのところには店長が立っている。
凛「て…店長…!」
店長「ブザーが鳴ったからきたんだよ」
凛「ブザー…?」
首をかしげる凛。
蓮は凛から体を離すと、店長のほうを向き直る。
蓮「さすが店長っ。助けにきてくれると思ってました!」
店長「も〜、戸倉くん。こんなところで女の子に抱きついちゃダメでしょ」
蓮「抱きついてたんじゃありません。凛ちゃんを温めてたんです」
店長「やってることは同じだよ。ほんと、戸倉くんってプレイボーイだよね〜。権田原さん、なんともない?」
凛「あっ…はい。わたしはべつに…」
ポカンとしながら、冷凍庫から出る凛。
凛「…あの。さっき『ブザー』って…」
店長「ああ。この冷凍庫、外からは開けられないから、もし中に人が閉じ込められたら事務所にあるブザーが鳴る仕組みになってるんだよ。ドアが閉まってる状態で、中で熱を感知したら鳴るのかな?詳しい仕組みはわからないけどねっ」
ハハハと笑って話す店長。
その話を聞いて、蓮に顔を向ける凛。
凛「戸倉くん、…そのこと知ってたの?」
蓮「まぁ、ここでバイトしてるからね。それくらいのことは」
いたずらっぽく舌をペロッと出して笑う蓮。
凛(…そうだったんだ!どうりで、焦るような素振りもなく、どこか余裕があると思った。わたしはあのまま凍死しちゃうじゃないかと思ってたのに…)
◯カフェ『SUNNY』、ホール(前述の続きから1時間後)
冷凍庫での仕事が終わった凛は、ホールに出てお客さんから注文を取る練習をしていた。
初めての接客にドキドキする凛。
表情が固くなるも、なんとか笑顔をつくりながら接客する凛。
その仕事の傍ら、凛は同じく注文を取っている蓮に目を移す。
テキパキと仕事をこなす蓮を見て、普段見ない一面にかっこいいと思ってキュンとする凛。
ふと、先程の冷凍庫で抱きしめられたことを思い出す。
凛(わたしったら、仕事中になにを思い出してるんだろう…!)
首を左右にブンブンと振り、思い出したことを打ち消す凛。
しかし、すぐにまた蓮を目で追い頬が赤くなる。
蓮『じっとしてて。こうしてたらあったかいでしょ?』
凛(…あんなことされたら、ドキドキしちゃうに決まってるよ)
愛おしい目をして、蓮を見つめる凛。
爽やかな笑顔で接客する蓮。
接客させる女性客たちもうれしそうに笑っている。
蓮が注文を取り終え、厨房へ向かう。
蓮の後ろ姿を見つめながら、女性客たちが小声で話す。
女性客「今の店員さん、めちゃくちゃかっこよくなかった〜?」
女性客「次きたら、思いきって連絡先聞いちゃう!?」
そんな声が聞こえ、ドキッとする凛。
凛(まだ少ししかしてないけど、それでも十分すぎるくらいわかる。学校で人気の戸倉くんは、バイト先でも人気だってことが)
顔見知りの女性客と親しそうに話す蓮。
お願いされ、いっしょに写真に写る蓮。
嫌な顔ひとつせず、スマートに接客する蓮。
凛(やっぱり、戸倉くんは戸倉くん。冷凍庫でのことだって、べつにわたしだけの『特別』…じゃないよね。きっと、あの場にいたのがわたしじゃなくても、同じことをしてたよね)
落ち込み、不安げな表情を浮かべる凛。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(数日後)
凛がバイトを始めて数日後。
休憩時間。
事務所のイスに座って、持参した水筒のお茶を飲む凛。
凛以外、事務所にはだれもいない。
そこへ、同じく休憩にやってきた隆弘が事務所に入ってくる。
隆弘「お疲れさまです、権田原さん」
凛「お疲れさまです」
隆弘はテーブルを挟んで、凛の向かいのイスに座る。
隆弘「そういえば、権田原さんもバイトするの初めてなんですよね?」
凛「…はい。まだ慣れなくて困ってます。松井くんはどうですか?」
隆弘「ぼくも…全然ですっ。でも、やっていて楽しいです!」
キラキラした笑顔を見せる隆弘。
凛「それはわたしも感じています。スタッフのみなさんも優しい方ばかりで」
隆弘「そうですよね!…ていうか、初日から思ってたんですけど、なんで敬語ですか?ぼくのほうが年下ですよね?」
キョトンとした顔をして、首をかしげる隆弘。
凛「あっ…。これが、わたしのいつもの話し方といいますか…」
恥ずかしそうに手をもじもじさせる凛。
隆弘「そんな、ぼくに対しては敬語やめてください。権田原さんのほうが年上なんですから」
凛「年齢なんて関係ないです…!」
隆弘「でも、なんだか距離感じちゃいます…。短期とはいえ、せっかく同じときに入った同期なんですから」
凛「『同期』…ですか」
隆弘「はい、『同期』です!なので、短い間ですけど仲よくなりたいなって思ってます」
にこりと微笑む隆弘。
それを見て、頬がゆるむ凛。
凛「そうですね。改めまして、よろしくお願いします」
隆弘「こちらこそ、よろしくお願いします。…って、まだ堅いですよ、権田原さん」
隆弘にそう言われ、照れ笑いする凛。
凛「…すみません。なかなか慣れないもので」
隆弘「それじゃあ、まずは呼び方から変えてみませんか?」
凛「呼び方…?」
首をかしげる凛。
隆弘「ぼく、あまり名字で呼ばれるの慣れてないんですよね」
凛「そうなんですか?じゃあ、なんて呼んだら…」
隆弘「『隆弘』でお願いします!そっちのほうがしっくりくるので」
凛「隆弘くん…ですか?」
隆弘「はい!ぼくも『凛さん』って呼んでもいいですか?権田原さん名字って…正直長くて、…すみませんっ」
ペコッと頭を下げる隆弘。
それを見て、クスッと笑う凛。
凛「それ、よく言われます」
隆弘「…やっぱり!それじゃあ、『凛さん』で」
隆弘はうれしそうに微笑む。
◯カフェ『SUNNY』(数日後)
仕事にも慣れてきた2人。
休憩時間が重なれば、楽しそうに雑談をする仲に。
凛にとって、隆弘は仲のいいバイト先の友達となっていた。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(数日後)
凛と隆弘がバイトを始めて2週間がたつ。
凛「お疲れさまです」
蓮「お疲れさまで〜す」
いっしょに事務所に入ってくる凛と蓮。
2人とも今から出勤で、たまたま裏口で会ったためいっしょに入ってきた。
隆弘「あっ、お疲れさまです!」
事務所には、今日のバイトが終わって着替えて帰ろうとしていた隆弘がいた。
隆弘「お2人とも、今からですか?」
凛「うん」
蓮「そうだよ」
隆弘「今日、ずっと満席で大変でした〜…」
蓮「土曜日だからね。それに、この前雑誌で取り上げられたみたいだから、そのせいじゃないかな?」
隆弘「なるほど〜…。お客さんが多くて、ぼくテンパっちゃって…。ミスしまくりだったんです…」
肩を落として落ち込む隆弘。
隆弘「ぼくと違って、凛さんはいつも冷静だから大丈夫だとは思いますが」
凛「…そんなことないよ!でも、たしかに今日はいつも以上に忙しそうだね」
隆弘「はい。あとのこと、お願いします」
凛「ほんとにお疲れさま、隆弘くん」
隆弘「お疲れさまです」
ペコッと頭を下げ、凛と蓮の横を通りすぎる隆弘。
凛は、隆弘の背中を見送る。
蓮「凛ちゃん」
隆弘が事務所から出ていくと、蓮が凛に声をかける。
凛「ん?」
振り返る凛。
蓮は、少しムスッとしている。
蓮「凛ちゃんさ、松井くんと…仲いいよね?」
凛「そう…なのかな?まあ、同じタイミングで入った短期スタッフだからね」
蓮「…本当にそれだけ?」
凛を見下ろしながら、一歩凛に詰める蓮。
蓮「だって、休憩時間とかバイト上がったあととか、よく2人が事務所で話してるの見かけるんだけど…」
凛「あ〜っ。それは、お互いに今日はこんな新しいことができたよとか、それどうやるの?とか聞き合ってて――」
蓮「だったら俺に聞いてよ!」
壁を背にして立つ凛に対して、壁ドンをする蓮。
大きな声を出した蓮に、驚いて見上げる凛。
凛「戸倉くん、…急にどうしたの?」
蓮「どうしたのじゃないよ。なんでもっと俺を頼ってくれないの?俺、凛ちゃんの指導係だよね?わからないことがあったら、まず俺に相談してよっ」
少し泣きそうなように、くしゃっとした表情で凛に訴えかける蓮。
見たこともない余裕のない蓮の表情に、思わず口がぽかんと開く凛。
蓮「…俺って、そんなに頼りない?年下で新人の松井くんのほうがいい?」
凛「そ…、そういうつもりじゃなかったんだけど…」
慌てて否定する凛。
凛(戸倉くんはお客さんからも人気だし、要領よくて人一倍仕事もこなしてるから…わたしが声をかけて時間を取らせるのは悪いかなって思って。だから、新人同士で解決できるならと思って、松井くんと情報交換として話していただけなんだけど…)
蓮の顔をのぞき込む凛。
凛「戸倉くん、…なんかいつも感じが違うけど」
凛が聞き返すと、頬を赤くしながら視線をそらす蓮。
少し口をとがらせる。
蓮「…ごめん。今、ヤキモチ焼いてた」
と、小さく口ごもるようにつぶやく蓮。
その発言に、一瞬にして顔がぽっと熱くなる凛。
凛「ヤ…ヤキモチ…!?」
蓮「そりゃそうでしょ。2人、いつの間にか名前で呼び合ってるんだから」
凛「それは、流れでそういう話になって…」
蓮「流れで?俺なんて、松井くんよりも前から凛ちゃんと知り合ってるのに、未だに『戸倉くん』だけど?」
迫るように、肘をついて壁ドンをしたまま蓮が顔を近づけてくる。
間近で蓮と目が合い、心臓がバクバクする凛。
恥ずかしすぎて、まともに蓮の顔も見れない。
蓮「俺だって、下の名前で呼んでほしい」
メガネがズレる凛を見つめる蓮。
ごくりとつばを呑む凛。
凛「も…、もう〜。なに言ってるの、戸倉くん。下の名前でなんて、他の女の子から呼んでもらってるじゃん」
蓮「他の女の子なんて興味ない。俺は、凛ちゃんに呼ばれたいの」
凛「わたしに…?」
蓮「そうだよ。好きな人に自分の名前を呼んでもらいたい。そんなの、当たり前のことじゃん」
その言葉を聞き、キョトンと目を丸くする凛。
パチクリと何度も瞬きをする。
そのとき、休憩で女性店員が事務所に入ってくる。
ドアの開く音に反応して、凛から体を離す蓮。
女性店員「お疲れさまです〜」
蓮「…お疲れさまですっ」
凛「おっ…おおおお…お疲れさまです…!」
瞬時にお互い背中を向けて、何事もなかったかのようにあいさつをする蓮と凛。
凛は挙動不審な感じで、冷や汗を流す。
女性店員「2人とも今から?まだ着替えてなかったの?」
凛「ちょ…ちょうど着替えようとしていたところで…!」
凛は慌てながら女子更衣室に入っていく。
ドアを閉め、ドアに背中をつけてズルズルとへたり込むようにして床にしゃがみ込む凛。
凛(…びっくりした〜…)
さっきの出来事を振り返る凛。
蓮『俺は、凛ちゃんに呼ばれたいの』
凛『わたしに…?』
蓮『そうだよ。好きな人に自分の名前を呼んでもらいたい。そんなの、当たり前のことじゃん』
思い出して、顔を赤くする凛。
凛(さっき戸倉くん、『好きな人』って言ってたけど。それって……)
凛の胸がドキッとなる。
◯カフェ『SUNNY』、事務所(2週間後)
その間、何度か蓮とシフトがかぶることがあった凛。
しかし、休憩時間や上がる時間が同じタイミングになることはなく、バイト中の業務的な会話しか交わしていなかった。
その間も、凛と隆弘が話している場面に遭遇すると、ヤキモチを焼いたように少し頬を膨らませる蓮。
そんな日々が続く。
そして、凛と隆弘の短期のバイト最終日。
2人とも同じシフトで入っていて、同じ時間に上がる。
凛と隆弘がそれぞれ更衣室から出て事務所へ行くと、店長が待っていた。
店長「この1ヶ月お疲れさま。2人がきてくれたおかげで、夏休みの繁忙期を乗り切ることができたよ。本当にありがとう」
凛「とんでもないです。こちらこそ、貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました」
凛は店長に深々と頭を下げる。
隆弘「ぼくも初めてのバイトでドキドキしてましたけど、とっても楽しかったです!ありがとうございました!」
隆弘も店長にお辞儀をする。
店長「そういえば2人とも、このあと用事ある?」
店長の言葉に顔を見合わせる凛と隆弘。
凛「いえ」
隆弘「ぼくも家に帰るだけです」
店長「それならちょうどよかった。このあとお店に寄ってよ」
凛「お店に…ですか?」
店長「うん。『1ヶ月お疲れさま』ってことで、なんでも好きなものサービスするからさ!」
隆弘「いいんですか!?」
目を輝かせる隆弘。
店長「いいよー。お茶して帰ってね。権田原さんも遠慮しないで」
凛「…ありがとうございます!」
◯カフェ『SUNNY』、店内(前述の続き)
15時。
バイト上がりの凛は、隆弘といっしょにSUNNYの店内へ入る。
女性店員「いらっしゃいま――、あっ!2人ともお疲れさま〜」
凛と隆弘に気づく女性店員。
窓際の席へ案内する。
テーブルを挟んで向かい合わせで座る凛と隆弘。
女性店員「店長から聞いてるよ。またあとで注文取りにくるね」
女性店員は、お冷やとメニューをテーブルの上へ置いていく。
メニューを手に取り、ページをめくる隆弘。
隆弘「ぼくは、ハンバーグプレートにします!」
凛「ハンバーグプレート!?この時間に?」
隆弘「はい!バイト終わり、いつもお腹ペコペコで。凛さんはなににしますか?」
凛にメニューを手渡す隆弘。
凛「わたしは…えっと〜…」
凛はメニューに目を移す。
女性店員「2人とも決まった?」
凛と隆弘の席へさっきの女性店員が注文を取りにやってくる。
隆弘「ぼくは、ハンバーグプレートでお願いします!」
女性店員「この時間からハンバーグ!?さすが松井くん、食べ盛りの男子だね〜」
隆弘「エヘヘ…♪」
女性店員は次にメニューとにらめっこをする凛に視線を向ける。
女性店員「権田原さんは?」
店長から遠慮しないでと言われたものの、どうしても値段に目が行ってしまう凛。
凛「…わたしは。それじゃあ…アイスティーで」
女性店員「アイスティー…!?そんなのでいいの?」
凛「あ…、はい」
女性店員「それは遠慮しすぎだって〜。せっかく店長がああ言ってくれてるんだしさっ」
隆弘「そうですよ〜、凛さん。せめて、ケーキセットとかにしたらどうですか?」
隆弘は凛からメニューを取り上げると、ケーキセットのページを開ける。
その中に、以前朋子が頼んでいたケーキセットのケーキを別途でカヌレに変更したものの写真が載っていた。
つばをごくりと呑む凛。
凛「あの…」
女性店員「ん?」
凛「これでも…いいですか?」
遠慮がちに、人差し指でカヌレの写真を指さす凛。
女性店員「あ〜、カヌレのケーキセットね」
凛「…あっ。やっぱり…高いですよね。もう少し安いほうが――」
女性店員「そんなことないって!」
凛「そ…そうですか?…それじゃあ、お願いしますっ」
女性店員「オッケー。ドリンクは?アイスティーでいいの?」
凛「…あ、はい」
女性店員「本当に?」
ニヤリとして、凛の顔をのぞき込む女性店員。
女性店員「権田原さんがどうしてもアイスティーが飲みたいならいいけど、もし他に飲みたいものがあるなら変えるなら今だよ!」
そう言われ、凛は無意識のうちにドリンクが書かれた枠の中の【ロイヤルミルクティー】という文字に目が行っていた。
初めてSUNNYにきたときに、朋子がカヌレのケーキセットとロイヤルミルクティーを注文していた。
それがおいしそうでたまらなかった。
女性店員「1ヶ月がんばったご褒美だと思って。遠慮したら損だよっ」
女性店員が背中を押してくれたことで、凛はゆっくりと口を開く。
凛「それじゃあ…、ドリンクは…ロイヤルミルクティーでお願いします…!」
凛の本音を聞き出し、満足したように笑みを見せる女性店員。
女性店員「了解♪」
にこりと笑うと厨房へ向かっていった。
しばらくすると、凛と隆弘が注文した料理が運ばれくる。
蓮「お待たせいたしました」
隆弘「あっ!戸倉さん!」
蓮の顔を見上げる隆弘。
蓮「2人とも1ヶ月のバイト、お疲れさま」
蓮はそう言いながら、丁寧に料理をテーブルの上へ並べる。
隆弘「戸倉さん、お世話になりました!ぼく、戸倉さんといっしょにバイトできてよかったです!」
蓮「そう?俺、そんなたいしたことしてないと思うけど」
隆弘「いえいえ。ミスなく仕事こなすし、めちゃくちゃかっこよかったです!」
蓮「そうかな〜?ただの慣れだよ」
隆弘「そんなことないです!男のぼくでも惚れそうになりました!」
隆弘は、尊敬のまなざしを蓮に送る。
蓮は隆弘ににこりと笑ってみせると、凛のほうへ顔を向ける。
蓮「凛ちゃんもごゆっくり。…と言いたいところだけど、あんまり2人で仲よくしないでね」
小声で凛にささやく蓮。
凛はその言葉の意味がよくわからず、不思議そうに首をかしげる。
隆弘「いただきま〜すっ♪」
蓮が立ち去ると、手を合わせてさっそくハンバーグを頬張る隆弘。
そんな隆弘の向かいで、凛もティーカップを手に取る。
ロイヤルミルクティーをひと口飲み、フォークで半分に切ったカヌレをひと口食べる。
凛(…お、おいしい…!)
あまりのおいしさに目を輝かせ、静かに感動する凛。
ケーキセットを楽しみながら、隆弘と他愛のない話をする。
女性店員「いらっしゃいませ」
そんな声が聞こえ、凛の斜め前の席に、凛に背中を向けるようにして1人の女性が席につく。
黒に近い茶髪のロングヘア。
凛(…あれ?あの人、どこかで…)
凛が気になっていると、その席にお冷やを置きに蓮がやってくる。
沙織「蓮〜!きちゃった♪」
蓮に手を振る横顔が見え、はっとする凛。
凛(戸倉くんの元カノさんだ…!)
沙織は蓮の手首をつかみ、親しげに話をする。
それを見ていた凛の視線に気づき、隆弘が振り返る。
隆弘「戸倉さん、あいかわらず女性客に人気ですよね」
こそっと隆弘が小声でささやいてくる。
軽くあしらうように接客する蓮。
しかし、ベタベタとする沙織。
隆弘「イケメンだし仕事はできるし、そりゃモテますよね〜。女の人には困ってなさそうだけど、彼女とかいるのかな?」
凛に話しかけるような隆弘のひとり言。
凛(妹思いな戸倉くんに、…彼女がいないことは知っている)
凛は、この前の事務所での出来事を思い出す。
蓮『…ごめん。今、ヤキモチ焼いてた−』
蓮『他の女の子なんて興味ない。俺は、凛ちゃんに呼ばれたいの』
蓮『好きな人に自分の名前を呼んでもらいたい。そんなの、当たり前のことじゃん』
そのときの蓮の顔を思い出し、ほんのりと頬が赤くなる凛。
凛(あのときは、もしかして戸倉くん…わたしのこと――。なんて思っちゃったけど…)
そう思いながら、チラリと蓮に目を移す凛。
沙織と話をする蓮。
凛からの席では、2人の会話はほとんど聞こえない。
なにを話しているかわからず、不安な気持ちになる凛。
沙織の席を離れたあと、べつの女性客グループの席につかまり、写真撮影に応じる蓮。
それらを見て、凛は視線を落とす。
凛(忘れちゃいけない、戸倉くんはプレイボーイだってこと。わたしだけじゃなくて、戸倉くんは女の子みんなに優しいんだよね)
小さくため息をつく凛。
沙織はたびたび蓮を席に呼び出し、なにかを話している。
それが毎回気になってしょうがない凛。
そのあと、隆弘も読書好きということがわかり、2人の会話が弾む。
そのとき、店内にグラスが割れる音が響く。
蓮「失礼いたしました…!」
凛と隆弘が驚いて目を向けると、蓮が慌てて床に散らばったガラスのコップの破片を拾っていた。
隆弘「戸倉さんが…ミス?めずらしいですね」
凛「…そうだね」
隆弘「ていうか、戸倉さんも失敗するんですね。いつも完璧だから、あんな姿初めて見ました」
凛「わたしも…」
心配そうに蓮を見つめる凛。
◯カフェ『SUNNY』、お店の前(前述の続き)
お店を出て、向かい合う凛と隆弘。
隆弘「おいしかったですね、凛さん」
凛「そうだね。料理はおいしいし、スタッフの人はみんな優しいし、本当にいいところでバイトさせてもらえたなぁ」
凛は、名残惜しそうにSUNNYを見つめる。
隆弘「凛さん、今からお家に帰るんですか?」
凛「うん。明日から2学期だし、学校の準備もしないといけないし」
隆弘「そうですか。それじゃあ、送ります!」
凛「…えっ?わたしの家まで?」
隆弘「はい!凛さんと好きな作家さんも同じとわかったので、もう少し語りたいですから」
ニッと笑う隆弘。
凛「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて――」
蓮「…ちょっと待って!」
突然、凛の後ろから声がする。
凛と隆弘は声がしたほうへ振り返る。
そこには、私服姿の蓮が息を切らしながら立っていた。
隆弘「あれっ?戸倉さん?バイト上がりですか?」
蓮「うん。さっき上がったとこ」
隆弘「お疲れさまです。じゃあ、ぼくたちはここで――」
蓮「待って、松井くん」
蓮が隆弘の肩に手を置く。
蓮「凛ちゃんを送るんだよね?だったら、俺が送るから」
隆弘「え?でも――」
蓮「俺が、おーくーるーかーらー!」
場の空気が読めずキョトンとする隆弘。
そんな隆弘に対し、笑顔をつくりながらも言葉に圧をかけてる蓮。
隆弘「そうですか?戸倉さんがそこまで言うなら」
蓮「わかってくれてありがとう、松井くん」
蓮は、隆弘と凛の間に割り込む。
凛「それじゃあまたね、隆弘くん」
隆弘「はい!また連絡します!」
手を振り合う凛と隆弘。
隆弘の言葉を聞いて、凛のほうを振り返る蓮。
蓮「…凛ちゃん、松井くんと連絡先交換したの?」
凛「うん。さっき同じ趣味で盛り上がって、そのときに」
蓮「…あ、そうなんだ。うん…、とりあえず行こうか」
テンションが下がる蓮。
そんな蓮を凛は不思議そうに見つめる。
◯凛の家までの帰り道(夕方、前述の続き)
2人並んで歩道を歩く凛と蓮。
蓮「凛ちゃん。もし松井くんから連絡あっても、絶対に2人で遊んだりしたらダメだからね?」
凛「えっ?べつにわたしと松井くんは、2人で遊ぶような仲じゃ――」
蓮「いいから。もし誘われたら、俺もいっしょに行くからっ」
ムスッとして頬を少し膨らませる蓮。
しばらく歩くと、凛の家が見えてくる。
凛「あそこがわたしの家なの」
角の家を指さす凛。
凛「送ってくれてありがとう。このあたりまでで大丈夫だよ」
蓮「ううん、家の前まで送るよ」
凛「そう?でも、戸倉くんの家…真逆だよね?」
蓮「俺が送りたいから送るの」
凛「優しいんだね。ありがとう」
にこりと優しく微笑む凛。
凛「そういえば、戸倉くんがミスするなんてめずらしいよね」
蓮「…あ〜。俺、派手にグラス割ってたよね。そのあとにオーダーミスもしちゃってさ」
凛「そうなの?いつもなら絶対にそんなことしないのにね。今日はどうしたの?調子でも悪い?」
凛は自分の家の前で足を止め、蓮の顔をのぞき込む。
そんな凛を見て、蓮は恥ずかしそうに顔をそらす。
蓮「そりゃ…ミスだってするよ」
凛「え…?」
蓮「…だって、凛ちゃんと松井くんのことが気になって、全然集中できなかったんだから」
眉を下げて顔を赤らめながら、凛に訴えかける蓮。
その蓮の表情を見て、ドキッとする凛。
凛(わたしと松井くんのことが気になって…?わたしだって、戸倉くんと元カノさんが話しているのを見て、気になってしょうがなかったけど、……同じ気持ちだったってこと?)
母親「…凛?」
そのとき、後ろから凛の母親の声がする。
買い物袋を手にさげた母親が、凛と蓮に歩み寄る。
凛「あっ、お母さん」
母親「バイトお疲れさま。…えっと、そちらの方は?」
蓮に視線を移す母親。
凛「同じバイト先の――」
蓮「戸倉といいます。はじめまして」
ペコリと頭を下げる蓮。
凛「バイト終わりに、家まで送ってもらったの」
母親「あら、そうだったの。わざわざありがとうございます」
蓮にお辞儀をする母親。
母親「凛。夕飯の支度、手伝ってくれる?」
凛「…あ、うんっ」
凛はチラリと蓮に目をやる。
本当は蓮と話の続きをしたかったが、気になるところで母親がやってきたため、名残惜しそうに蓮に視線を送る凛。
凛「それじゃあ戸倉くん、送ってくれてありがとう」
蓮に手を振り、母親といっしょに家の中へ入っていく凛。
◯学校、2年2組の教室(放課後)
次の日。
2学期最初の登校日。
始業式とホームルームで、学校は午前中のみ。
ホームルームが終わり、パラパラと帰っていく生徒たち。
凛も帰ろうとバッグを肩にかけ、教室を出ようとする。
女子生徒たち「ゴンさん」
そのとき、ドアを塞ぐようにして3人の女子生徒たちが凛の前に現れる。
同じクラスと隣のクラスの女子生徒たち。
驚いて目を丸くする凛。
凛「あ…あの、通れないんですが…」
女子生徒たち「悪いけど、今からちょっと付き合ってるくれる?」
女子生徒たち「話があるんだけど」
凛「…話?」
女子生徒たち「いいからっ!」
凛は胸ぐらをつかまれ、無理やり引っ張られていく。
◯学校、屋上(前述の続き)
屋上に連れてこられた凛。
凛は3人の女子生徒たちと向かい合うようにして立つ。
眉間にシワを寄せ、不機嫌そうな表情の女子生徒たち。
凛「…なんですか、こんなところに連れてきて」
女子生徒たち「なんですかは、こっちのセリフ」
女子生徒たち「ゴンさんこそ、なんなの?」
女子生徒たち「ゴンさんの分際で、色目なんか使ってんの?」
女子生徒たちに詰め寄られる凛。
圧倒され、凛は一歩後ずさりする。
凛「あの…、言っている意味がよくわからないんですが…」
女子生徒たち「…わざとらしい」
女子生徒たちは眉間にシワを寄せて、口々に文句を言い合いながら顔を見合わせる。
女子生徒たち「でも本当にわかってないのなら、ハッキリ言ってあげる」
腕を組んで、凛にゆっくりと歩み寄る女子生徒。
女子生徒たち「ゴンさんあなた、蓮につきまとうの、もうやめてくれる?」
訳がわからず、ぽかんとした表情を浮かべる凛。
凛「…つきまとう?わたしが?戸倉くんに?」
女子生徒たち「そうよ!夏休みに、蓮と同じところでバイトしてたんでしょ!?」
女子生徒たち「バイトがしたいなら、他にたくさんあるでしょ!?なんでわざわざ蓮のカフェにっ」
凛「それは……。バイトしている戸倉くんのことも知りたかったから…」
凛の素直な言葉に、女子生徒たちの目尻がピクッと動く。
女子生徒たち「それをつきまとってるって言うの!ちょっといっしょに学級委員やったからって、勝手に蓮を自分と同じ仲間だなんて思わないでよね!」
女子生徒たち「地味なゴンさんと蓮とじゃ、住んでる世界が違うの!蓮が迷惑するだけだから、ほんとそういうのやめて!」
女子生徒たち「いくら蓮がプレイボーイって言ったって、遊びだったとしてもゴンさんを選ぶわけないでしょ!頭いいなら、それくらい考えなさいよ!」
3人から口々に罵倒され、肩をすくめてうつむく凛。
女子生徒たち「優しくしてもらったりしたかもしれないけど、蓮はみんなに優しいの!それが蓮なの!」
女子生徒たち「そんなことで、蓮のこと好きになったりしてないよね?もしそうならウケるんだけどっ!」
ケラケラと笑う女子生徒たち。
女子生徒たち「蓮はテキトーな人間なの。テキトーに女の子たちと遊んで、毎日お気楽に過ごしてるの。アタシたちもそれを知ってて、プレイボーイの蓮と――」
凛「…そんなんじゃないっ」
絞り出すような凛の声。
うつむいたまま、力を込めた握りこぶし作り、肩をプルプルと震わせる凛。
凛「戸倉くんは、そんな適当な人なんかじゃないっ!」
目を見開けてにらむ凛に、女子生徒たちは一瞬怯む。
女子生徒たち「…は?なに言ってるの?」
女子生徒たち「ゴンさんこそ、蓮とほとんどしゃべったこともないくせに、テキトーなこと言わないでよね!」
凛「じゃあ聞くけど、あなたたちは戸倉くんのなにを知ってるっていうの?」
凛の言葉に、ごくりとつばを呑む女子生徒たち。
女子生徒たち「なにって…、女の扱いにはうまいプレイボーイで、バイトだって女性客と出会うために――」
凛「戸倉くんは、そんな不純な理由でバイトなんかしてない!遊んでそうに見えるのだって、ただの勘違い!戸倉くんは、だれよりも妹さんたちのことを大事に思ってる優しいお兄ちゃんだよ!」
凛の必死の訴えに、キョトンとする女子生徒たち。
女子生徒たち「い…妹?」
女子生徒たち「蓮って、妹いるの…?」
女子生徒たち「…さぁ?聞いたことないけど」
困ったようにそれぞれ顔を見合わせる女子生徒たち。
凛「あなたたちこそ、戸倉くんのことをよく知りもしないのに勝手なことを言わないでください…!」
女子生徒たち「…なっ!!ゴンさんのくせに、なにその口の利き方…!!」
カッとなった1人が、右手で凛の左頬を叩く。
パァン!というビンタする音が屋上に響く。
吹っ飛んで地面に転がる凛のメガネ。
凛「べつに…色目を使ってるわけでも、つきまとってるわけでもありません」
凛は叩かれた拍子に顔が右に向いたまま、ぽつりぽつりと話し始める。
凛「だけど、わたし…戸倉くんのことを好きになってしまったんです。…自分でも驚いています。だから、釣り合わないことなんて重々承知してます」
凛はゆっくりと女子生徒たちへ顔を向ける。
凛「でも、陰から戸倉くんを見てかっこいいなって思ったり、キュンとしたりすることは…そんなにダメなことなのでしょうか?」
潤んだ目で女子生徒たちに訴えかける凛。
いつもとは違う雰囲気の凛に息を呑む女子生徒たち。
女子生徒たち「だからぁ…。ゴンさんは黙って読書でもして、本だけ見てればいいの!たいしてかわいくもないくせに、そんな勝手な思い込みしてるだけでイライラする…!!」
さっき凛を叩いた女子生徒が、再び右手を振り上げる。
凛は怯え、目をつむる。
振り上げた女子生徒の手を後ろからだれかがつかむ。
怯えながらもゆっくりと目を開ける凛。
目に入ったのは、凛を叩こうとして手を振り上げた女子生徒の手首を後ろからつかむ蓮の姿。
女子生徒たち「…蓮!?」
蓮「この手…、どうするつもり?」
蓮はこれまでに見せたことのないくらいの冷たい視線で女子生徒を見下ろす。
女子生徒たち「い…いつからここに!?」
蓮の手を振り払い、蓮と向かい合うようにして立つ女子生徒たち。
蓮「ついさっき。帰ろうとしたら、廊下から凛ちゃんたちが屋上にいるのが見えたから」
女子生徒たち「ああ…そうなの。アタシたちは、ただゴンさんに話があっただけ」
蓮「話って?」
女子生徒たち「蓮につきまとうのはやめてって。ゴンさんなんかに好かれて蓮が迷惑してると思ったから、かわりに言ってあげたの」
蓮「ふ〜ん、そうなんだ」
興味なさそうに返事をする蓮。
蓮は3人の女子生徒たちの間を割って入ると、その向こう側にいる凛のもとへ歩み寄る。
人差し指で凛の左側の顔周りの髪を耳にかける。
叩かれて赤くなった頬を見て、悲しそうに眉を下げる蓮。
再び、女子生徒たちのほうを振り返る。
蓮「つきまとうのはやめてって、凛ちゃんに言ったんだよね?」
女子生徒たち「そうよ…!でも、ゴンさんがいろいろと口答えするから――」
蓮「じゃあそのセリフ、そっくりそのまま返すよ。俺につきまとうのやめてくれる?」
蓮の言葉に、ポカンとする女子生徒たち。
蓮「俺、凛ちゃん以外の女の子に興味ないんだよね。俺のためとか、勝手にそういうことされるほうが迷惑なんだけど」
女子生徒たち「…は?蓮…なに言って…」
女子生徒たち「相手…、ゴンさんだよ!?蓮がゴンさんに本気になるわけ――」
蓮「本気だよ。俺、凛ちゃんのこと本気で好きなんだよね」
凛の背中へ回り込む蓮。
女子生徒たちに見せつけるように、後ろから凛を優しく抱きしめる。
驚いて目を丸くして、蓮の腕の中で固まる凛。
女子生徒たち「…そんなっ、嘘でしょ…」
女子生徒たち「なんで…蓮がゴンさんなんかにっ…」
女子生徒たち「ありえない…。絶対に…ありえない」
呆然と立ち尽くす女子生徒たち。
蓮は落ちていたメガネを拾うと、凛の手を引く。
蓮に連れられ、屋上から出ていく凛。
◯学校、中庭(前述の続き)
凛が読書するときに使うベンチにやってきた蓮と凛。
ベンチに腰掛ける2人。
蓮「はい、どーぞっ」
凛にメガネを手渡す蓮。
凛「あ…ありがとう」
メガネを受け取ると、ぎこちない手つきでかける凛。
その凛の姿を見てなにかに気づいた蓮は、一旦どこかへ走っていく。
すぐに戻ってきて、水で濡れたハンカチを凛の叩かれた左頬にあてる。
蓮「これで少しはましになったらいいんだけど…」
不安そうな表情を浮かべる蓮。
凛「ありがとう」
微笑む凛。
ハンカチを自分で持とうと、左頬に手を伸ばす凛。
そのとき、ハンカチを持っていた蓮の手に触れる。
凛「…あっ……」
とっさに手を離す凛。
顔を上げると、真正面にいる蓮と目が合う。
凛「あ…、あの…。さっき言ってたことって…」
蓮「ん?」
キョトンとして首をかしげる蓮。
蓮「あ〜っ。俺が、凛ちゃんのことを好きって話?」
凛は顔を赤くしながら、こくんこくんとうなずく。
凛「あんなこと言って…よかったの?変な噂が広まっちゃうよ…?」
蓮「広まったって、べつにかまわないよ」
凛「…でも、戸倉くんが…わ、わたしのことを好きだなんて…そんな嘘……」
蓮「嘘なわけないじゃん。本気じゃなきゃ、あんなこと言わないよ」
蓮のまっすぐな瞳に吸い込まれそうになる凛。
蓮「もしかして、気づいてなかった?俺、何回か『好き』って言ったことあるよね?」
凛「それは…!なにかの冗談かな、とか…思ったりして…」
蓮「冗談なんかじゃないよ。『好き』って言うの、本当はすっげー緊張してたんだから」
照れたように笑う蓮。
その表情にキュンとする凛。
蓮はそっと凛の手を握る。
蓮「…えっと。凛ちゃんも俺と同じ気持ちってことで…いいんだよね?」
凛「え…?」
不安そうに、凛の顔をのぞき込む蓮。
蓮「さっき、あのコたちと話してるの…聞こえちゃったんだよね」
蓮は恥ずかしそうに頬をポリポリとかく。
凛はさっきのことを思い出す。
凛『だけど、わたし…戸倉くんのことを好きになってしまったんです』
思い出して、赤くなった顔を両手で隠す凛。
凛「あ…、あれは…!」
蓮「うれしかったよ。まさか、凛ちゃんがこんな俺みたいなヤツを好きでいてくれてただなんて」
凛「戸倉くんは、こんなヤツなんかじゃないよ…!家族思いでとっても優しくて、自立していてすごく尊敬してる」
尊敬のまなざしで蓮を見つめる凛。
蓮「俺だって、凛ちゃんの素直でまっすぐなところに惹かれたんだよ」
叩かれた凛の頬を労るように、蓮がそっと頬に手を添える。
蓮「だれにも流されない芯の強いところが好き。だからこそ、燃えちゃうんだよね」
舌をペロッと出す蓮。
凛「燃えちゃう?」
蓮「うん。凛ちゃんを俺だけの色に染めたいって」
凛の鼓動の速さがマックスになる。
蓮のかっこよさに、胸の高鳴りが止まらない凛。
凛「ほ…、本当にわたしでいいの?」
蓮「凛ちゃんじゃなきゃやだっ」
ベンチに座る凛を優しく抱きしめる蓮。
蓮「はぁ〜…、ずっとこうしたかった」
抱きしめたまま、蓮が凛の耳元でつぶやく。
蓮はいったん凛から体を離し、次におでことおでこをくっつける。
蓮「俺の本命彼女は凛ちゃんだけ」
おでこをくっつけたまま、上目遣いで凛に話しかける蓮。
蓮「俺は凛ちゃんしか見ない。だから、凛ちゃんも俺だけを見て?」
凛「…うん!」
凛ははにかみながらうなずく。
指を絡ませ、手をつなぐ凛と蓮。
凛(この日わたしは、噂のプレイボーイの戸倉くんとお付き合いすることとなった。恋愛初心者のわたしは、この日からとびきり甘く溺愛されることをまだ知らない)