君がくれた無垢な愛を僕は今日も抱きしめる
1.車椅子の君
ほんの少しの段差が障害になるときがある。
普通に歩いていたら何ともない僅かな段差。
車椅子の水瀬亮平にとってそれは目の前にはだかる大きな壁に見えた。
いつも通勤に使う道が一部工事中で、歩行者用の迂回経路ができている。段差有り、そして狭い。
(仕方ない、遠回りするか)
亮平は腕にぐっと力を入れて方向転換しようとした。
「あの、押しましょうか?」
「えっ?」
背後から声をかけられ、体を捻る。
「ここを通り抜けたらいいですか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
亮平は前に向き直る。
後ろから車椅子を押してくれる力に任せて自分もハンドリムに手をかけた。
小さく「んんんー」と唸る声が聞こえる。
どうやら一生懸命押してくれているらしい。
トンっと段差を越えるとスルスルと車椅子は動き出す。
「ありが――」
「向こうまで押していきますねー」
亮平がお礼を言う前に、彼女はハンドグリップを握り直し良い速度で押していく。
車椅子で通り抜けるには少し狭いためすれ違いに気をつけなければいけないのだが、彼女は朗らかな声で「すみませーん、通りまーす」とまわりの人に声をかけてなんなく迂回経路を通り抜けてしまった。
あまりの自然さに亮平はなすがまま、道を避けてくれる人にペコリと頭を下げるので精一杯だった。
「ここで大丈夫です。どうもありがとうございました」
「あっ、はいっ」
迂回路を抜けていつも通りの道に戻ると、亮平は軽く後ろを振り向きながらお礼を言う。その視線に気づき、彼女はパッと手を離した。
そこでようやく彼女と向き合う。
年齢は三十歳の亮平よりも少し年下だろうか。
緩く編み込んだ髪は彼女の柔らかな雰囲気にとてもよく似合っている。
ベージュのシャツにブラウンのエプロンは清潔感があり、どこかの店員のように見受けられた。
「ご親切にどうも。もしかしてお仕事中でしたか?」
「ええ、まあ。あ、でも大丈夫ですよ。お気になさらず。この先もところどころ工事してますけど、よろしければお送りしましょうか」
亮平はキョトンとした。
車椅子に乗っているとたまに親切にしてくれる人がいるが、この彼女はどうにも自然体で自分も仕事中だというのにそれを気にしていない様子。
「ああ、いや。すぐそこが会社なので本当にだいじょう――」
「ああっ、ごめんなさい。でしゃばりすぎました」
両頬を押さえながら必死に謝る彼女を見て、亮平は思わずくすりと笑う。
一生懸命さがにじみ出ている彼女の言動を見ているとなんだか面映ゆったく調子が狂うようだ。
「あの、迷惑だとかそういう意味で言ったんじゃなくて。本当にそこが会社なので。今日は助けてくれてありがとうございます」
「そうでしたか。ふふっ」
慌てていたのが一転、柔らかい笑顔に変わる。
ふと、既視感を覚えて亮平は彼女の顔をじっと見た。
「……失礼ですが、どこかでお会いしたことありましたか?」
聞いておきながら、自分の記憶を辿っても彼女と会ったことはないように思う。だったらこの既視感はなんだろうか。
「えっと……直接お会いしたことはないのですが、あなたがお店の前をよく通られてて、私はお店から見ていたので一方的に知っているというかなんというか……」
「お店? どこです?」
「ちょうどそこの工事が始まってる場所あたりの洋菓子店です」
と、亮平が車椅子で段差を上がることができなかったあの辺りを指さす。
そういえば黄色い看板が目を惹く洋菓子店があったことを思い出す。なるほど、亮平が感じた既視感は、ウィンドウ越しに彼女の姿を見ていたというわけだ。店に入ったことはないが。
「そうでしたか、それは失礼しました。では今度洋菓子買いに行きます」
「わあ、本当ですか。お待ちしてますね」
ぱっと微笑む柔らかな表情はまるで向日葵のように明るく花開き、亮平の心をそっと揺らして軽やかに去っていった。
普通に歩いていたら何ともない僅かな段差。
車椅子の水瀬亮平にとってそれは目の前にはだかる大きな壁に見えた。
いつも通勤に使う道が一部工事中で、歩行者用の迂回経路ができている。段差有り、そして狭い。
(仕方ない、遠回りするか)
亮平は腕にぐっと力を入れて方向転換しようとした。
「あの、押しましょうか?」
「えっ?」
背後から声をかけられ、体を捻る。
「ここを通り抜けたらいいですか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
亮平は前に向き直る。
後ろから車椅子を押してくれる力に任せて自分もハンドリムに手をかけた。
小さく「んんんー」と唸る声が聞こえる。
どうやら一生懸命押してくれているらしい。
トンっと段差を越えるとスルスルと車椅子は動き出す。
「ありが――」
「向こうまで押していきますねー」
亮平がお礼を言う前に、彼女はハンドグリップを握り直し良い速度で押していく。
車椅子で通り抜けるには少し狭いためすれ違いに気をつけなければいけないのだが、彼女は朗らかな声で「すみませーん、通りまーす」とまわりの人に声をかけてなんなく迂回経路を通り抜けてしまった。
あまりの自然さに亮平はなすがまま、道を避けてくれる人にペコリと頭を下げるので精一杯だった。
「ここで大丈夫です。どうもありがとうございました」
「あっ、はいっ」
迂回路を抜けていつも通りの道に戻ると、亮平は軽く後ろを振り向きながらお礼を言う。その視線に気づき、彼女はパッと手を離した。
そこでようやく彼女と向き合う。
年齢は三十歳の亮平よりも少し年下だろうか。
緩く編み込んだ髪は彼女の柔らかな雰囲気にとてもよく似合っている。
ベージュのシャツにブラウンのエプロンは清潔感があり、どこかの店員のように見受けられた。
「ご親切にどうも。もしかしてお仕事中でしたか?」
「ええ、まあ。あ、でも大丈夫ですよ。お気になさらず。この先もところどころ工事してますけど、よろしければお送りしましょうか」
亮平はキョトンとした。
車椅子に乗っているとたまに親切にしてくれる人がいるが、この彼女はどうにも自然体で自分も仕事中だというのにそれを気にしていない様子。
「ああ、いや。すぐそこが会社なので本当にだいじょう――」
「ああっ、ごめんなさい。でしゃばりすぎました」
両頬を押さえながら必死に謝る彼女を見て、亮平は思わずくすりと笑う。
一生懸命さがにじみ出ている彼女の言動を見ているとなんだか面映ゆったく調子が狂うようだ。
「あの、迷惑だとかそういう意味で言ったんじゃなくて。本当にそこが会社なので。今日は助けてくれてありがとうございます」
「そうでしたか。ふふっ」
慌てていたのが一転、柔らかい笑顔に変わる。
ふと、既視感を覚えて亮平は彼女の顔をじっと見た。
「……失礼ですが、どこかでお会いしたことありましたか?」
聞いておきながら、自分の記憶を辿っても彼女と会ったことはないように思う。だったらこの既視感はなんだろうか。
「えっと……直接お会いしたことはないのですが、あなたがお店の前をよく通られてて、私はお店から見ていたので一方的に知っているというかなんというか……」
「お店? どこです?」
「ちょうどそこの工事が始まってる場所あたりの洋菓子店です」
と、亮平が車椅子で段差を上がることができなかったあの辺りを指さす。
そういえば黄色い看板が目を惹く洋菓子店があったことを思い出す。なるほど、亮平が感じた既視感は、ウィンドウ越しに彼女の姿を見ていたというわけだ。店に入ったことはないが。
「そうでしたか、それは失礼しました。では今度洋菓子買いに行きます」
「わあ、本当ですか。お待ちしてますね」
ぱっと微笑む柔らかな表情はまるで向日葵のように明るく花開き、亮平の心をそっと揺らして軽やかに去っていった。
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