君がくれた無垢な愛を僕は今日も抱きしめる
陽茉莉の働く洋菓子店『レトワール』の店員の間では、亮平のことを『車椅子の君』と呼んでいる。

まずは陽茉莉が「めちゃくちゃ綺麗で格好いい人がいる」と騒ぎ出したことから始まる。

そんなことを言われたら、一目見てみたいというのが人間の心理ではないか。けれど亮平は毎日は通らない。レトワールの前を通る曜日に規則性は見つからず、ただ一つ言えることは、レトワールの開店前に姿を現すことが多いということだ。それにいつもスーツを着ているから出勤のためにこの道を通るのだろうかと想像する。

亮平の姿を見ることができた日はラッキーな日。

いつしか陽茉莉の中で亮平の位置付けがクジに当たるくらいのレアさになっていった。

そんなある日、開店前の準備をしていると亮平の姿が見えた。

(やった、今日はラッキーな日)

一人ニヤついていると、亮平の車椅子の様子がおかしいことに気づく。どうやら段差に手間取っているらしい。

「あの、押しましょうか?」

考えるより先に陽茉莉は動いていた。
車椅子の君が困っているのを放っておけなかった。

けれど押しながら鼓動がドキンドキンと速くなる。

(ああ~、声かけちゃった! 緊張する~!)

いつも遠くで見ているだけだった『車椅子の君』が目の前にいる。自分から声をかけたくせに、その事実がまるで夢のようだ。

(どうしようっ、やばいっ、近くで見るとめちゃくちゃかっこいいんですけどっ! うわあ、髪の毛もサラサラだなぁ。触りた……いかんいかん、これじゃ私変態みたいじゃん。平常心、平常心……)

亮平が顔を少し陽茉莉の方に向ける。
その横顔がまた綺麗で陽茉莉の心拍数を上げ、とっさに「向こうまで押していきますねー」と口走っていた。

車椅子を押すことなんて滅多にない。普段何とも思わない歩道がやけに狭く感じた。それにすれ違う人も、車椅子に気を遣って避けてくれる人、我が道を行く人、様々だ。

どちらがどうということはないけれど、工事中で道幅が狭くなっていることもあり、陽茉莉は「通りまーす」と声をかけながら進んでいく。

空は高く澄んでいる。
僅かに風を切りながら進んでいく彼が乗った車椅子をどこまででも押していきたいと思った。


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