青空くんと赤星くん
電車が家の最寄り駅である羽根駅に到着すると、赤星くんも一緒に降りた。
「赤星くんの家もこの辺なの?」
「悪いか」
「悪くなんてないよ。ん~、近所で赤星なんて苗字は見たことないけどな」
「俺だって牛丼なんて苗字は見たことねーよ」
「牛丼って言わないで」
「さっきも言ったけどな」
「え?いつ?」
「牛タンが意識朦朧としてた城元駅」
「牛タンも牛丼も言っちゃだめ」
「牛脂の家まで何分かかる?」
「もう!牛脂もだめだってば。えっと、10分くらいかな。赤星くん家は?」
「俺もそんくらい」
私は泣いた顔を両親に見られたくなかったから、トイレによって洗面所で顔を洗った。
戻ると、赤星くんが私のスマホを耳にあてていた。
「あ、はじめまして。くるみさんと同じクラスの赤星欣司と申します。今、くるみさんはお手洗いに行っています。……はい。安心してください。……今からくるみさんをお宅へお送りしますので、あと10分ほどで着きます。……いいえ、かまいません……では、失礼します」
赤星くんは電話を切ると、「母牛が失神する前にさっさと帰るぞ」と言った。
「母牛って、今のは私のお母さん?」
「そ。着いたら連絡くれってメールきたろ」
「……忘れてた。ありがとう。赤星くんって敬語もちゃんと使えるんだね」
「むしろ敬語の方が得意」
「それは嘘だよ」
ポン
ポン
ポン
ポン
ポン
キタ…………
私は赤星くんの手からスマホを取ろうと駆け寄った。
「見ないでっ!」
「そう言われると見たくなんだよな」
「じゃあ見てっ!」
「はいよ」
「もうっ!」
赤星くんは手を上にあげながら、新着メールをタップした。
私がどれだけジャンプしても、彼の手には届かなかった。
「返してよっ」
「泣いてたのはこういうことか」
「……。赤星くんに謝らなきゃいけないことがあるの。柔道部のみんなにも」
私は姫のアカウントを開いて、あの写真を見せた。
「本当にごめんなさい」
「遠目からじゃん。誰が誰かなんかわかりゃしね」
確かに被写体はグラウンドかと勘違いするほど、私たちは小さく撮られている。
ここから個人を特定することは不可能だろう。
だけど。
恩を仇で返すようなことになって、ごめんなさい、の気持ちで、指の腹でみんなの写真を撫でた。
「謝るのは盗撮したやつだろ。俺を敵に回したな」
気のせいか、赤星くんは不敵に笑って、「柔道部もな」と付け足した。
そして、またスマホを取り上げて、しばらく触っていた。
私はなんとなく、そのまま見つめていた。
とっても背が高いから、バスケ部でもバレー部でも重宝されるだろうな、とぼんやり思った。
数分後、赤星くんがスマホを投げてよこした。
「クソメールしてきたやつらは通報とブロックしといた。相手のアカウントが凍結されるまでは、まぁ我慢しろ。それか、もう一時停止するか?」
「……う、うん。……ありがとう!」
「いやだね」
どうしてこんなことも思いつかなかったのか。
私ばかだなぁ。
正面から悪口なんかを受け止めて。
赤星くんみたいに即シャットダウンしちゃえばよかったのだ。
「雨やんだな。行くか」
夜はすっかり冷え込んでいて寒く、月も雲に隠れて暗かった。
もしも赤星くんが見つけてくれなかったら、こんな夜道を暗い気持ちのまま歩いていたら、死にたくなっていただろうな……。
この横断歩道を赤信号で進んでたりして……。
『死ね』という、あの言葉通りに。
「赤星くんの家もこっち方面なの?」
「うっせーな」
「もしかして、もしかして、送ってくれてるの?」
足を止めて、厚い胸板を駆け上がるように赤星くんを見上げた。
少し大きい鷲鼻の上に見つけたのは、悲しそうに揺れている両目だった。
どうしたんだろう……?
「大丈夫だよ。ひとりで帰れるから」
「牛乳がちゃんと家に帰ったってわかるほうが安心すんだよ」
「……」
牛乳もだめだってば…………。
玄関ポーチにお母さんが上着も着ないで立っていた。
「くるみっ!心配したじゃない!」
「ごめんなさい……」
ギュっとされた。
私もお母さんの冷えた身体を包みながら、後でちゃんと謝るから、赤星くんの前で叱るのだけはやめてください、と願った。
お母さんはすぐに腕をほどいてくれたけど、「外出禁止にされたくなかったら、これからは早めに連絡しなさい」と注意した。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、どうもすみません。くるみの母でございます。娘を送ってくださって、ありがとうございます」
お母さんがよそゆきの声でお礼を言った。
「いえ。では、ぼくはこれで失礼します」
赤星くんもよそゆきの声で対応した。
「お待ちください。よかったら、うちで晩御飯を食べていってください。帰りは車でお送りしますよ」
お母さんの申し出を、赤星くんは珍しく、「いえ……。遠いので、けっこうです」と言い淀んだ。
私も援護射撃だ。
「それなら、なおのこと送らせてよ。お母さん、晩御飯なに?」
「ビーフステーキ」
「いただきます」
赤星くんは即決した。
お母さんの後に続いて、家にスイスイ入っていった。