青空くんと赤星くん
付け合わせの野菜には手を出さず、赤星くんはステーキから食べ始めた。
美味しいものは先に食べる派なのは、私も同じだ。
「お父さんは?」
「今日も残業で遅くなるって。よかったわね」
「うん。でも、お母さんが言っちゃうでしょ?」
「それは、遅くなった理由によるわ」
私はステーキの肉がなかなか噛めなくて飲み込めない、というジェスチャーをした。
お母さんは、あらそう、という感じに片方の眉を上げた。
どうしよう。
娘がネット上で誹謗中傷されて蹴落とされていることを知ったら、お母さんは本当に失神するかもしれない。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
そのとき、「美味しいです」と言ってからは黙々と食すばかりだった赤星くんが口を開いた。
「電車を乗り過ごしたんですよ。城元駅まで行ってしまったようです」
「そうそう!」
私はあちゃ~という感じで頭を抱えてみせた。
それでそれで?
「電車で寝過ごしているところを、たまたま僕が見かけて」
「うん。寝過ごしちゃった」
「寝てたら連絡はできないわよね」
お母さんは頷いた。
納得したみたいだ。
お母さんに嘘をついて、赤星くんに嘘をつかせていることが気になったけど、これは優しい嘘だから。
感じられなくなっていたステーキの味が戻ってきた。
赤星くんの家はここから車で30分以上はかかるところにあった。
その道中にお母さんは、「赤星くんは城元駅まで何しに行ってたの?」と質問した。
赤星くんは素っ気なく、「遊んでいました」と答えた。
私がきいたときは、確か「うっせーよ」と言われたはずだ。
むむむ。
「あそこら辺はいいわよね。近くにいくつかショッピングモールがあるでしょう?その中にあるケーキ屋さんが美味しくて、私もよく行くのよ」
「ぼくはゲームセンターが目当てでよく行きます」
「それなら番線が違うんじゃないかしら?くるみは乗り越して城元駅へ行ったんでしょう?でも、赤星くんは城元駅から帰るところだったのよね?」
言われてみればそうだ。
あの時は周りに押されるがままドアから出たけど、そのときに赤星くんに助けてもらったはずだ。
同じ車両に乗っていて同じ駅で降りようとしたか、城元駅よりも先の駅に行こうとしないかぎり、あそこにいたのはおかしい。
「それは……反対ホームからくるみさんが倒れてるのが見えて……押し出されて転んだのかと……」
返事に困ったように小さくなる声に反して、お母さんは「まぁ!なんて優しい子なの!」と大声を上げた。
「じゃあ、あのとき、赤星くんはわざわざこっちまで来てくれたの?」
そしてまた手をひいて反対側に戻ってくれたんだ。
私は急に彼に抱きついてしまいたくなった。
赤星くんはその後一切質問には答えず、自分の家に着くまでの間、めっきり黙り込んだ。
しばらく走って、ようやくナビが『目的地に到着しました』と言った。
車を脇に停めると、自動センサーが反応して光った。
3メートルくらいはある生垣に囲まれた赤星くんの家は、中が見えないほど葉が密集していた。
「着きましたよ。親御さんにご挨拶させてちょうだいね」
「まだ帰ってません」
「あらほんと。駐車場が空ね。もう22時を過ぎたけど……大変ね」
「母は用事がありまして。父は牛尾田さんちのお父さんと同じで残業です」
「そうなの。赤星くん、くるみを助けてくれて、本当にありがとうございました」
「お気になさらないでください。では、おやすみなさい」
「またうちにいらっしゃいね」
赤星くんはお母さんにだけ挨拶すると、そのまま帰ってしまった。
「お、お母さん。ちょっとだけ、待っててもらってもいい?」
「どうぞ」
門扉を開けて庭木のなかを走り、鍵を開けている赤星くんを呼び止めた。
「んだよ」
「あ、口調が戻った」
「今からばらしに戻ってやろうか」
「だめ!……えっと、お礼を言いたいと、強く思いまして」
「礼なら昼のエビフライでいい。じゃ」
「まって。あの、あの。赤星くんが、隣の席で、よかった、です」
「あそう」
「だって、そうじゃなかったら、今日助けてくれることも、なかったから」
「だな」
「明日の学校も、行けたかどうか、わからない……。たぶん、行けなかったから……」
「そ」
「でも、明日も隣に赤星くんがいてくれるなら、行こうって、思える」
「ん」
「助けてくれて、ありがとう」
「いやだね。もう行けよ。母牛が待ってる」
「母牛って呼ばないで。あと、牛尾田家は毎日ビーフ食べてるわけじゃないからね」
「それウケるな」
笑った赤星くんはやっぱりかわいい。
見た目のかっこよさとのギャップにやられそうだ。
「今日はたまたまビーフステーキだっただけなんだよ。じゃあ、また明日ね」
「明日な、牛乳」
「牛乳って呼ばないで」
明日ね。
隣にいてね赤星くん。
ありがとう。