青空くんと赤星くん
私は青先輩を階段の踊り場に追いやった。
「来るなら連絡してくださいよ!」
「元気そうでよかった。メールだと空元気なのか?って感じたからさ」
「わざわざ来てくれて、ありがとうございます。でも、良好です」
「心配したよ。メールの返信も遅かったし。フォトブックも停止しちゃってるしさ」
「……」
あなたのファンから嫌がらせメールが届くからだよ……、なんて愚痴りたくない。
何も言えずに床を見つめていると、青先輩の腕の中にくるまれた。
広い背中に親のような安心を感じる。
とてもいい匂いもする。
なんの香水かな。
どうでもいいや。
今は何も考えずに、先輩だけを感じていたい。
「……って、ここ階段です!」
「うんうん。2.5階」
私は腕から抜けて、真剣に青先輩を見つめた。
彼はゆっくりと近づいてきた。
「ち、違います。キスじゃありません」
「お堅いなぁ」
「昨日わかったんです。私と付き合ったせいで、青先輩のことを好きだった子たちがすごく傷ついていたってことに。だから、せめて学校ではイチャイチャしてる姿を見せたくないです。青先輩は間違いなく、この学校のアイドルだから」
「アイドルなんかじゃないよ。……けど、賛成。くるみちゃんがまた虐められたらいやだからね。『削除してください』って噛みついてたけど、もうしちゃだめだよ」
『虐められた』にグサっときて、『噛みついてた』にイラっとした。
なんだか納得いかないよ。
「でも、」
「でもじゃない。いい?倫理観の低い姫のような人には、何を言っても通じないんだよ。そういうことが悪い事だっていう常識的な感覚がないんだ」
「だからほっとけって言うんですか?ずっと言われっぱなしで、盗撮も我慢しなくちゃいけないんですか?」
「その我慢は、姫のウザ絡みに応戦しなければ起こらないことだよ。たとえば、学校で苦手な人がいたらその場を離れるのと一緒でさ、距離をとればいいだけだよ」
「私が『やめて』って言っても、姫はわかってくれないんですか?」
「残念だけど不毛だね」
「……姫にいいね!してる人たちもそうなんでしょうか?」
「俺は無駄だと思うな。人の痛みがわからない人って、けっこういるもんだよ。他人を思いやる心もなくて、善悪の判断もできないような人に、情で訴えるってすごく難しいんだ。だから、無視するのが最善策」
「……」
「闘っちゃだめ。くるみちゃんがそのたびに消耗するだけだよ」
「はい……」
「姫が何を投稿するのかは、チェックしないで。いい?」
「でも、気になっちゃいます。なるべくそうしてみますけど」
「誓える?」
「……誓います」
「くるみちゃんが『青先輩を返して』とか、『別れろ』とかのコメントを真に受けないか心配なんだ」
「約束は守ります」
私は青先輩の前でニッコリして頷いた。
ただ、実物が姫であれ庶民であれ、加茂校の生徒である事実だけは気に留めていよう、とは思っていた。
青先輩は壁にもたれて、「よかった。赤星みたいに応戦しないのが得策だよ」と付け加えた。
青先輩は何もしてくれなかったんだな、なんてつい思ってしまった。
彼だって、超好意的にだけど、姫にあれこれ言われている身であって、被害者といえば被害者なのに。
まぁしかし、『その面剥がしてやる』とは、どうやら赤星くんは好戦的な性格らしい。
「もし写真を削除してくれなかったら、赤星くんはどうやって姫の正体を探るつもりだったんでしょうか?」
「今までのつぶやきをさかのぼれば、見当つくだろうね。俺のクラスの女子だって噂もあるよ。クラス写真とか、あとたまに、同じクラスのやつしか知らないようなことが書いてあったりもするらしいから」
「どんなことですか?」
「たとえば、5限目に寝てた、とか」
「5限目は寝ちゃいますよね。お昼ご飯を食べて上がった血糖値が、ちょうど下がるころだから。お昼休みにいつも急いでデザートを食べちゃうから、眠気がすごくて」
「30分しかない昼休みにさ、チョコパンとか揚げパンとかも食べた日は、必ず眠気がくるよね。俺は学級委員だから絶対に寝れないんだよ。少しウトウトするだけにとどめないと示しがつかないでしょ。今まで一度も先生にばれたことないんだ」
「姿勢よく眠ってるんですか?」
「そう。コツはちゃんと手にシャーペンを持って、姿勢を正しておくこと」
「先生にもバレないのに、よく姫はわかりましたね」
「俺の席がど真ん中だからさ、色んな人から一番見える席なんだ。とにかく、俺じゃなくて、黒板を見ろって話」
「いいえ。居眠りはだめって話です」
私は姫なんてどうでもいい、と装いながら、内心ではがっかりした。
たしかに、青先輩より後ろの席でも、斜め後ろの席なら横顔は見えるし、前の席でも、少し首の角度を横向きにすれば、顔がほぼ見える。
特定は無理だ。
「ひとつ言っておくよ」
青先輩は私から目をそらして、窓から見える雨雲を見上げた。
「ずっとは守ってあげられないよ。俺は3月で卒業するんだからさ」
私は気に留めないふりをして、ちょこちょこタイムを一粒、口の中へ放り込むようにキャッチした。
こんなときこそ甘いものを口にしたくなるのに、もう最悪、ビター味だった。
「青先輩、ちょっと怒ってますか?」
「ぜんぜん怒ってないよ」
「……盗撮されたあの写真、見えにくいけど、ちゃんと望ちゃんっていう女の子も写ってるんですよ」
「マジでっ!?」
急いでスマホを出した青先輩は、スクロールしてあの写真を拡大してまじまじと見た。
「ここですよ」と望ちゃんを指すと、大きくため息をついて、「女子はくるみちゃんしかいないと思ってた。……嫉妬してごめん」と謝った。
「『ひとつ言っておくよ。ずっとは守ってあげられないよ。俺は3月で卒業するんだからさ』。傷ついちゃったなー」
「ごめんって。……赤星の名前なんか出すから、つい」
青先輩は自分のちょこちょこタイムをくれた。
さっきよりも甘いミルク味。
商品は同じものなのに、私のより甘くとろけた。