青空くんと赤星くん





それからは、何事もない日々が続いた。
私は約束通り姫のアカウントを開くことはしなかったし、アイスや餅ちゃんから入ってくる姫関連の情報も問題なかった。
青先輩の言うとおり、姫と闘わないのは正解だったのかもしれない。



ただ、その間も今も、ずっと不安を抱えている。
姫をミュートにすることで毎日は平和だけれど、その世界とミュートをオフにした世界とでは、ギャップがあるんじゃないのかな、と思うと怖いんだ。



青先輩と付き合って2週間近くが経った。
一緒に下校して、最後には必ずお別れのキスをする。
彼は不満そうに「またね」と言って、その後からもう一度チュっとして、別れる。
そんな軽いキスをこなしていくと、がむしゃらに求められるわけじゃないけれど、汁を吸うような唇の動きに変わっていた。



「くるみちゃんの唇の形、好きだな」
「見ないでください」
「隠さないで」
「キスするとき、青先輩って必ず手を恋人繋ぎにしますよね」
「そうかも。いやだった?」
「いやじゃないですよ。ただ、いつもそうだから」
「手を出しそうになるからさ」
「手を出す?」
「こんな感じで」



長い指が太ももをはった。
少しひんやりしていて、気持ちがいい。
少しだけ大人っぽい行為に酔いしれていると、青先輩が耳元でささやいた。



「俺の家にくる?」
「……早くないですか?」
「じゃあ、やめておこう」
「すみません。せっかく誘ってくれたのに」
「気にしないで。くるみちゃんのペースに合わせるよ。でも、覚えておいて。俺はいつでもいいからね」



耳たぶにチュっと口づけられて、私は「きゃあ!」と叫んだ。
「傷つくな」と言った青先輩は口をとんがらせて、また吸い付いてこようとした。
そのむちゅっと突き出た唇が面白くって、小さく叫びながら公園中を走り回って逃げた。
しばらく体を動かしてると、天気が良いのもあって、冬なのに暑くなってきた。



「お菓子食べたい人~?」
「はーい!何持ってきたの?」
「ちゃんと座って食べられるぴったりの場所が見つかるまで、ひ・み・つ!」
「待てない!」



マフラーを外した青先輩が、冬枯れした茶色い芝生の上にそれを広げて、「くるみちゃんも座ってどうぞ」と言った。
お礼を言ってから横に座らせてもらい、ウエットティッシュと水筒とクッキーを出した。
紙製の長方形の箱には、本棚に並べられた本のように、色んな形をしたプレーン味とココア味のクッキーが縦に入っている。



「なにこれ!これ手作り?」
「かっこいいでしょう?」
「うわぁ。サッカーボールの形したクッキーなんて初めて見た。いただきます!」



他にも、野球ボールやバレーボールの形をしたクッキーがある。
目にしたとき、口にしたときに楽しめる方がいいと思って、家には数種類の型がある。
動物、文字、図形などの他にも、ステンレス製でできていたり、シリコン製だったり、またサイズもバラバラに取り揃えている。
たいていのお菓子なら手持ちの型で作れるが、お洋服が何着あっても困らないように型も同じで、ついつい買ってしまうから増えていく一方だった。



「おいしいよこれ。店で売ってるやつみたい」
「ありがとうございます。えっへん」
「お菓子屋でも始めたら?」



混ぜて焼くだけのクッキーだけど、あなどるなかれ。
完璧かつ綺麗に作ろうとすれば手こずるもので、お菓子作り初心者のころは、あれこれと失敗したものだった。



レシピ本に書いてある通りの量を配合しても、食材は同じ商品を使うわけじゃないから、味は全く同じにはならない。
素材も工程も同じものにしてやっとお手本と同じ味が完成する。



何より、一歩間違えれば台無しになるのが、クッキーのような焼き菓子だ。
焼きあがるまではオーブンの中だから、手出しができない。
フライパンで炒めるように、途中で味見をして調味料を付け足すことができない。



焼きあがっても、出来立て熱々のものと冷めたものとでは味も食感も違うから、とことんお預けをされる。
焼き菓子ってドキドキする時間が長い。
でも、持ち運びにはとても便利だったりする。



青先輩は本の表紙を読むように、1枚1枚よく見てから味わってくれた。
私はそれを見て、恋人がいることの幸せを噛みしめた。




「今週さ、2年生も午前授業しかない日があるでしょ?午後からいっぱい時間あるし、少し遠くでデートしようよ」

「いいですね。どこ行きますか?」

「どこか行きたいところはある?」

「ないです」

「そういうときは、『青先輩とならどこでもいいです』って言うんだよ」

「青先輩とならどこでもいいです」

「じゃあ、俺の家に行こうか」

「あそうだ!アメリカの遊園地に行ってみたいです。広大な敷地に色んなアトラクションがあるらしいですよ。絶叫マシーンとか興味ありますか?」

「あるけど、電車で行ける範囲でないと」

「城元駅近くのショッピングモール」

「急にスケールが小さくなったね」

「お母さんがあの中にあるケーキ屋さんを褒めてたから、私も行ってみたくて」

「行かない理由がない!」




三度の飯よりスイーツが好き!な私たちには、もう他の候補はいらないのだ。





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