青空くんと赤星くん
恋の発芽
午前授業だけの木曜日がやってきた。
とても浮かれているのが自分でもわかる。
ちょっと都会まで行って、甘味三昧できるのだ。
赤星くんとは、助けてもらってからよく話すようになった。
口数は少ないし、なかなか自分の気持ちとは裏腹なことを言うから、どんな人なのかはまだ未知だけど、今日は機嫌がよくないのは伝わってきた。
英語の先生が授業で使うプリントを職員室にとりに戻っている間に、それでも話しかけてみた。
「ちょこちょこタイム食べる?」
「いらねぇ」
「チョコって美味しいだけじゃなくて、健康にもいいんだよ。カカオポリフェノールって成分がね、ストレスを軽減してくれるんだよ」
「牛スジの悩みが三日坊主なのは、そういうことか」
「それはチョコじゃなくて、赤星くんのおかげなんだよ」
「へー」
「だから、私にできることがあったら何でも言ってね!いつでも恩返ししたいって思ってるから」
「そうか。じゃあ今すぐ頼みてーことがある」
「なにっ?」
「大事なことだから、大きな声で言えよ」
「う、うん。わかった!」
「牛の鳴き声、真似て」
「……え?牛!?」
「そ。さんはい」
「モ、モーウ?」
これがなんだっていうの?と首を傾げたら、赤星くんが笑った。
何がそんなに面白いのかわからないけど、その笑顔が好きだから、怒るに怒れない。
「ばっかだな。ほんとにやるなよ」
「大事なことって言ったじゃん。もう」
「大きい声で鳴けって」
「今のは文句!もう!あっ、言っちゃったじゃん。いや、いいんだよ」
「そう怒るなって。モウモウさんよ」
「その手にはのらないもん。……ねぇ、本当はどうしたの?」
「は?」
「だって、今日はその、その、ムカついたらごめんね。赤星くん落ち着きがないかなって」
「……どこが」
「ほら、貧乏揺すりしてる」
指摘した瞬間にピタっと止まった。
机の外にはみ出していた長い脚は、所在なさげに机の下にひっこんだ。
「バスドラムの練習だ」という苦しい言い訳に、私はすかさず、「きついですね」と返した。
もう一度、「どうしたの?」ときてみた。
これでだめならもう詮索しないほうがいいよね。
「牛スジには関係ねぇ」
「そっか。でも、いつでも話きくからね」
お隣さん同士の、気軽に話しかけられる程度の仲では、だめだったみたい。
でも、悩みごとって内容によっては、仲間内から外れたところにいる、普段あまり仲良くしてない人の方が言いやすいことってあるよね。
親しい人には言いにくいけど、ある意味どうでもいい人の方が打ち明けられたりする。
それでいうと、私のお隣さんポジションはけっこう最適なんじゃないかな?
英語の先生が戻ってきて、まだ印刷したての生温かいプリントが配られた。
授業の後半は提出していた冬休みの宿題が返ってきて、これは課題図書の感想を英文で書いてくるという、永遠に返ってこなくてよかったものだ。
先生が優秀賞なんかを発表したあとは、さらに小テストが返ってきて、残り時間は自習になった。
テスト直しをする子、読書をする子、宿題を片づけている子、おしゃべりをする子がいて、私はそれらのふりだけをして何もしない子だった。
午後からデート、これが集中力散漫の原因なのはわかっている。
隣の赤星くんも同じように、自習なんてしていなかった。
「なんか面白い話しろ」
「えっ?」
「恩返ししたいんだろ」
ええ~。
私は急いで考えた。
面白い話、面白い話。
「笑えるかわからないけど、72点だった」
「赤点なら笑える」
「それは逆に泣けるよ。赤星くんは何点だったの?」
「ninety.ほか」
ええ~。
私はまた考えた。
面白い話。面白い、……あ!
「昨日、ちょうど言い間違えたことがあって。お母さんとドキュメンタリー番組を見てたときなんだけど」
「ん」
「私が『へ~。奥深い話だね』って言っちゃったの」
「は?笑うとこどこだよ」
「あ、間違えた。『毛深い話だね』って言っちゃったの」
赤星くんの鼻からふふっと息がもれた。
うっすら口元が上がって、目元がゆるんでいる。
「ほか」
「笑ってるじゃん!」
「嘲笑だっつーの。ほか」
ええ~。面白い話、面白い……。
周りを見渡すと、誰かが「もうすぐバレンタインデーだね」「ということは、学年末テストあんじゃん!」という会話が耳に入っってきた。
バレンタインデー……。
中学2年生のときの嫌な思い出が、またやってきた。
これ、赤星くんになら話してもいいかもな。
「面白いかはわからないけど。中2のときにクラスのみんなにバレンタインチョコを配ったことがあるの」
「ん」
「もうすぐクラス替えがあるから、友チョコを渡したくて。それで、板チョコを18枚も溶かして、イニシャルの型に流し込んで。でも、それだけでは物足りなかったから、見栄えが良くなるように、上にはドライフルーツとナッツをちりばめたの」
「すげーつまんねぇ話」
「でも、生クリームや卵黄を入れなかったの。溶かして固めただけだと、すごく硬いんだよ。市販の板チョコって厚さが数ミリだし、常温保管だから気がつかないだけで」
「へー」
「私が作ったのは厚さ3センチの、しかも渡すまで溶けないようにと思って、冷凍庫で固めたやつで。アーモンドなんて岩みたいに硬くて、友達の前歯がグラついちゃったの」
赤星くんは笑った。
床をダンッと踏んで、肘をつきながら手の平で机の上をバンッ!と叩いた。
ここで終わるべきだ。
赤星くんは面白い話をご希望なのだから。本当はこの先にも話があった。
ほとんどの子が、その硬すぎるチョコを飴みたいに口の中で溶かして食べてくれた。
その陰で、「手作りって汚いから食べたくないよね。私捨てちゃった」という子がいたことも知った。
傷ついたのは、その友チョコにのせた気持ちまで一緒にゴミ箱に入ってしまったことにだった。
出来の良くないチョコを渡してしまったから、捨てられても文句はなかった。
そして、「手作りって汚い」が、「手作りの方がレベル高いと思ってるんだよ」とか、「ありがとうって言われたいんでしょ」、「男子にモテたいんだ」にすりかわったとき、手作りを人にプレゼントすることはやめてしまった。
けれど、それから料理部に入って、アイスや餅ちゃんに出会ったおかげで、お菓子を作ることも食べることも好きだけど、やっぱり誰かに食べてもらうことも好きだな、と思えたんだ。
少し大人になった今は、手作りのお菓子というものが潔癖な人にとっては衛生面が気になるもの、そこに配慮できるようになった。
個包装にしても、たぶん直接手で触られるのが嫌なんだろう。
私は気にしないけれど、衛生観念は人それぞれだから気にする子もいるんだなって知ったから、手洗いうがい以外にも、人にあげるときは衛生面に気をつけるようになった。
食用の使い捨てできる手袋をはめて、雑菌のついていない食用の袋や箱でラッピングすれば、安心して食べられるはずだ。
「元カノからクッキーもらったことがあんだ」
物思いに沈んでいたら、隣の赤星くんも違う思いにふけっていたようだ。
本当は英語についてあれこれ考える時間なんだけどね。
私が横を向くと、赤星くんは椅子の背もたれを腕かけにしてこちらを見ていた。
「けど、ドッグフードみてぇな味がして、残したことがある」
「ドッグフード!?」
赤星くんが笑ったから、私も遠慮せずに笑った。
クッキー作りの失敗で多いのは、生地がまとまらなかったり、逆に固すぎたりすることだけど、ドッグフード味というのは初耳だ。
何が原因だろう?
バターが足りないとか、バニラエッセンスを入れ忘れたとかだろうか?
ウケてしまってあれだけど、元カノの気持ちを思うと、ジャムを塗って食べられる味に変えてあげたくなった。
「手作りのクッキーとかチョコって簡単じゃねーんだな」
「お菓子って難しいんだよ。その練習台にされた人には、ほんとごめんねって感じです」
「毒見役っていってもいい。ありゃ絶対にドッグフードを砕いて固め直したな。もうごめんだ」
「赤星くんがその独特な風味の虜にならなくてよかった」
私のチョコ失敗談よりも、赤星くんのクッキー失敗談の方が面白かったな。
ちょっとだけ悔しい気もするけど、失敗談って笑い飛ばせるといいもんだってわかったし、貧乏揺すりが止まったままなのは良かった。
喋っていると、あっという間に授業が終わった。
「ということは!やったぁ!」
「何がそんなに楽しみなわけ?」
「これからケーキ屋に行くんだ!」
「誰と」
「青先輩だよ」
「楽しみなのは、誰との方じゃなくて、場所の方かよ」
「そんなことは、そんなことは、ないよ」
「そうか?」
「うん。花より団子ってだけ」
「牛スジは青先輩よりケーキってわけか」
「人聞きの悪い言い方しないでよ」
赤星くんは私をジーっと見て(以前なら睨みつけられていると勘違いしていたな)、なにやらニヤッと笑ってきた。
もちろん青先輩とお出かけするのも楽しみだ。
きっと、今日のデートが校庭の草刈りだったとしても、楽しみにしたはずだもん。
私は赤星くんを見て、「牛スジって呼ばないで!もう!」と注意した。
いけない、いけない、忘れるところだった。
彼は悪戯が成功した悪ガキみたいに笑って、「じゃ、モウモウさん」と言った。