青空くんと赤星くん
というわけで、お見舞いに行くことになった。
さいわい、喪服のように見える黒い服も着ていないし、派手な服でもない。
お見舞金はないけど手土産ならあった。
面会受付のドアから入り、面会申込書を赤星くんが書いて、私も入館許可証を首からさげて小児科病棟へ入った。
病室はオフホワイトのカーテンで仕切られていて全体的に白かった。
でも、カーテンを開けると中はカラフルだ。
無趣味なベッドには千羽鶴や折り紙で作った動物がかけてあり、あの少女戦士の漫画本もあった。
ベッドの中央には紙パックのミカンジュースとブランケット、そしてタブレット型端末を持っている小さな女の子がいた。
右脚だけ大きなギプスをはめて、画面を見ながら「にぃに遅いっ!夏は怒ってるよ」と言った。
「チョコ持ってきたぞ」
「えー!」
やっとタブレットから顔を上げた妹さん。
鋭い細長の目が赤星くんにそっくりだ。
その目に向かって、「初めまして。牛尾田くるみです。突然お邪魔してすみません」と挨拶すると、「ギャア!」と声を上げてブランケットを被ってしまった。
「静かにしろ」
「だって!にぃにが彼女連れてくるなんて聞いてないもんっ!」
「彼女じゃなくて牛な」
「牛じゃなくて牛尾田です」
ベッドデーブルに生チョコを置くと、ブランケットを脱いで「夏に?ありがとう」と笑ってくれた。
こんなにかわいい笑顔を向けられたら、お届け先変更して良かったな、と思った。
赤星くんが壁際から椅子を持ってきて、私はそれに座った。
「あれ?赤星くんって書いてあるよ。リボンに」
「あっ、えっと、えっと……、作り過ぎて、それで……」
手書きで名前を書くべきよってお母さんから指摘をうけて書いたんだった。
包装紙によくある、既に優雅な字体でプリントされてある『For You』。
それもいいけど、せっかく手作りしたんだもん、もうひと手間かけてもいいよねって思ったの。
「それで、あの……赤星くん兄妹にって意味です」
「にぃにがにやけてるっ!」
弾んだ声で指摘された赤星くんは、口元を隠して「さっさと開けろよ」と妹さんをデコピンした。
ふたを開けると、眠っていた動物たちが目覚めたように甘い香りを放った。
……のはいいけれど、折れてる!
パキッと折れている!
キリン、ネコ、ウシ、イヌ、ウサギは骨折していた。
そうだ、きっと、青先輩のマンションから出た後にジャンプしたとき……。
せっかく1つの小さな世界を創り上げたのに……。
そして、もっと重大なことに気がつく。
『軽い脳挫傷と右脚の大腿骨骨折だった。あとは打撲』
前に赤星くんが教えてくれた妹さんの怪我。
縁起が良くないよね、これは……。
「……夏と一緒だね、この黒猫さん。右脚が折れてる」
「獣医が必要だな。ナースコール押すか」
赤星くんがボタンを押すふりをすると、妹さんが笑って黒猫の折れた脚も一緒に食べてくれた。
「おいしいっ!」
「夏ちゃんありがとう~!」
アールグレイ味の黒猫、しょうが味の犬、ラム酒味の牛、この2匹と1頭がビターチョコ。ドライフルーツ味のウサギと、クルミ味のキリンがホワイトチョコだ。
「疫病にかかってそーな牛がいるな」
赤星くんが牛を手に取って言った。
「にぃに失礼!かわいいじゃん!」
でも、たしかに顔色が悪そうというか、こんな牛が本当にいたら獣医に診てもらうレベルではある。
カカオの含有量が多いビターチョコレートだから黒いのは仕方ないのだけれど。
「……逆!」
だはは!と赤星くんが大笑いした。
「え?逆って?」
夏ちゃんがきいた。
「牛は白地に黒だろ」
赤星くんがヒーヒー笑いながら、あのつり目気味の生意気な目を愛嬌たっぷりに下げた。
えっと、白地に黒ってなんだろう?
「あっ!」
意味がわかった。
ビターチョコに白ペンで牛柄を描いてしまった。
逆だよね。
ホワイトチョコに黒ペンで模様を描くべきだったのに。
だから何か変だったんだ。
遅れて気がついた夏ちゃんもつられて笑っている。
「あー、腹いてぇ。これ牛鬼って妖怪に似てんな」
「……そう呼んでいいよ」
「牛鬼」
うしおにって牛なの鬼なのどっちなの?
最悪だよ。
妖怪呼ばわりされるくらいならうんち型にしとけばよかった。
「くるみちゃんのこと、牛鬼って呼ぶの?」
「ぴったりだろ」
「夏はね、夏だから学校でナッツって呼ばれてるの。だから似てたのに」
モグモグしている夏ちゃんが私に向かって言った。
「くるみもナッツ類だもんね。私もナッツって呼んでもいい?」
「いいよ。ナッツも牛鬼って呼ぶね」
そこはクルミじゃないの?と思ったけど、さすが兄妹ってところかな。
赤星くんは自分の鼻に牛を近づけて、「これ、前にも食べたな」と言って口に入れた。
ラムボールを覚えていたんだ。
「うーまっ」
うーま……。
うーまかぁ……嬉しい。
赤星兄妹が食べているところを見ていたら、何も食べていない私のお腹が満たされてきた。
美味しい美味しいって食べてくれると嬉しい。
パクっといけばニッコリしちゃうチョコ魔法のおかげで楽しいお見舞いになった。
「そろそろ帰るな」
赤星くんが席を立つと、急に不安そうな顔になったナッツがいやいやと首をふった。
「あんまいると、他の人に迷惑だろ?」
「うるさくしてないもん」
「ここは夏だけの部屋じゃないんだぞ」
「にぃに怒るの禁止!」
「まだ怒ってねぇ」
赤星くんが困った顔をするけれど、その何倍も困った顔をしているナッツ。
彼は負けたと思ったのか、椅子に座り直した。
「明日は家族みんなで来るから。それまで我慢できるな?」
「できないって言ったら?」
「いてやるけど」
「けど?」
「1分だけだ」
目をぐるりと一周させたナッツはブランケットを被って全身を隠してしまった。
「……みんないいな。夏だけずっとここにいなきゃいけないんだ」
「夏だけじゃないだろ?他にもここで頑張ってる子たちがいるよな?」
「そうだけど」
喘息や癌で苦しんでいる子、その子たちと一緒に頑張る約束は?
赤星くんが優しく問いかけた。
「でも、でも、夏だってにぃにと一緒に家に帰りたい~」
鼻水をすする音が布越しに聞えると、赤星くんがブランケットごと抱きしめて、「俺もそうしてやりたいよ」と寄り添った。
つい私まで目頭がジ~ンと痺れて涙が溜まってしまう。
泣きたい赤星くんを差し置いて私が先に泣くわけにはいかない。
ぐっと堪えた。
しばらくしてブランケットから顔を出したナッツが、「雰囲気暗くしちゃった」と小さい声で言った。
「夏のせいだぞ。夏がだだこねるから」
「だってぇ……」
「責任取って一発ギャグやれ」
「こら」
私は赤星くんを睨んだ。
「どうしてそういう言い方しかできないかな?」
「じゃ、牛鬼が代わりにやるか?」
「へっ?」
「なぁ夏、楽しい気分になりたいよな?」
「うん」
「牛鬼がやったら、安心してさよならできるな?」
「うん」
二人が似たような目をして私を見た。
ちょっと待ってよ。
なにこの展開。
ニヤニヤしている赤星くんはともかく、ナッツは少し赤い目をして見つめてくるから逃げるわけにいかない。
「……わかった。それでは、一発ギャグやりますっ」
その鬱屈としたナッツの顔が明るくなりますように。
今度は私がヒーローになる番だ。
「MOO.MOO.MOO」
モォーモォーモォーと声を低くしてうなり、牛の鳴き真似を披露してみた。
二人がアッハッハ!とブランケットに顔をうずめた。
やる前は恥ずかしかったけど、ウケるとわかれば何回でも鳴けた。
「もうやめろっ」
「モボーだって、モボー!」
「ナッツが寂しくなったら、またやってあげるよ」
「ほんと?約束して!」
明るい涙を浮かべたナッツの、小さな小指が伸びてきた。
「約束」
MOOという笑いの御札が、つらい気持ちを祓ってくれるよ。
「……にぃに、牛鬼。気をつけて帰ってね」
ナッツの大人びた台詞に、私は慎重に頷いた。
彼女の血がついた重い言葉だから、軽い返事はできない。