S系外科医の愛に堕とされる激甘契約婚【財閥御曹司シリーズ円城寺家編】
一章 ためしてみようか?
一章


 初夜からさかのぼること三か月。
 東京は梅雨入りしたばかりの六月初旬。神田の地に、長年店を構える料亭芙蓉の小さな中庭では紫陽花が見頃を迎えていた。絹糸のような小雨のなかに、薄青の花がけぶる。
 陽光に輝く紫陽花も美しいが、やはりこの花には雨模様が似合う。

「うん、今年も綺麗に咲いてるわね」

 個室へとつながる廊下から中庭を眺め、望月(もちづき)和葉は満足げにうなずいた。

 料亭芙蓉は大正時代創業で、この近辺では老舗と呼ばれる店。多店舗展開や流行りのオンラインショップなどにはいっさい手を出さず、この店のみを実直に守り続けていた。
 オーナー兼料理長は和葉の祖父である望月育郎(いくろう)。齢七十になったが、まだまだ矍鑠としている。料理人はもうひとり、育郎が取った唯一の弟子である二十八歳の安吾(あんご)。彼は近くにアパートを借り、通いで来てくれている。
 仲居を務めるのは和葉と、パートの登美子(とみこ)。登美子は五十七歳で、もう孫もいる。二十年近くも芙蓉で働いてくれている大ベテランだ。

 完全予約制で、カウンター席と個室が三室しかない小さな店なので四人で十分に回せていた。歴史もあるし、なにより育郎の出す料理の味は格別なので客筋はいい。常連には政財界の大物なども多くいる。

 今、和葉が接客を担当している『藍の間』で会食をしている久野(くの)家も、誰もが知る医薬品メーカーを経営する名家だ。とくに、令嬢の沙月(さつき)が芙蓉の味を気に入ってくれていた。
 今日の久野家は、その沙月の縁談で店を訪れている。ハレの日に芙蓉を選んでもらえることは本当にありがたいことで、接客にもいつも以上に気合いが入る。

(それにしても、縁談の相手が沙月さんとは……相手の男性は幸運ねぇ)

 沙月は大和撫子を絵に描いたような女性だ。楚々とした美貌と優しい心根。同性の和葉でさえ、会うたびに虜になってしまう素晴らしい人なのだ。

「失礼いたします。甘味をお持ちしました」

 そう声をかけて、和葉は藍の間の襖を開ける。

(ん?)
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