Actress〜偽りから始まるプラハの恋〜

#29. 辞令(Side智行)

「桜庭くん、ちょっと話があるから今いいかな」

2月下旬のある日、大使から声をかけられ、応接室に呼ばれる。

何事かと内心身構えつつ、後に続いた。

応接室に入ると向かい合わせに座り、大使が重々しく口を開いた。

「実は人事異動の話だ。桜庭くんは在チェコ日本大使館にもうすぐ5年目だね。結婚したばかりで生活が落ち着いてきたところで悪いんだけど、本省から帰還命令が出た。4月から日本の外務省勤務とのことだ。3月中に引継ぎや帰国準備を進めて欲しい」

そのうちくるだろうとは予想していたが、思ったより早かったというのが最初の感想だ。

次に環菜のことはどうしようと思った。

以前の僕であれば、ただ自分のことを考えていれば良かったが今はそうではない。

僕の状況が変わるということは、環菜にも影響を及ぼすのだ。

「奥さんにも伝えていいから、帰還準備をよろしく頼むよ」

大使とはそれで話が終わった。

その後一人になれる場所を見つけると、僕は深いため息を吐き出す。

今回の辞令はタイミングが最悪だと思ったのだったーー。




ある日いきなり僕の目の前から姿を消した環菜だったが、無事ストラスブールで見つけ出すことができた。

もう離さないためにどうすればいいかと考え、一番簡単なのは法的に縛ってしまうことだろうと思い付いた。

すでに約8ヶ月一緒に暮らしているし、環菜以外の女性はもう考えられない僕にとっては必然の選択だったと言えるだろう。

ただ、環菜はいきなり結婚ということに躊躇することは目に見えていたから、どう承諾させるかは頭を使った。

婚約者のフリを承諾させた時の流れで、一つ一つ説明し、納得させ、NOと言えない状況に追い込んでいくのが最善だろう。

それは実際功を奏して、環菜から納得を引き出したことによって承諾を得ることに成功した。
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