若旦那様の憂鬱〜その後の話し〜
「じゃあ、すいません。
花の事も気になるので僕はこの辺で、お仕事頑張って下さい。」
そそくさとフロントを出ようとする俺を、

「ありがとうございました。
プライベートな貴重な時間にごめんね。
今夜はのんびり温泉にも浸かってね。あと、結婚式楽しみにしてるから。」
番頭さんはにこやかに送り出してくれた。

花の妊娠はまだ周囲に伝えていないので、結婚式が延期になった事も伝えられずにいる。

俺は曖昧な笑みを浮かべその場を離れるしか無かった。

最上階の5階にある貴賓室はとても遠く、なかなか降りて来ないエレベーターのボタンをつい連打してしまう。

階段を駆け上るべきかと一瞬迷うが、それでもエレベーターの方が早いだろうと自分自身を宥め抑える。

よく考えたらいつだって、花の事になると周りが見えなくなり、1分でも早く会いたいとひたすら走っている気がする。

どんな仕事でも冷静に対応出来るのに、花の事はどうしたって冷静ではいられなくて、康生にまでダメ出しされてしまうほどだ。

自分でも重々分かっている。
妊婦の花を1人マンションに残して置く事の怖さを…
実家に帰るように俺が決めてしまえば、花は素直に聞いてくれるだろうと思う。

ただ、花は俺の側に居たいと言ってくれたから、強く言えない。

花の自由意思を尊重したい。

無理矢理そう仕向けて嫌われたくないとか、喧嘩になるのを避けたいとか、俺の場合はそんな次元では無い。

花が抱えているトラウマが、男に対して抱く恐怖心だったり、信頼感だったり、俺を臆病にさせているのは否めない。

今まで兄として接していた時間が長い事もある。
花は康生に対してはありのままの気持ちで、怒ったり拗ねたり負の感情を見せるのに、
夫婦になった今、俺にはどこか遠慮気味で顔色を伺う所がある。

どんな花だって嫌いになる訳が無い。
むしろもっと俺に対してもわがままになって感情をぶつけてくるれたらどんなに嬉しいか、と思うのだが…。

それは…俺自身も花によく見られたくて、無意識に壁を作っているせいなのかもしれないと、ここのところの花を見て気付く。

花が悪阻が辛い事を言えなかったのも、
俺の前では悪阻が出ないのも…
きっと潜在意識の中に遠慮させてしまっているせいでは無いだろうか。

夫婦になって3年目でやっと気付くなんて
…不甲斐無い自分に自己嫌悪ばかりだ。
< 111 / 190 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop