Ray -木漏レ日ノ道へ-
契約書があるわけではなく破ったところで罰則もないと彼は続けて、苦笑してみせた。

「それってお互い何かメリットあります?」

「まあ、ヴァンパイアにしてみれば当分の間は血に飢える心配がない。人間のことはわからないけど、聞いた話だと同じヴァンパイアに繰り返し吸血をされることで幸福や快感を得られるらしいね」

まるで危ない薬のような話に鳥肌が立った。
そのような情報があるということは、おそらく過去に親密な関係になった人間とヴァンパイアもいたということだろう。

「さすがにオレは、そこまでは求めないから安心して。君が望むなら話は別だけど」

「できれば今回限りにして貰えると」

「ワンナイトってやつ?」

「変な言い方しないでください」

自然に差し出された彼の右手に、考えることを放棄した私は自身の左手を重ねた。
彼が普通の人間だったのなら、それはまるで恋人のように──

互いに言葉を交わすことをやめ、寒空の下をどれくらい歩いただろう。
ネオン街を通り抜けた先にあるシティホテルにチェックインし、エレベーターで上を目指す。

苦い記憶として残らないようにという彼の配慮だったが、傍から見れば女ひとりでシティホテルの上階に泊まるのは、この小さな街じゃ滑稽に見えるだけだ。

部屋に入る直前、彼の黒いジャケットの裾を掴んで足を止める。無言で見上げる私の髪を彼の手が撫でた。

人気の無い廊下に、重たいドアが開いて閉まる音が響き渡った。

「……おいで、朱里さん」

ゆっくりと腰に回された手が私を引き寄せる。
身を任せるように力を抜くと、私を抱き締める力が少し強くなった。

以前にも嗅いだムスクの香りに気分は落ち着き、不思議とあの時のような恐怖はなかった。

「最初は立ちくらみするかも。ベッドに横になる?」

少し考えて、首を横に振る。

「大丈夫。けど、もし倒れたら朝まで寝かせてくれると嬉しい」

「わかった」

着ていたコートが崩され床に落ちた。
優しく丁寧に髪から背中、最後に冷えた指先で首筋を撫でられて目を伏せる。

「綺麗な頸動脈」

「そんなセリフ言われたの初めてなんですけど」

「人間の男は言わないか」

吐息が感じられるくらい首筋に顔を近づけられ、彼の服をぎゅっと掴んで呼吸を止めた。

冷たい舌先が触れたかと思った次の瞬間──

「っ……!!」

噛まれた場所から身体中を熱が駆け巡る。
鋭い牙が深く刺さっていく感触はあるのだけれど、麻酔をかけられたかのように痛みは感じなかった。
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