さよならの春 ぼくと真奈美の恋物語
 「山下さん、今度は何なんですか?」 「ごめん。」
「この仕事、合わないんじゃないんですか?」 「そんなことは無いよ。」
「でも最近、何か有るたびに叫んでますよね? 何なんですか?」
涼子は高校が違うから真奈美のことを話しても分からないかもしれない。 だったら、、、。
 閉店した後、ぼくは歓楽街を歩いていた。 バスに乗る気がしなくてね。
(最近、本当におかしいよな。 何なんだろう?) 考えたって分かるはずもない。
「待てーーーーー!」 真っ赤な顔をした男が若い男を追い掛けている。
少し前、路上でギターを弾いていたあの男だ。 ぼくは空を見上げた。
曇っていて星は見えない。 その下で飲み屋の明りが侘びしく煌めいていた。
何となく寂しく思えるのはぼくだけだろうか?
 おじいさんの代にはこの辺りで大道芸人が自分の得意技を披露していた。
飴玉を売りながら紙芝居が回っていた。 長閑な時代だったんだね。
友達の中ではツイッターやインスタが大流行。 やってないほうがおかしい時代だ。
ぼくもパソコンは持っているけど、なんだか気が進まないんだよ。
真奈美は周囲に合わせて何でも始めるやつだった。 ホームページも作ろうとしてたよな。
それだって出来なくなったんだね。
 真奈美のお母さんが「これを猛君に、、、。」って大きな箱を持ってきた。 真奈美と遊んでくれていたお礼なんだって。
でも中身は今も見ていない。 見れば思い出すから。

 次の日、店に行くと吉川さんが真面目な顔で立っていた。
「山下さ、言いにくいんだけど暫く休んでくれ。 疲れてるんだろう? しっかり休んで出直してくれ。」 「でも、、、。」
「言い訳は要らない。 最近のお前はおかしいんだ。 いきなり叫ぶし、転んだり物を忘れたり、、、。」 「それは、、、。」
「いいから帰れ。 怒らないうちに帰れ。 有給扱いにしておくから。」 吉川さんはそれだけ言うと事務所へ引っ込んでしまった。
「なぜ?」 今日は涼子も何も言わないで通り過ぎていった。
誰もがぼくを敬遠している。 いったい何が?
 その翌日、店は休業日。 ぼくはぼんやりと家に居た。
テレビにも落ち着かず、本を読んでも集中できない。 何かが狂ってしまっている。
何だろう? 吉川さんの厳しい顔、涼子もどっか哀しそうに見ていたっけ。
疲れているのか? でもそんな風に見えないんだよ。 起きるのもふつうなら食欲もふつうだった。
でも何かが違うんだ。 それが何かは分からない。
ぼくはネットサーフィンをしてみた。 すると、、、。
パソコンの画面に真奈美の顔が、、、。 (嘘だろう?)
ぼくはパソコンの電源を落とすと慌てて布団に潜りこんだ。
「やめてくれ!」 叫んだ勢いで壁を殴ったぼくは、そのまま地獄に落ちるように眠ってしまった。
 「猛! 猛!」 誰かが耳元で呼んでいる。
ぼくは暗い闇の中をさ迷い続けていた。 出口が見えない。
実は、叫び声に驚いた母さんが救急車を呼んでいたのだった。
 「意識が有りませんね。 24時間監視する必要が有ります。」 ぼくは集中治療室のベッドに寝かされていた。
 誰かがぼくを手招きしている。 それが誰だかは分からない。
それでも優しい声で「こっちへ来て。」と囁いている。
トンネルを抜けようとした時、天井から大きな声が聞こえた。 「お前はまだ早い。 来るのはまだ早い。」
驚いたぼくは、今来た道を引き返したんだ。 「猛、気が付いたか。」
父さんの大きな顔が飛び込んできた。 「ここは?」
「心配するな。 病院だ。 いきなり倒れたって言うから診てもらってるんだ。」 母さんはその横で泣いていた。
何が起きたのかは分からないが、何かに引っ張られていたのは事実である。
 その後、ぼくは体をくまなく調べられて、異常が無いことを証明してもらってから家に帰ってきた。 言うまでもなくトーマスは辞職してしまってね、、、。
それから家に籠る生活が始まった。 

 家に引きこもって一か月。 何となく閉鎖的な生活にも慣れてきた。
バスで通うことも、叱られることも無くなってしまって、やりたいことをやって寝たい時に寝る。 急に自由人になった気がした。
それでも時々、例の雄たけびをする。 最近は母さんも慣れてしまって(またか)という顔をしている。
叫んでいる本人は誰に何を言おうとしているのか分かってないから、収まった時が大変なんだ。
「またやっちゃった。 いったい何がしたいんだろう?」 散々に叫んでおいてこれだから、妹でさえ遠くから見るだけになってしまった。
 ある日のこと、夕食を済ませて廊下を歩いていると母さんたちの深刻そうな話声が聞こえてきた。
「そうなのよ。 最近はずっと叫んでるのよ。」 「一度さあ、精神科に診せたほうがいいね。」
「それじゃ分からないわよ。 私ね、霊媒師の先生を知ってるから見てもらおうと思うの。」 (霊媒師? それじゃあ真奈美が除霊されてしまう。)
ぼくはへなへなと座り込んでしまった。 でも母さんは本気らしい。
霊媒師なんてネットで調べれば情報はいくらでもヒットする。 (このままじゃ真奈美が危ない。)
 そんなことが有ってからぼくの雄たけびはますますひどくなってきた。 「おいおい、早く見せなさい。 これじゃあ外にも出せなくなる。」
父さんはますます心配しているようだ。 ぼくの体の中では誰かがモソモソしている。
それが誰なのか分からないが、そいつがいきなり叫び出すからぼくにだって何も出来ない。
 メンタルクリニック藤井の藤井先生は統合失調症だとか、境界型人格障害だとか言って薬と紹介状をくれた。
いよいよ精神病患者になってしまいそうだ。 どうしたらいいんだろう?
これじゃあ廃人になってしまう。 「猛君、落ち込まないの。 私が見てるんだからね。」
そんなこと言ったって真奈美はもう何処にも居ないんだ。 髪の毛一本残ってないんだよ。
ぼくは狂いそうになる。 そんな時、、、。
真奈美のお母さんが暮れた大きな箱をまだ開けていないことを思い出した。 「これを猛君にって言うから持ってきたのよ。」
(この箱には何が入っているんだろう?」 戸惑いながらぼくは開けて見た。

 『猛君へ、、、。
この箱には私の思い出がいっぱい詰まっています。 苦しい時に開けて私を思い出してくださいね。』

 スーパーの紙袋、、、。 「これは?」
開けて見ると真奈美が切ったらしい髪の毛がたくさん入っていた。 「真奈美、、、。」
その髪の毛を見ながらぼくは出棺の時を思い出した。 (もしかしてあいつ、カツラだったのか? じゃないとこんなには切れないよな。)
それはいいけど、こんなのを見てしまったらどうしようもないだろう? 馬鹿だな。
下には制服など真奈美が着ていた洋服と写真が入っている。 「なんだい、女装しろって言うのか?」
「そうじゃないよ。 思い出してほしいだけなの。」 でもこれじゃあ、忘れられなくて大変だよ。
「猛君って不器用だからさあ、、、。」 「だからって、、、。」
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