あの時、一番好きだった君に。-恋恋し編-

 ――怖い。
 どうして――。
 ――誰か。
 苦しい――。
 ――嫌だ。
 助けて――。
 ――助けて。

「――さん? ――千景さん? みんな外で……。……千景さん!?」

 覗きにきた航河君が早瀬さんを引き離し、私をそこから助け出してくれた。

「何してるんですか早瀬さん!」
「別に……」
「行こう、千景さん」
「うん……」

 涙目の私を引き連れ、航河君は早瀬さんを睨み付けると、外へと向かった。

「お帰り。千景ちゃん、忘れ物あった?」
「あ……はい……」
「相崎さん、俺と千景ちゃん、明日は授業なんで。このまま帰りますね」
「お、おお。お疲れ、2人とも」
「お疲れっす」
「お疲れさまでした……」

 相崎さんに声をかけ、私と航河君は早瀬さんが来る前に、と、足早にその場を去った。

「……本当に……怖かった……」
「何があったの?」

 じっとりと肌に纏わりつく恐怖。
 航河君は後ろを振り返り、誰もいないことを確認して、優しい口調で私に聞いた。

「携帯忘れて、取りに戻ったの。そしたら、早瀬さんが私の携帯持ってて。『隣座って』って言われて、返してほしかったから隣に座って、携帯返してもらって、席立とうとしたら腕掴まれて引っ張られた」
「それであの体勢?」
「うん……胸が口のところにあったから、声届かなかった。身動き取れないし、全然どいてくれないし。航河君が気付いてくれて、本当に助かったよ。……来てくれて、本当にありがとう……」
「いなかったからさ、早瀬さんも。それにみんな待ってたし、千景ちゃんなら見つけたらすぐ来ると思ったのに、来なかったから。心配になってね」

 航河君はポンポン、と私の頭を撫でると、ゆっくりと歩き始めた。

「それにしても、怖いな早瀬さん。そんなことしてくるなんて」
「うん……もう、明日からは来ないんだよね?」
「のはず」
「はぁ……良かった」
「今日で最後だから、こんな暴挙に出たのかもね」
「上の人に言うべき?」
「異動先で被害者が出てもアレだしね。何かしらの対処があるのかどうかは置いておいて、報告はしておいた方が良いと思うよ。俺が言おうか?」
「……お願いするよ」

 自分で言う勇気はない。航河君なら最後の瞬間とはいえ見ていたし、きっと上手く言ってくれる。

「はぁ……何だか凄い疲れた」
「今日は早く寝たら?」
「ね。そうしようかな」

 ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。

 鳴っているのは私の携帯だ。相手は……。

「……早瀬さんだ」
「はぁ!?」
「何だろう……謝罪?」
「まさか。出ない方が良いよ」

 ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。
 ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。

 辺りに携帯のバイブ音が鳴り響く。

 ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。
 ――ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。

「あ、切れた」
「明日まで電源切っておいたら?」
「そうする。友達にメールだけ返しておこうかな」

 ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。

「わ! まただ!」

 驚いた拍子に、通話ボタンを押してしまった。

「やばっ……押しちゃった……」
「……取り敢えず、出るか……」
「うん……。も……もしもし……」

 自分のミスだ。仕方なく電話に出る。だが怖い気持ちは抑えきれず、小さく震えた声になっていたと自分でも思う。

『もしもし? 千景ちゃん?』
「……はい」
『さっきはごめんね、ちょっと、酔っぱらってて』

(モノには限度があると思います……)

 酔っぱらっていたら、何をしても許されるのか。――そんなわけないだろう。都合の良い言い訳だ。……そう言いたい気持ちをグッと堪えた。

「……そうですか」
『怒ってる? 謝りたいし、これから会わない?』
「……結構です」
『このまま帰っちゃうの? 俺、まださっきの店の近くにいるんだけど』
「お断りします。もう、本当にいい加減に」
「もしもーし。俺のこと忘れてません? 早瀬さん」

 奪い取るように携帯を手にした航河君は、そのまま早瀬さんと話し始めた。

『……航河か』
「今送ってる最中なんすよ。さっきのアレ見ちゃった身としては、とても早瀬さんの所には連れていけませんね」
『あれは事故で』
「事故? その割には、千景さんが怯えていましたけど」
『お前の気のせいだろ』
「聞こえてましたよ。その謝罪とやらに、俺が居合わせても問題ないですよね?」

 いつもより、航河君の声が低い。

 ――恐らく、いや、絶対。間違いなく。怒っている。それも、かなり。

『邪魔するな』
「何のです? 『ごめんなさい』って言うのに、人がいたらダメなんですか?」
『……』
「早瀬さん?」
『チッ……』

 プツッ――ツーツーツーツーツー――。

「あ、切れた」
「早瀬さん、なんて?」
「んー……。多分、謝罪を口実に、千景さんのことどうにかするニュアンスだった」
「えっ……」
「千景さん、今日家に帰らない方が良いかも。1人でしょう?」
「そりゃあ、まぁ。1人暮らしだし」
「よし、俺とカラオケコース。朝まで」
「え、ええ!?」
「決定! お風呂だけ入ってきて。俺も入ったら迎えに戻ってくるから」
「でも、航河君に迷惑かけちゃう……」
「平気平気。この後『早瀬さんに押しかけられた』とか聞くことになったら、俺ブチ切れるし。それより良いでしょ」

 結局、シャワーを浴び、迎えに来てくれた航河君と一緒にカラオケへ行った。
 そのあと、結局早瀬さんから電話がかかってくることはなかった。
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