あの時、一番好きだった君に。-恋恋し編-
10. 旅行のお土産
「うわっ! さむっ!」
あんなに暑かった日が嘘のように、夜に吹く風が冷たくなった。ピュウゥ――と身を切って吹く風は、上着を着ていても容赦なく身体に突き刺さる。日中はまだ多少暖かいから、と、うっかり薄着で外に出ようものなら、夜のその寒さに打ちのめされるのだ。
「すっかり寒くなったよね。自転車で風切って走ると、手がかじかむ時ある」
「寒くなったねぇ。最近、夏と冬しかないんじゃない?」
「それ言えてる。春と秋が好きなんだけどなぁ」
「私も。過ごし易い時期が、減っちゃったね」
今日もまた、航河君と一緒に帰る。あまりの寒さに、思わず手を擦りながらハァっと息を吹きかけてみたが、まだ白くなるには遠いらしい。
「あ、これ。渡しとく」
「ん? 何? これ」
差し出されたのは、小さな紙の袋だった。
「お土産。旅行の。買ってきてって言ってたじゃん?」
「え、本当に買ってきてくれたの?」
「そりゃあ、お願いされたし」
「やだ嬉しい。……開けて良い?」
「うん」
袋から中身を取り出す。
「わぁ! 可愛い!」
出てきたのは、桜色が綺麗なクマのキーホルダーだった。なかなか可愛い顔をしている。そんなつぶらな瞳のクマが、【C】と書かれたハートを抱っこしている。小さなぬいぐるみだから、邪魔にもならないサイズだ。もうひとつ、夜空の色をした星型のチャームが一緒に付いていた。お土産っぽくはないが、気持ちが嬉しい。
(イニシャル入り……。航河君、わざわざ探してくれたんだ)
「ありがとう! どうしようかな、目印になりそうだし、家の鍵につけとくね」
「どういたしまして。結構可愛いデザインでしょ?」
「うん、可愛い。嬉しい」
「友達が見てない隙に買った。男が買うには、ちょっと可愛いかも? って」
「あー、気持ちは分かるかもしれない」
いそいそと家の鍵を取り出し、今貰ったばかりのキーホルダーを付けた。何もついていなかったただの鍵が、一気に可愛くなる。
(やばい、幸せ……!)
テンションが上がり、にやけそうになるのを堪えつつ、大事に鍵を鞄にしまった。
(引っかけて、壊さないように気をつけなきゃ……)
「みんなには買ってきてないから、バイトの内緒ね?」
「はーい。鍵につけてたら、そんな見ないでしょう。大丈夫」
「広絵さんとか、目ざといかも」
「あはは、『雑貨屋で買った』とでも言っておこうかな、何か言われたらだけど」
「そうしておいて」
「自分から『航河君に貰った』なんて言わないよ。……友達には言っちゃうかも……。『バイトの子に貰った』くらいなら」
「お店の人じゃなきゃ良いよ」
何か言われたって構わないだろう。世の中にひとつしかある訳でも無し。ある日突然鍵にキーホルダーを付けたら、それは異性から貰ったもの、なんて分かるはずもない。
上機嫌で家に帰り、航河君にメールを打った。お礼はしたが、もう一度だ。
割と航河君は返事をくれる。でも、返ってこない時もそれなりの回数だ。だから、つい、何か送るネタが出来ると、メールをしてしまう。今回は、ちょうど良い口実が出来た。
彼女がいることは勿論分かっている。けれど、少しでも繋がっていたい。しつこいと思われているかもしれないが、関わりが欲しい。言い訳をすれば、本人だって『毎日メールしても構わない』と言っていたのだ。本人が言うなら良いだろう。……それが私の本音だ。
「うん。何度見ても可愛い。これは大事にしよう」
――私にだけくれたのだ。他の子にはない。この特別感。ちなみに、先日『こーちゃん』と呼んでも良いと言われたが、面と向かって口にするにはこそばゆく、メールの文面でたまに呼ぶくらいに止めている。うっかり仕事中に呼んでしまってもいけないだろうし、きっとこれくらいが良い距離なのだと思っている。
普段は玄関に置いている鍵を、思わず部屋まで持ってきてしまった。机に置いて眺めた。愛らしいクマの顔に、航河君の顔が重なる。
「……ちょっと航河君に似てる? ……そんなわけないか。……私めちゃめちゃ毒されてるなぁ……」
(あぁ。嬉しいなぁ。幸せだなぁ)
こういったプラスの気持ちを抱く半面、マイナスの気持ちも湧き上がってこないわけではない。
「……美織さん、知ってるのかしら」
きっと、美織さんもお土産は貰っているだろう。私にあるのに、彼女である美織さんにないわけはなかろう。今回の旅行は、美織さんと行ったものではなく、男友達と言ったものだと聞いている。最後にはなくなる食べ物ならアレだが、キーホルダーという性質上、自主的に捨てなければなくなることはなく、用途を選べば身に着けることが出来るものだ。
「うえぇ……。私だったら……やっぱりやだなぁ……」
ベッドにゴロゴロと転がり、葛藤と戦った。毎回葛藤と戦っている気もするが、今回は特に強かった。
「嬉しい、けど、美織さんのことを考えると複雑だわ……」
足をバタバタさせ、行き場のない気持ちを少しでも発散させる。何度考えたって、答えは決まっているのに。
それでも、鍵から外すことはしない。折角貰ったのだから。自分の好きな人に。
いつか壊れるまで、私がこのキーホルダーを鍵から外すことはないだろう。