あの時、一番好きだった君に。-恋恋し編-
家に帰り、部屋着に着替えて疲れた身体を癒す。本当は布団に入りたいが、人がダメになってしまうクッションで我慢し、その柔らかく包容力のある大きな物体へと身体を沈めた。
「ふぁぁぁぁ……今日も頑張ったぁ……」
グググ、と身体を伸ばし、長い欠伸をひとつした。ズブズブとクッションに引っ張られ、すぐには起き上がれそうにも無い。
「あぁぁー、寝ちゃいそう……」
もうひとつ欠伸をして、今にも瞼と瞼がくっついてしまいそうな目を擦った。
約束の時間まではまだある。少しくらい寝てしまっても、構わないかもしれない。
「アラームかけて、寝よっかなぁ……。あーでも、慌てたく無い……。うーん、準備だけちゃんとやっておこう」
携帯を充電ケーブルに繋ぎ、着ていく服をハンガーラックにかけると、アラームをセットした。鞄には、財布にハンドタオル、そしてポケットティッシュ。そこに携帯があれば、最低限それで良い。まぁまぁ、お金と携帯があればなんとかなる。
「お酒飲むかな? 自転車はやめとこっかなぁ。飲むかもしれないし。久し振りに、ちょっと飲みたい気分」
今日会うのは、航河君に伝えた通り、大学の友人だ。1年からの付き合いとはいえ、まだ3年目に突入するくらいの期間しかない。小学校や高校からの友人に比べると歴は浅いが、随分と深くて濃い話もしている。
特に恋愛話は多い。彼女、片田摩央は、恋多き女だ。キャンパス内でも、バイトをしていても、ネットのオフ会に行ってもよくモテる。常に彼氏がいるくらいには、別れてもすぐに相手が見つかる。
可愛くて小柄で守ってあげたくなるのに、芯はしっかりしていて人当たりも良くアクティブなのだ。友達も多いし、大学の教授とも仲が良い。多趣味だから山にも登るし読書もするし、料理もすると思えば、車の運転もする。その上本人はあまり言わないが、とうもお嬢様っぽい雰囲気があり、となればおうちも裕福となる。そりゃモテるよね、というのが私の感想である。
(摩央が男だったら、彼女になりたい、マジで)
そんな彼女は、今日も恋愛の話をしてくれるだろうか。何故か少し変わった人と付き合うことが多い彼女は、いつも恋愛話をしてくれる。面白おかしく話している感じはしないし、本人は至って真面目に話しているのだろうが、なんせ相手の個性が強くていつも脳が持っていかれる。
「……今誰と付き合ってたっけ……。年上? だったような……?」
昔からの話も聞いているため、最近の話とごっちゃになって、今の話も忘れてしまう。それだけモテるのは、本当に、本当に羨ましい限りだ。
「さぁて、今日の話を楽しみにして、一眠りしましょうか」
私は胸の上に携帯を置くと、そのまままどろみの中へと引き摺り込まれていった。
――2時間後。
――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――。
「……ん……」
――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――。
「んんぅ……」
顔よりも下の方で、携帯の鳴っている音が聞こえる。
――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――。
「っく……お、起きます、ぅ……」
――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――ピピピピッ――ピッ――。
胸に感じる携帯の重さを頼りに、手探りで音の元凶を探す。携帯を開き、うっすらと開けた目で、アラームが鳴っているのを確認して、スヌーズにならないように止めた。
「……ぅ。怠い……」
2時間は、休憩にしては寝過ぎてしまったのだろうか。これから出かけなければならないというのに、頭が重い。沈んだ身体は、当然の如くクッションから離れようとせず、全体重を預けていた。
「んー……あとちょっと……」
見事にこのクッションは、私のことをダメにしてくれた。
(流石です……)
心の中でクッションを褒め、出来れば動きたくない身体をどうにか起こすと、用意していた服に着替えた。
(……ワンピースって、楽で良いよね)
少しばかり暑い日も続いている。……夏と呼ぶには随分と早いが、それでもとっくに初夏と呼べる時期だろう。日向に行けばうっすらと汗ばむし、日陰に行けば多少ひんやりとした空気も感じられる。
夜間半袖だけで過ごすにはまだ早い。薄手のカーディガンをワンピースの上に羽織り、お気に入りのリップを唇に引く。
この時期のスカートに合わせる靴下は難しい。と、毎年思っている。困った結果、くるぶし丈で、フリルのついた靴下を選んだ。これならそこまでおかしくはないだろう、と踏んで。
(まぁまぁ可愛いのではないでしょうか?)
摩央はいつも私のことを褒めてくれる。むず痒くなるくらいに。……きっと、今日のこの格好も、私が何も言わなくとも褒めてくれるだろう。
「あー、そろそろ行かなきゃ。……定期忘れないように、と」
パスケースを鞄にしまい、玄関へと向かう。靴も悩むが、足が痛くならないパンプスが良いだろう。ベルト付きのものなら、カチッとした中にも可愛さがあって、ワインレッドの色味も合わせて気に入っている。
「じゃあ、行ってきます!」
誰もいない部屋に声をかけると、私は家を後にした。