黄昏色の街で
 扉を開けて中へ入る。 ずいぶんと長く住んでいる部屋である。
大家は二代目の息子さんに代わっている。 先代は先代社長の知り合いだと言っていた。
馴染みの居ない私を心配して先代の社長が頼んでくれたのがこの家だったんだ。
2ldkで私には広すぎる家なのだが、「将来、嫁さんが来た時に狭かったら困るだろう?」と社長は笑っていた。
そう言われながら30年、誰も付いてこなかったのだ。 おかげで一部屋は空いたままだ。
特にこれという趣味も無いのだから使いようがない。 そこで引っ越しを何度も打診したが聞いてもらえずにここまで来た。
今夜もぼんやりと天ぷらを摘まみながら酎ハイを飲んでいるのだが、何かがいつもと違う。
市電の中での佳代子との会話、、、。 初めて感じた熱い思い。
まだまだ彼女は30過ぎの娘さんだ。 私なんかに興味を持つはずが無い。
何度もそうやって影を振り切ってみる。 でも、あの笑顔を忘れることは出来ない。
今、忘れることが出来ても明日また会うのだ。 たぶんまた、、、。

 ホロっと酔った頭で布団に潜り込む。 私は初めて一人寝の寂しさに気が付いた。
今まではこれが当たり前だと思っていた。 これが日常だと思っていた。
しかし、今夜は何かが違う。 もしかして私は佳代子を求めているのか?
そんなはずは無いだろう。 今までこれで平気だったのだから。
 その夜はどうもおかしいのである。 何度も何度も寝返りを繰り返している。
そのたびに目を覚ましては(夢か、、、)としょんぼりしてしまう。
そのまま朝になってしまった。 いつものように朝風呂で汗を流してすっきり、、、。
しているはずなのに、何かを引きずっている気がする。 背広を着て外へ出る。
停留所まで来るとやっぱり落ち着かなくてソワソワしている。 「おはようございまあす!」
市電の中で佳代子の元気な声が飛び込んできた。 もう逃げられない。
私はまるで脱走に失敗した殺人犯みたいな顔で佳代子の前に立つ。 「元気無いですねえ。 どうしたんですか?」
明るい笑顔に私はますます自分が萎れていくのが分かった。
「今日も忙しいんですよ。 頑張りましょうね。」 ニコッと笑いかける彼女に悪い気はしない。
私は自分をどう表現していいのか分からないだけなのである。 仕事が始まった。

 いつものように書類が運ばれてくる。 手際よく書類を振り分けると佳代子は椅子に座った。
「うーんと、、、。」 時々小さな声を漏らしながら佳代子は書類を整理していく。 半年も過ぎたからなのか、慣れた手つきに私も嬉しくなる。
(これは違うなあ、、、。) 時には間違いを見付けて赤ペンを引く。 なんだか小学校の先生みたいだ。
お茶を飲みながら一通りのチェックを済ませると佳代子も私も思いっきり背伸びをする。 そして照れ臭そうに笑い合う。
席を立つと寂しそうな目が私を追い掛けてくる。 何かが変わってきたのだ。
でもそれはまだまだ恋とか愛とかいう物ではないはずだ。 私はそう思っている。
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