純愛メランコリー
「時間帯も時間帯だし、何か静かだね。ちょうどよかった」
周囲を見回しつつ、蒼くんが言う。
平日の午前10時半過ぎ。
確かに車通りも少なく、人通りもわずかで閑散としていた。
向こう側から一人歩いてくる以外には、人影も遠い。
それでも、そんなはずがないと分かっていながら、どこかに向坂くんがいるような気がして怖くなる。
どこかに潜んでいて、私たちの逃避行なんて無意味だと嘲笑っているかもしれない。
「……っ」
不意に、ずきん、と頭に痛みが鳴り響いた。
つい足を止め、額を押さえる。
(何か────)
脳裏に不鮮明な映像が過ぎった。
誰かの手を握って、この道を歩いている。
どういうことなんだろう……?
ここへは初めて来たはずなのに。
(どうして? 誰なの?)
もしかして────。
これは、失ったはずの今日の記憶……?
その人の不安を体現するみたいに、強く手を握り締められていた。
一方の私はよく分からずに戸惑ったまま歩いている。
困惑に耐えきれず、足を止めた。
その手を振り払って理由を尋ねる。
その瞬間、上から何かが降ってきた。
厚い鉄の板のようなものだ、と今なら分かったけれど、記憶の中の私はそのまま押し潰されてまう。
真っ赤な血が翻る。
私は思わず目を瞑った。
「……ちゃん、菜乃ちゃん。大丈夫?」
気付けば、蒼くんに呼びかけられていた。
頭の中の靄が晴れ、意識が現実へ引き戻される。
心臓がばくばくと激しく脈打ち、冷や汗が滲んでいた。
「あ、蒼くん。私、今……」
死んだ。
────この場所で。
夢でも妄想でもないのなら、やっぱり記憶だ。
こんなふうにして、失ったはずの記憶の欠片を思い出すことは以前にも何度かあった。
頭痛を伴いながら、私に未来の可能性を見せてくる。
私は一度、ここで死んでいるんだ。
どうしてここにいたのか、あれが誰だったのか、そんなことを考える余裕はなかった。
あれが今日の出来事なら、また同じ目に遭って命を落とす可能性がある。
恐る恐る顔を上げた。
数メートル先に工事現場があった。
作業中ではないみたいだが、クレーンに吊られた鉄板が風に揺れている。
(あれだ……)
背筋がぞくりとした。
今、あの記憶を取り戻せなかったら、同じところで死んでいたに違いない。
勢いよく蒼くんの腕を掴んだ。
彼は驚いたように目を見張る。
「どうしたの」
「ここ、通りたくない……」