純愛メランコリー
そのとき、ずる、と不意に上靴の裏が段差と擦れ、抵抗感が消えた。
階段を踏み外した私はそのまま宙に投げ出される。
急速に床が迫ってきて、息を呑んだ。
(痛……!)
何とか着地したものの、衝撃で割れるような痛みが脚に走った。
がく、と崩れ落ち、踊り場に倒れ込む。
ずきずきとあちこちが鈍く痛んだ。掌もひりひりする。
こんなところで足を止めている暇はないのに。
「……おい、逃げんなっつってんだろ」
不意に降ってきた声に、射られたかのごとく心臓が強く鳴った。
(向坂くん……)
彼はもったいぶるようにゆっくりと階段を下りてくる。
愉しそうに口元を歪ませながら。
「どーせ、逃げ場なんかねぇけどな。この世界は俺のもんだから」
立ち上がろうとしたのに、思うように動けなかった。
脚の痛みに加え、腰が抜けてしまったのかもしれない。
(嘘でしょ……!)
掻き立てられた恐怖心に、目の前が真っ暗になった気がした。
絶望への秒読みが始まる。
「来ないで……!」
怯んだ身体を必死で動かし、逃げるように勢いよく後ずさった。
その瞬間、頭に衝撃が走る。
「……っ!」
目の前がちかちかと明滅した。
何が起きたのかよく分からないまま、ふわっと力が抜けていく。
目眩がしてぐらぐらと視界が揺れた。
水中に深く潜ったみたいに、周りの音が遠のいていく。
視界がみるみる黒い触手のような影に侵食されていき、私は意識を手放した。