一途であまい

5.

 新入社員の研修期間も終わり、ゴールデンウイークがやって来た。会社員のいいところは、ブラック企業でもなければ、大概の場合暦通りの休みを貰えることだ。突発的な受注の依頼や、その他の要件で連絡が入ることもあるけれど稀だ。

 私とは対照的に、バーの経営難を救うべく、彼は昼時にランチを提供する業務を行っていた。仕込みから始まり、ランチタイムが終わり後片付けの済む夕方近くまで働いている。

「もう少し待っててね」

 バーカウンターで、手作りのジンジャーエールをチューッとストローで吸っていると、忙しいながらも気を遣って声をかけてくれる。キッチンに立つ永峯君の他に、ここのオーナーであるマスター。涼音さんの叔父さんにあたる人がホールに出ていた。

 暇を持て余しているとはいえ、昼時の忙しい時間を狙ってくるのは迷惑だろうと。家を出たのは、三時を少し回ってからだった。二組の客が食べ終わるのを待ちながら、彼が後片付けを始めている。時刻は四時になろうとしていた。

 ジンジャーエールを飲み干すと、いつの間にか涼音さんが近くに立っていた。

「早く俊ちゃんを解放して、美月ちゃんに渡したいところなんだけど。私、料理も後片付けも、からっきしなのよね」

 肩を竦めるとツカツカとカウンターの中に進み入り、自ら琥珀色の飲み物を作りだす。

「これだけは、自分でできるの」

 ふふっと笑うと、ご機嫌な様子でグラスに氷を入れお酒を注いで美味しそうに口にした。その姿はピアノを弾いている時同様に、とても様になっていて素敵だ。

「まだ陽があるうちから、とか言わないでよね。これがないと生きていけないの」

 飲んでいる姿に見惚れていたら、また肩を竦めて笑うからつられて頬が緩む。

 カウンターに置いていたスマホが震える。相手は、私よりも二ヶ月ほど前に彼氏と別れてしまっていた、大学の時の友達。中川早月だった。涼音さんに会釈をして席を立ち通話に出る。

「久しぶり。どうしたの?」

 連絡が来るのは早月が彼と別れたと聞いたあと、何度か愚痴に付き合って以来だった。スマホを耳に当てたまま店を出て、バーの外階段を上っていく。

「ちょっとお願いがあるんだよね」

 階段を上り切ったところで、前置きをした彼女から頼まれごとをされた。

 早月が元彼と険悪になるずっと以前。なかなか予約の取れないとても人気のあるテーマパークを予約していたのだが。結果的に別れてしまったため、早月の分のチケットを買い取って欲しいというものだった。

 チケットを買い取ることに関して問題はないのだけれど。一緒に行く相手が、早月の元彼ということに躊躇する。しかも、予約日は、このゴールデンウイーク中だ。永峯君と過ごす貴重な休日に、早月の元彼とテーマパークとは如何なものか。

「随分迷ったのよ。人気があってなかなか予約のとれないところだし。別れちゃったけど、テーマパークに罪はないし。別に一緒に行くくらい、なんてこともないかなって。でも考えてみれば、別れた男とテーマバークって地獄よね。なーんにも楽しいことないじゃんて。それで、美月が代わりに行ってくれればさ。ほら、あいつも美月のことは知ってるし。私と付き合っている時も、結構楽しく会話もしてくれてたじゃん」

 地獄だということに気がつくのが遅すぎる。

 ヤレヤレというように息を吐いていると、早月が何度も懇願するように頼んでくるものだから、結局断り切れず。次に会った時には、スイーツの食べ放題に付き合うということで手を打った。甘いものに弱い私も私だ。

 早月との電話を終えてバーに戻ると、残っていたお客は帰り、永峯君がカウンターにいた。

「あ、よかった。待ちくたびれて帰っちゃったのかと思った」
「帰ったりしないよ」

 子供みたいな反応が可愛らしくて、つい笑みがこぼれてしまう。

「友達から電話が掛かって来ちゃって。ゴールデンウイーク中に出かけることになっちゃったの」

 気乗りしていないことが顔に出ていたのか、彼は、どうかしたの? というように小首を傾げた。

「あんまりいいお出かけじゃなさそうだね」

 真っすぐな瞳を見ると、友達の元彼と二人でテーマパークに行く羽目になったとは言いにくい。彼の笑顔を些末な出来事で曇らせるわけにはいかない。彼には、いつも笑顔でいてもらいたい。そもそも、こんなに毎日忙しく働いている相手に向かって、遊びの愚痴をこぼすとは如何なものか。余計なことは言うまいと話を終わらせる。けれど、はっきりと用事を話さなかったのは、彼の気を引きたいと思う浅はかな感情があったのも事実だ。生ぬるく吹く風を封じるために、選択した手段だったのかもしれない。

 あと片付けを終えた永峯君とバーを出たのは、十六時半を少し回ってからだった。

「結局こんな時間。ホント、ごめんね」
「気にしないで。私が勝手に来ちゃってるだけなんだし。それに、みんな永峯君のご飯、とっても美味しそうに食べてたよ。料理を口にしてるお客さんたちの笑顔を見てたら、私も幸せな気分になっちゃったよ」

 並んで歩いていると彼の足がピタリと止まり、私の肩をガシッっと掴んだ。

「もぉーーー。美月ちゃんっ。なんて素敵な人なんですかっ」

 言うが早いか、路上だということも構わず、その場で抱き締められてしまった。

「ちょっ、ちょっと。永峯君」

 みんなが見てるよ、という嬉し恥ずかしの言葉を言いつつも、離れがたくて結局されるがまま。傍から見たら、痛いカップルだろうなぁ。でも、幸せ。

 夕ご飯を作ってくれると言う彼だけれど、お店で散々料理をしてきたばかりなのに、これ以上働かせるわけにはいかない。なので、二人でどこかお店に入ることにした。

「旧商店街通りには、行ったことある?」

 訊ねられて首を振る。この辺りは、興津さんのところの周辺とときわ商店街。あとは駅近辺しか知らない。

「随分昔みたいだけれど。ときわ商店街が今の場所に移動してくる前の、小さな通りがあるんだ。そこにイタリアンレストランがあるから行ってみようか」

 永峯君に促されるまま歩いて行くと、途中には大きな公園と図書館があった。そこを抜けたところが旧商店街通りと言われた場所にあたるらしい。目的のイタリアンレストランに着くと満席だった。テイクアウトをしていたので、ピザとパスタとサラダ。デザートのティラミスを購入し、彼の部屋で食べることにした。

 部屋に着き、買った料理をさっそくテーブルに広げると、流石ちゃんとしたイタリアンのお店。どれもとても美味しそうだ。

「前菜を買うの忘れちゃったね」

 キッチンに立って取り皿などの用意をしていた彼は、生ハムがあるからとカルパッチョを作ってくれた。流石です。

 定番のマルゲリータピザは、トロトロに溶けたモッツァレラチーズにトマトとバジル。生地の食感と焼け具合がたまらない。パスタくらいなら作るよ、と言ってくれた永峯君を制して買ったのはボロネーゼ。生パスタのもちもち感と、絡みつくソースとお肉がたまらない。サラダも定番のカプレーゼ。今では居酒屋でも出てくるメニューだけれど、本格的なイタリアンレストランが作っていると、トマトとチーズの選び方が違うのか。めちゃくちゃ美味しかった。最後のデザート、ティラミスに頬をキュッと持ち上げ、幸せに二人でうっとりする。

「このマスカルポーネとチーズ。それにコーヒーの染み込んだスポンジが絶妙!」

 まるで女子高生のように、二人でキャッキャッとデザートにテンションを上げた。その日は、甘いデザートで心を綻ばせ、互いの温もりで甘美な時間を送った。

 この幸せがずっと続きますようにと、彼に寄り添い眠りながら穏やかな寝息を繰り返した。
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