一途であまい
6.
ゴールデンウイークが明けた。永峯君の働くバーは、少しずつランチ営業の回数を減らしている。売上が軌道に乗り始めているのか。もしくは、彼の負担を慮ってのことか。
デートは互いの空いた時間に外食をしたり、新作の料理を試食したり。週末の昼間には、二人の大好きなスイーツ巡りに出かけていた。
「ねぇねぇ。そろそろ暑くなってきたし、かき氷食べに行かない」
六月を目の前にし、なんとなく湿気を孕んだ空気が漂っている中、真夏日のような陽気の日が増えていた。真っ青な青空に眩しい太陽が燦々と照り付ける日は、街の至る所で半袖姿の人を見かける。サンダルの人もいて、先走る浮かれた様子が見て取れた。
永峯君の作ってくれた新作の料理に舌鼓を打ちながら、千駄木にある有名なかき氷店の話をした。
「あ、もしかして。天然の氷を使ってるところじゃない」
どうやら永峯君も知っていたようで、キラキラとした目で前のめりに興味を持ってくれる。
「僕、学生の頃に一度チャレンジしてるんだけど。予約が取れなくて結局諦めたんだよ」
悔し気にして天井を仰ぐ。
「じゃあ。リベンジだね」
彼は拳を力強く握って、よっしゃ。なんて笑っている。
約束をした週の金曜日は、心が浮ついてはしゃぐ思いがつい顔に出ていた。
明日は、永峯君とかき氷だ。一番人気のいちご尽くしも食べたいけれど、モンブランも捨てがたい。かき氷でモンブランなど珍しいし。食べるなら、大好きな栗だろう。永峯君は何を選ぶだろう。二人で行くと、二つの味が楽しめるのも嬉しい。心が躍るな。
想像に顔のニヤつきが止まらない。会社の自席に座りパソコンをいじりながら頬を緩ませていると、楽しそうだなと声がかかった。すぐそばに立つ人物を振り仰ぐと滝口さんだった。
ニヤニヤ顔を見て浮かれてんなぁと笑う。テーマパークへ一緒に出かけて以来、滝口さんとは社内で会えば言葉を交わすことが増えていた。以前なら、業務上、然程関係のないデザイン課の人とすれ違ったところで会釈程度だった。
「あの弟みたいなやつと、このあとデートでもすんのか?」
滝口さんは、永峯君のことを名前で呼ばない。仕事でもない限り、男の名前なんか憶えても何の得にもならないと公言しているくらいだ。何度か永峯俊介という名前を告げたけれど一向に覚える気配はない。反面、女性の名前を瞬時に覚える彼は、どうやらモテルらしい。今まで少しも関わりがなかったから気にもしてこなかったけれど、彼の周りには常に色々な女性がいた。実際今も少し離れたフロアの先で、こちらをチラチラと気にしている女性が立っていた。同じデザイン課の子だろうか。このあと二人でランチにでも行くのかも。
「今のところ、その予定はないよ」
ルーティンになりかけている永峯君との時間は、今日に限って連絡がなく未定だった。ランチの作業に追われて、スマホを触る余裕もないのだろう。ゴールデンウイークが明けてからというもの、口コミでランチの噂が広がり、永峯君の料理は盛況らしい。
「なんだよ。顔がだらしないから、デートかと思った」
「だらしないって言わないよ」
相変わらずズケズケとものを言う。からかうと面白いおもちゃを手に入れたとでも思っているのだろう。
「んじゃ。そのニヤニヤの原因は週末か。これから一緒にランチでもして、そのニヤニヤ話を聞いてやろうか」
煽るように見てくるから、未だフロアの先に立ち、彼を待っているだろう女性に視線を向けた。
「先客があるでしょ」
呆れたように言うと、ああ、そうだった。なんて、本気で忘れていたのかと思うくらいのとぼけた返答をしてくる。
「まったく。いい加減なんだから。そのうち後ろから刺されるんじゃないの」
「その時は盾になってよ」
「あのね。なんで私が滝口さんを守らなきゃなんないのよっ」
ふざけながら言い返しているところで、待ち疲れてしまった彼女が滝口さんの名前を甘えるような口調で呼んだ。
「ほら。背中に気をつけなきゃならない女性の一人が呼んでるよ」
滝口さんは、ケラケラ笑っている。
「仕方ねぇな。飯いくか」
待っている女性とのランチに、さして興味もない態度だ。そうして踵を返した彼は、ふと立ち止まり再び私を見た。
「なぁ。夜に飯付き合えよ。あとで連絡する」
「え? 夜って。ちょっと」
止める間もなく言うだけ言って、さっさと行ってしまった。
付き合えって。永峯君から連絡が来たら無理だからね。
滝口さんがいなくなったフロアの先に視線をやったまま肩を竦めた。
強引過ぎる滝口さんからの誘いに、永峯君のスマホも躊躇しているのか。いつもならとうに来ている夕方のこの時間になっても未だに連絡がない。
「まずい。このままでは、滝口さんにニヤニヤ話をしなくてはならない」
ぶつくさとスマホに向かって不満を呟いてみても、誰かに幸せな話を聞いてもらうのはイヤなものではない。こういったことは、誰かに話して喜びを倍増させたいものなのだ。聞いてる側にしてみれば、面白くもなんともないだろうけれど。
それにしても、どうしたんだろう。いつもなら、終業時間辺りになれば何かしらのメッセージが届くのに。
ピクリともしないスマホの画面を見続けていても埒が明かないので、こちらから永峯君にメッセージを送くるとしばらくして返信がきた。
『美月ちゃん、ごめん。店で使ってるオーブンの調子が悪くなって、今業者さんにみてもらってるところなんだ。それで、ちょっと時間がかかりそうなんだよ』
届いたメッセージのあとには、焦ったような絵文字と、泣きべそをかいたスタンプも送られてきた。
なんてこと。このタイミングでオーブンが壊れてしまうなんて。まさかの滝口さんマジック? 彼の誘いは断れないということ?
永峯君に了解した旨を連絡すると、丁度そこへ滝口さんが現れた。
「素直に待ってるなんて、可愛いもんだな」
冗談交じりの上から目線に塩対応で返す。
「今帰るところですから、お気になさらず」
ひらひらと手を振り立ち上がると、冗談だってと引き留められた。
「一駅先にうまい肉の店があるんだ」
それだけ言うと、デスクにある私のバッグを手にし先に立って歩きだす。
「あっ、ちょっと待ってよ」
人質のように奪われたバッグを追いかけ、一緒にエレベーターへ乗り込んだ。
「いつもこんな強引なやり方してるの?」
彼の周囲にいる数々の女性にも、今のようなやり方で誘っているのかと訊いてみた。けれど、呆れたように、まさか。と笑われる。滝口さんは私のバッグを肩に背負うようにして持ちながら、サクサクと先をいく。
連れて行かれたのは、肉という獣的な表現とは比例して、地下にあるモダンな造りのイタリアン・レストラン・バーだった。駅からすぐの喧騒の多い場所だったけれど、一旦中に入ってしまえば、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「さすが。いいお店を知ってるよね」
案内された席に着いて、若干の嫌味も混ぜて片方の口角を上げた。両手でも足りない女性を相手にしているだろうから、知っている店の数も多いだろうという目を向ける。しかし、私の嫌味などへでもないのか。
「高坂さんて、ガツガツと肉に食いついてそうなイメージだからさ」
すぐにやり返されてしまった。
確かに、お肉大好きだけど。食いつくって何よ。私は、野蛮人か。
頬を引きつらせながら渡されたメニューに目を通すと、どれもこれも美味しそうでテンションが上がる。まんまと罠にはまっている気もするが食べ物に罪はない。
「いくつ頼んでもいいけど、食いきれる量にしておけよ」
あれもこれも食べたいと目移りしていたのがバレバレだ。
店員を呼ぶと私がどれほど注文するのかと、ニヤニヤしながら眺める彼を前に料理名を告げる。
「黒毛和牛のローストビーフにミートデラックスのピザ。オーガニック野菜のピクルスと小エビのアヒージョ。ナッツのグリーンサラダにスペアリブの煮込み。あ、ナッツ平気?」
アレルギーはないかと訊ねると、問題ないとい頷く。
「あと。俺は、ビールで彼女には、ウーロン茶を」
店員が下がると、ちゃんと全部食えよと念押しされる。二人なのだからと、シェアできるように頼んだつもりだけれど、まさか飲むと食べないタイプなのだろうか。
「高坂さんて、羞恥心とか遠慮とかないよな」
何の遠慮もなく頼んだ料理の数々に呆れているのだろう。クツクツと笑うと、まだ届かぬビールを待ち焦がれるようにして店の奥に視線を向ける。
「食べたいものを食べたいだけ食べる。それが私の信条です」
どこかの政治家みたいな真似をして胸の前で拳を握ると、ぶっと吹き出し更に笑われた。
「ほんと、面白れぇ」
まずは飲み物がやって来た。
「お疲れ~」
彼は早速グラスを手にし、言うが早いか一気にビールを半分ほど飲み干す。
「やっぱり、仕事のあとにはビールだよな」
同意を求められ、軽くウーロン茶のグラスを持ち上げる。
「わりい、わりい。高坂さんにはわからないか」
子供相手のような態度に、ウーロン茶も美味しいからっと唇を尖らせた。
「ガキかよ」
人のことをからかって面白がっている自分の方が、よっぽど子供でしょ。
不満に感じても、次々と届く美味しそうな料理をみればどうでもよくなる。ローストビーフにピザ。ピクルスにアヒージョ。届くものを口にするたびにうまいうまいとご満悦な顔をする私を見て、そんなアニメがあったなと笑う。普段はどうなのか知らないけれど。目の前でがつがつ食べる私に釣られてか、彼もよく食べた。一人で全部食べることにならなくてほっとする。
「昼間の彼女。付き合ってるの?」
見るたびに違う女性が隣にいるのだから、きっと違うだろうなとは思ったのだけれど、一応訊いてみた。
「ん? ああ。あれは、いつも書類を届けてくれる総務の子。向こうから飯に誘ってきたから行っただけ」
「滝口さんて、モテルみたいだけど。特定の彼女はいないの?」
「うぅん。今は絶賛募集中」
若干口を濁すようにして、募集中をアピールする。
もし恋人がいたなら、まず初めにその彼女に背中を刺されてるよね。あ、でも、女性の場合って、浮気した彼氏よりも相手の女を恨むっていうよね。じゃあ、刺されるのは、普段周囲にいる女性たちってことか。私も勘違いされないように気を付けないと。
「俺の話はいいよ。今日は、高坂さんの弟君の話を聞いてやろうってことで肉なわけだし」
いや、話を聞くことと肉は別だし。そもそも弟じゃないし。
「何度も言うけど、弟じゃなくて、永峯俊介君」
いい加減名前を憶えて欲しくて念押ししたけれど軽くかわされる。
「高坂さんて、もうすぐ結婚するとか何とか言ってなかったっけ? 相手は、あの弟?」
訂正するのも面倒になってきたけれど、そこはそれ。
「せめて永峯君と言って」
「はいはい。で、その永峯が結婚相手なのか」
やっと呼んだと思ったら呼び捨てかーい。まー、滝口さんの方が年上だから、仕方ないと言えば仕方ないけどね。それにしても、どうして結婚のことを知っているのだろう。
「違うけど……。その話、どこで聞いたの?」
まさか。結婚目前だと思っていた彼氏がいたことを、滝口さんが知っているとは思わず警戒してしまう。
「立ち聞きでもしたの? 趣味悪いね」
若干むっとして返すと、心外だと反論された。どうやら、以前会社の休憩ルームで澤木先輩と話していたのが聞こえていたらしい。
「癒しのコーヒータイムを送っていた俺の耳に、テンション高くそろそろ結婚だのなんだのはしゃいで話していたのは自分だろ。俺はその時、後ろのテーブルに居たんだよ」
なんと、運のない私。まさか、滝口さんみたいな人に聞かれていたとは、ついていない。しかも、今呼び捨てにしたでしょ。私のナメラレレベルが上がってるじゃない。もぉ。
「俺なんかに聞かれて最悪だって顔すんな」
「あれ。つい、心の声が駄々洩れに」
皮肉を返して目を見合っていたら、なんだか可笑しくなってしまい二人で吹き出してしまった。
滝口さん相手だと、自分を飾ることなく、思ったことをつい口に出したり、顔に出したりしてしまう。こういうのを気が合う間柄と言うのだろうか。ちょっと間違えば、犬猿の仲ともいえそうだけれど。
そこからは、三年付き合っていた元彼にふられた時の話と、翌日に会った永峯君と付き合うことになった経緯について話していった。もちろん、気がついたら朝だったことに関してはふせたけど。
「それにしても、人がいいよな。もし俺が高坂なら、コーヒーくらいぶっかけるけど」
さっき呼び捨てにされて以降、滝口さんは私に対してさんというものをどこかへ置いてきたらしい。
「頭の中では、コーヒーくらい引っ掛けてやりたいって気持ちが過ったりもしたのよ。けどさ、コーヒーの染みって落ちにくいんだよねって、凄く冷静な思考が働いちゃって」
ヘラヘラっと笑ったら、彼は少しだけ悲しい顔をし、小さく息を吐くと背もたれに寄りかかる。
デートは互いの空いた時間に外食をしたり、新作の料理を試食したり。週末の昼間には、二人の大好きなスイーツ巡りに出かけていた。
「ねぇねぇ。そろそろ暑くなってきたし、かき氷食べに行かない」
六月を目の前にし、なんとなく湿気を孕んだ空気が漂っている中、真夏日のような陽気の日が増えていた。真っ青な青空に眩しい太陽が燦々と照り付ける日は、街の至る所で半袖姿の人を見かける。サンダルの人もいて、先走る浮かれた様子が見て取れた。
永峯君の作ってくれた新作の料理に舌鼓を打ちながら、千駄木にある有名なかき氷店の話をした。
「あ、もしかして。天然の氷を使ってるところじゃない」
どうやら永峯君も知っていたようで、キラキラとした目で前のめりに興味を持ってくれる。
「僕、学生の頃に一度チャレンジしてるんだけど。予約が取れなくて結局諦めたんだよ」
悔し気にして天井を仰ぐ。
「じゃあ。リベンジだね」
彼は拳を力強く握って、よっしゃ。なんて笑っている。
約束をした週の金曜日は、心が浮ついてはしゃぐ思いがつい顔に出ていた。
明日は、永峯君とかき氷だ。一番人気のいちご尽くしも食べたいけれど、モンブランも捨てがたい。かき氷でモンブランなど珍しいし。食べるなら、大好きな栗だろう。永峯君は何を選ぶだろう。二人で行くと、二つの味が楽しめるのも嬉しい。心が躍るな。
想像に顔のニヤつきが止まらない。会社の自席に座りパソコンをいじりながら頬を緩ませていると、楽しそうだなと声がかかった。すぐそばに立つ人物を振り仰ぐと滝口さんだった。
ニヤニヤ顔を見て浮かれてんなぁと笑う。テーマパークへ一緒に出かけて以来、滝口さんとは社内で会えば言葉を交わすことが増えていた。以前なら、業務上、然程関係のないデザイン課の人とすれ違ったところで会釈程度だった。
「あの弟みたいなやつと、このあとデートでもすんのか?」
滝口さんは、永峯君のことを名前で呼ばない。仕事でもない限り、男の名前なんか憶えても何の得にもならないと公言しているくらいだ。何度か永峯俊介という名前を告げたけれど一向に覚える気配はない。反面、女性の名前を瞬時に覚える彼は、どうやらモテルらしい。今まで少しも関わりがなかったから気にもしてこなかったけれど、彼の周りには常に色々な女性がいた。実際今も少し離れたフロアの先で、こちらをチラチラと気にしている女性が立っていた。同じデザイン課の子だろうか。このあと二人でランチにでも行くのかも。
「今のところ、その予定はないよ」
ルーティンになりかけている永峯君との時間は、今日に限って連絡がなく未定だった。ランチの作業に追われて、スマホを触る余裕もないのだろう。ゴールデンウイークが明けてからというもの、口コミでランチの噂が広がり、永峯君の料理は盛況らしい。
「なんだよ。顔がだらしないから、デートかと思った」
「だらしないって言わないよ」
相変わらずズケズケとものを言う。からかうと面白いおもちゃを手に入れたとでも思っているのだろう。
「んじゃ。そのニヤニヤの原因は週末か。これから一緒にランチでもして、そのニヤニヤ話を聞いてやろうか」
煽るように見てくるから、未だフロアの先に立ち、彼を待っているだろう女性に視線を向けた。
「先客があるでしょ」
呆れたように言うと、ああ、そうだった。なんて、本気で忘れていたのかと思うくらいのとぼけた返答をしてくる。
「まったく。いい加減なんだから。そのうち後ろから刺されるんじゃないの」
「その時は盾になってよ」
「あのね。なんで私が滝口さんを守らなきゃなんないのよっ」
ふざけながら言い返しているところで、待ち疲れてしまった彼女が滝口さんの名前を甘えるような口調で呼んだ。
「ほら。背中に気をつけなきゃならない女性の一人が呼んでるよ」
滝口さんは、ケラケラ笑っている。
「仕方ねぇな。飯いくか」
待っている女性とのランチに、さして興味もない態度だ。そうして踵を返した彼は、ふと立ち止まり再び私を見た。
「なぁ。夜に飯付き合えよ。あとで連絡する」
「え? 夜って。ちょっと」
止める間もなく言うだけ言って、さっさと行ってしまった。
付き合えって。永峯君から連絡が来たら無理だからね。
滝口さんがいなくなったフロアの先に視線をやったまま肩を竦めた。
強引過ぎる滝口さんからの誘いに、永峯君のスマホも躊躇しているのか。いつもならとうに来ている夕方のこの時間になっても未だに連絡がない。
「まずい。このままでは、滝口さんにニヤニヤ話をしなくてはならない」
ぶつくさとスマホに向かって不満を呟いてみても、誰かに幸せな話を聞いてもらうのはイヤなものではない。こういったことは、誰かに話して喜びを倍増させたいものなのだ。聞いてる側にしてみれば、面白くもなんともないだろうけれど。
それにしても、どうしたんだろう。いつもなら、終業時間辺りになれば何かしらのメッセージが届くのに。
ピクリともしないスマホの画面を見続けていても埒が明かないので、こちらから永峯君にメッセージを送くるとしばらくして返信がきた。
『美月ちゃん、ごめん。店で使ってるオーブンの調子が悪くなって、今業者さんにみてもらってるところなんだ。それで、ちょっと時間がかかりそうなんだよ』
届いたメッセージのあとには、焦ったような絵文字と、泣きべそをかいたスタンプも送られてきた。
なんてこと。このタイミングでオーブンが壊れてしまうなんて。まさかの滝口さんマジック? 彼の誘いは断れないということ?
永峯君に了解した旨を連絡すると、丁度そこへ滝口さんが現れた。
「素直に待ってるなんて、可愛いもんだな」
冗談交じりの上から目線に塩対応で返す。
「今帰るところですから、お気になさらず」
ひらひらと手を振り立ち上がると、冗談だってと引き留められた。
「一駅先にうまい肉の店があるんだ」
それだけ言うと、デスクにある私のバッグを手にし先に立って歩きだす。
「あっ、ちょっと待ってよ」
人質のように奪われたバッグを追いかけ、一緒にエレベーターへ乗り込んだ。
「いつもこんな強引なやり方してるの?」
彼の周囲にいる数々の女性にも、今のようなやり方で誘っているのかと訊いてみた。けれど、呆れたように、まさか。と笑われる。滝口さんは私のバッグを肩に背負うようにして持ちながら、サクサクと先をいく。
連れて行かれたのは、肉という獣的な表現とは比例して、地下にあるモダンな造りのイタリアン・レストラン・バーだった。駅からすぐの喧騒の多い場所だったけれど、一旦中に入ってしまえば、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「さすが。いいお店を知ってるよね」
案内された席に着いて、若干の嫌味も混ぜて片方の口角を上げた。両手でも足りない女性を相手にしているだろうから、知っている店の数も多いだろうという目を向ける。しかし、私の嫌味などへでもないのか。
「高坂さんて、ガツガツと肉に食いついてそうなイメージだからさ」
すぐにやり返されてしまった。
確かに、お肉大好きだけど。食いつくって何よ。私は、野蛮人か。
頬を引きつらせながら渡されたメニューに目を通すと、どれもこれも美味しそうでテンションが上がる。まんまと罠にはまっている気もするが食べ物に罪はない。
「いくつ頼んでもいいけど、食いきれる量にしておけよ」
あれもこれも食べたいと目移りしていたのがバレバレだ。
店員を呼ぶと私がどれほど注文するのかと、ニヤニヤしながら眺める彼を前に料理名を告げる。
「黒毛和牛のローストビーフにミートデラックスのピザ。オーガニック野菜のピクルスと小エビのアヒージョ。ナッツのグリーンサラダにスペアリブの煮込み。あ、ナッツ平気?」
アレルギーはないかと訊ねると、問題ないとい頷く。
「あと。俺は、ビールで彼女には、ウーロン茶を」
店員が下がると、ちゃんと全部食えよと念押しされる。二人なのだからと、シェアできるように頼んだつもりだけれど、まさか飲むと食べないタイプなのだろうか。
「高坂さんて、羞恥心とか遠慮とかないよな」
何の遠慮もなく頼んだ料理の数々に呆れているのだろう。クツクツと笑うと、まだ届かぬビールを待ち焦がれるようにして店の奥に視線を向ける。
「食べたいものを食べたいだけ食べる。それが私の信条です」
どこかの政治家みたいな真似をして胸の前で拳を握ると、ぶっと吹き出し更に笑われた。
「ほんと、面白れぇ」
まずは飲み物がやって来た。
「お疲れ~」
彼は早速グラスを手にし、言うが早いか一気にビールを半分ほど飲み干す。
「やっぱり、仕事のあとにはビールだよな」
同意を求められ、軽くウーロン茶のグラスを持ち上げる。
「わりい、わりい。高坂さんにはわからないか」
子供相手のような態度に、ウーロン茶も美味しいからっと唇を尖らせた。
「ガキかよ」
人のことをからかって面白がっている自分の方が、よっぽど子供でしょ。
不満に感じても、次々と届く美味しそうな料理をみればどうでもよくなる。ローストビーフにピザ。ピクルスにアヒージョ。届くものを口にするたびにうまいうまいとご満悦な顔をする私を見て、そんなアニメがあったなと笑う。普段はどうなのか知らないけれど。目の前でがつがつ食べる私に釣られてか、彼もよく食べた。一人で全部食べることにならなくてほっとする。
「昼間の彼女。付き合ってるの?」
見るたびに違う女性が隣にいるのだから、きっと違うだろうなとは思ったのだけれど、一応訊いてみた。
「ん? ああ。あれは、いつも書類を届けてくれる総務の子。向こうから飯に誘ってきたから行っただけ」
「滝口さんて、モテルみたいだけど。特定の彼女はいないの?」
「うぅん。今は絶賛募集中」
若干口を濁すようにして、募集中をアピールする。
もし恋人がいたなら、まず初めにその彼女に背中を刺されてるよね。あ、でも、女性の場合って、浮気した彼氏よりも相手の女を恨むっていうよね。じゃあ、刺されるのは、普段周囲にいる女性たちってことか。私も勘違いされないように気を付けないと。
「俺の話はいいよ。今日は、高坂さんの弟君の話を聞いてやろうってことで肉なわけだし」
いや、話を聞くことと肉は別だし。そもそも弟じゃないし。
「何度も言うけど、弟じゃなくて、永峯俊介君」
いい加減名前を憶えて欲しくて念押ししたけれど軽くかわされる。
「高坂さんて、もうすぐ結婚するとか何とか言ってなかったっけ? 相手は、あの弟?」
訂正するのも面倒になってきたけれど、そこはそれ。
「せめて永峯君と言って」
「はいはい。で、その永峯が結婚相手なのか」
やっと呼んだと思ったら呼び捨てかーい。まー、滝口さんの方が年上だから、仕方ないと言えば仕方ないけどね。それにしても、どうして結婚のことを知っているのだろう。
「違うけど……。その話、どこで聞いたの?」
まさか。結婚目前だと思っていた彼氏がいたことを、滝口さんが知っているとは思わず警戒してしまう。
「立ち聞きでもしたの? 趣味悪いね」
若干むっとして返すと、心外だと反論された。どうやら、以前会社の休憩ルームで澤木先輩と話していたのが聞こえていたらしい。
「癒しのコーヒータイムを送っていた俺の耳に、テンション高くそろそろ結婚だのなんだのはしゃいで話していたのは自分だろ。俺はその時、後ろのテーブルに居たんだよ」
なんと、運のない私。まさか、滝口さんみたいな人に聞かれていたとは、ついていない。しかも、今呼び捨てにしたでしょ。私のナメラレレベルが上がってるじゃない。もぉ。
「俺なんかに聞かれて最悪だって顔すんな」
「あれ。つい、心の声が駄々洩れに」
皮肉を返して目を見合っていたら、なんだか可笑しくなってしまい二人で吹き出してしまった。
滝口さん相手だと、自分を飾ることなく、思ったことをつい口に出したり、顔に出したりしてしまう。こういうのを気が合う間柄と言うのだろうか。ちょっと間違えば、犬猿の仲ともいえそうだけれど。
そこからは、三年付き合っていた元彼にふられた時の話と、翌日に会った永峯君と付き合うことになった経緯について話していった。もちろん、気がついたら朝だったことに関してはふせたけど。
「それにしても、人がいいよな。もし俺が高坂なら、コーヒーくらいぶっかけるけど」
さっき呼び捨てにされて以降、滝口さんは私に対してさんというものをどこかへ置いてきたらしい。
「頭の中では、コーヒーくらい引っ掛けてやりたいって気持ちが過ったりもしたのよ。けどさ、コーヒーの染みって落ちにくいんだよねって、凄く冷静な思考が働いちゃって」
ヘラヘラっと笑ったら、彼は少しだけ悲しい顔をし、小さく息を吐くと背もたれに寄りかかる。