一途であまい
「高坂って、いつも大事なところで自分殺して我慢してきただろ」

 不意に突きつけられたことに、ハッとする。

 さっきまでニヤニヤと、人の恋バナを面白がっていたのに。急に真面目な顔で見返してくるその目が、私の根底にある弱い部分をすべて知っているというように見えたからだ。

 グッと言葉に詰まると、彼は真面目な表情で語りだした。

「のりよく冗談にもすぐ切り返して話を拾ってくれる。その上よく笑い、美味そうに食う。だから周りは気づかないんだろ。ホントはくそ真面目で、辛気臭いってこと」

 図星過ぎる。普段見せていないはずの自分を、悔しいくらいに見透かされてしまっている。こんなことを理解しているのは、澤木先輩と、今はたまにしか会わない早月だけだと思っていた。元彼だって、別れを切り出されるまでは、理解してくれていると思っていたが、最終的には違ったようだし。

 話すようになって間もない滝口さんに、自身のことを言い当てられてしまうとは思わず、先の言葉を探せない。

 普段、何かあっても笑って声高に冗談を言えば、周囲は真面目腐った面白くもない性格をスルーしてくれていた。どこかで気がついていたとしても、いちいち指摘してくることもない。ただ、合わないなと感じればスッと静かに距離を取り離れていくだけのこと。傷つかなかったわけじゃない。仲がいいと思っていた人たちが離れていくことは寂しい。自分に落ち度があるのだろうと、暗く悩んだりもする。けれど、長年培ってきた性格を、クルリと簡単に変えることはとても難しい。不器用故に、離れていく人たちを引き留めるすべもわからない。ただただ、ため息を吐きながら後悔するばかりだ。

「最後の辛気臭いは余計だよ。……けど、当たってる。相手がこの性格に気づかずにいてくれる間は、いいんだけどね。ある時、ふっと思うんだろうね。面倒な人だなって。口では冗談を言って笑っているけれど、やることなすこと堅苦しくて、ついていけなくなるんだよ。私ね。ふざけてばかりいるけど、実際のところはつまらない人間なんだ。さっきのコーヒーの染みのこともそうだけど。ここでもしそんなことをしたら、お店にも迷惑がかかるし。相手の女性のお腹には子供もいるわけだから。万が一何か影響があったらとか、そんなことも考えるし。色んなことに不安になって怖くなっちゃうんだよ。それで枠からはみ出すことをやめちゃう。そのくせ、色んなこと想定して、勝手に落ち込んじゃって。けど、そういうところを見せるのもなんか違うって思って、結局ヘラヘラしちゃう。きっと笑ってる奥にある真面目なところに、周囲は気がついちゃうんだよね。押しつけがましく感じて、一緒にいると息苦しくなるんだよ。元彼もそういうのが嫌になっちゃったんじゃないかな。根は真面目なんて言えば聞こえはいいけど。一緒にいて、つまらなくなったんだよ。思っていたのと違うって。滝口さんだって、今は面白れぇ。なんて私のことからかってご飯に誘ってくれてるけど。そのうち、面倒だとか、つまんないとか思うようになるんじゃないかな。でも、そういうのは慣れてるから。好きな時にフェイドアウトしてくれていいからね」

 ため息交じりに話し終えて俯くと、目の前からふっと悲し気な息づかいが聞こえた。

「なんか、似てんな」

 誰と?

 疑問を抱いても、目の前にある瞳が切なげで。普段彼が見せるような強気でギラギラしたところが少しも見られないから、訊ねることができなかった。

 彼の傍にも、私みたいな人がいるのだろうか。

 いつも言いたいことを言って。華やかな女性を連れ、明るい場所にいる人にとって。私みたいな女は、珍しいおもちゃと一緒で、今だけの楽しいアイテムの一つでしかないだろう。離れていった他の人たちと一緒で、からかい疲れたら自然と距離を置くに違いない。

 いつものことだと思っても、心には痛みが走る。明日になれば、会社で会釈する程度の相手に逆戻りしているかもしれない。気の合う友達ができたと思っていたから残念だ。

 永峯君は、私のことをどう思っているのだろう。情けなく根暗で変に真面目で、心の中では不安なことばかり考える性格に気がついているだろうか。気がついていて、それでもそばにいてくれているならいいな。もしもまだ気がついていないなら、永峯君もきっと、少しずつ一緒にいることに息苦しさを感じて、距離を取るようになって。最終的には……。

 悪い方へばかり考える思考を無理に振り払い、目の前のピザに向かって大きい口を開けて齧り付いた。芽生えた不安をピザと一緒に飲み込む。豪快に食べる様子を、彼はただ黙ってビールを飲みながら見ていた。

 気がつけば、ラストオーダーの時間になっていた。食事を終えて外に出たのは、終電も近くなっている頃だった。

「今日はありがと。お肉美味しかった。ホントに奢って貰っちゃってよかったの?」

 さっき食事を終えてレジ前に向かう時、俺が無理に誘ったからと財布さえ出させてもらえなかった。滝口さんは紳士のようだ。

「次は奢れよ。銀座の寿司でいいぞ」

 根暗な自分を見せてしまったから、もう誘われないと思っていた。なのに、次もあるということに驚き心が少し軽くなる。

 そして前言撤回。高級寿司なんて奢れるわけないじゃん。呆れて笑いながら、バッグの中にあるスマホをチェックする。
 あ、永峯君からメッセージが来てた。

「弟からか」

 またいつもの呼び方に戻っている。

「弟じゃなくて、永峯君ね。オーブンが直ったみたい」
「あれ? 料理人なんだっけ?」

「正確には、バーテンダーね。コロナ時期の影響を引きずってて、ランチもやってるの」
「水商売か。バーテンダー相手に酒が飲めないとか、ないな」

 皮肉を言われて膨れた顔を向けながら、部屋で待っているという永峯君にすぐにでも逢いたくて急ぎ足になる。さっき芽生えた不安を、彼に会うことで拭い去りたかった。

「今日は、ほんとありがと。次は私が回転寿司奢るからね」

 大通に向かって手を上げタクシーを止めながら言うと、回るやつかよっと笑われた。タクシーに乗り込みドアが閉じる瞬間。

「俺は、少しも面倒なんて思わない」

 真面目な顔で告げられた後、ドアが閉まり、タクシーが走り出した。

 気の合う間柄という言葉を再び思い出す。そのままの自分でいいと言われたような気がして、泣きそうになってしまった。自分の本質を知りながら、それでも受け止めてくれる存在に心が震えた。


 永峯君のマンションに着き、部屋へ迎え入れられた途端、玄関先でぎゅっと抱きつかれた。

「美月ちゃん、逢いたかったよ~」

 抱きついたまま耳元で言うと、耳たぶを甘噛みしてからキスをする。今日もとても甘い。さっきまで抱えていたはずの不安は、彼に会えたことと、こうして抱き締めキスをされたことで溶けるように体の外へ流れ出していく。

「昨日も会ったでしょ」

 流れ出ていく不安の濁った水流を気にしながら、彼のキスに応えた。再び触れた唇に、彼が幸せそうな顔をする。流れは益々加速して、抱えた不安は消えてくれそうだ。

 全て流れでてしまえ。

 胸の中に芽生えた灰色の感情に向かって、弱気な思いを隠した心が吐き捨てる。

「そうだけど。オーブンのせいで会う時間が遅くなった」

 子供みたいに膨れてから、あれ、何か食べてきた? と洋服に着いた香に気づき訊ねる。

「うん。あ、ほら。早月の元彼の友達の――――」

 滝口さんの人物紹介で長い説明をしようとすると。

「ああ、同じ会社の滝口さん」

 簡潔にまとめられた。確かにその方がわかり易くて早い。

「そうそう。彼にご飯を奢って貰っちゃった。代償は、私と永峯君の出会いの話」

 ふふッと笑みを浮かべる。

 まだ少し残る不安に目を瞑り、今ある目の前の幸せな時間に集中する。

 すると、永峯君が少しだけ間を空けてから、いつものニコリとした顔をする。そのほんの数秒の間に気がついた私は、やり過ごそうとした不安に再び目を向けてしまう。

 今何か失敗をしたのかもしれない。なにがダメだった?

 心の中におろおろとする自分が現れる。

「ご飯は、二人で食べてたの? 美味しかった」
「うん」

 彼の表情はいつも通りで、声に棘のようなものも感じない。けれど、一度芽生えた不安は心を落ち着きなくさせる。

「流れで、二人のこと話ちゃったけど、嫌だった……?」

 自分たちのことを話されたくなかっただろうか。何も考えずに、元彼にふられた話から永峯君のことまでしゃべったことを後悔した。普段は些細なことにも不安を覚えて考えてから口にするのに、私にはこういう思慮に欠ける気の利かないところがある。

 今ならわかる。いくら同僚とは言え、男性と二人で食事したこと自体アウトだ。私は気の合う友達と思っていても、永峯君にしてみれば、単に異性と二人きりだ。前回のテーマパークのこともあったのに、また不安を煽るように同じことを繰り返している。学習能力の欠片もない。

「ううん。大丈夫だよ」

 いつものような笑顔。

「彼、モテモテ君だから。周りにいる女性たちが嫉妬して刺されるなんてことにならないよう気を付けなよって言ったら。盾になれっだって。なんで私がって、思わず突っ込んだよね」

 狼狽えている心を隠すように、饒舌になる。滝口さんの周りには、私なんかが太刀打ちできない素敵な女性がたくさんいることを話せば、安心してくれるのではないかと必死になる。

 こんな風に取り繕うくらいなら、初めから誘いを断ればよかったものを。私はいつだって事が起きてからじゃないと気がつかない。

 滝口さんのことを冗談交じりに話していると、永峯君がコーヒーを淹れ始めた。キッチンに立ち私に背を向ける姿を見ると、心が怯える。彼が今どんな顔をしているのか想像すると怖くなる。彼は私のどこを好きになってくれたのだろう。グジグジとした湿っぽい思考が表に出てきたとき、彼はどう感じるのだろう。こんな女だったのかと、愛想を尽かすかもしれない。真面目過ぎて面倒だと、冷たい態度を取るかもしれない。

 いつもにこやかに笑っている彼の、能面のような表情を想像するだけで背筋が冷たくなる。不安に思えば思うほど逃れられず。なのにどうすればいいのか解らない。冗談を言ったままの顔を崩すこともできずヘラヘラとしてしまう。

「はい。どうそ」

 カップに入れたコーヒーをダイニングテーブル座り二人で飲む。

「美味しい」

 抱えていた不安を、コーヒーが溶かしていくみたいだ。

「永峯君が淹れたコーヒーは、甘味があってまろやかだよね。私が淹れても、こうはならないよ」

 彼は料理も上手だけれど、コーヒーを淹れるのもとてもうまい。コーヒーメーカーに頼ることなく、ミルで挽いた豆をペーパーで丁寧にドリップしてくれる。

「きっと、僕の愛の方が美月ちゃんより上だからだよ」

 心がチクリとする。けして嫌味で言ったことではないはずだ。なのに疚しさを覚え、勝手に傷ついてしまう。

 得意気な顔をする永峯君に向かって、いつもの自分を取り戻そうと軽口をたたく。

「私も負けてないから。絶対私の方が好きだもん」

 勢いあまって言ってから、めちゃくちゃ恥ずかしくなってしまった。いい年した女が、好きだもんってなんだ。引くわっ。

 永峯君は、負けないっと言って椅子から立ち上がり、座る私をふわりと抱き締めた。首元に顔を埋めた彼から、コーヒーのいい香りがする。身体を少し離した彼は、私を見つめてキスをする。お互いからするコーヒーの香りに笑みが浮かぶ。

「永峯君。コーヒー味」
「美月ちゃんもコーヒー味」

 顔を見合わせ微笑みあい、唇が再び優しく触れあう。

 私は彼の胸に顔を埋め、不安な思いを振り払うように努力する。

 狭いベッドで寄り添いながら、髪の毛を優しくかき上げられる。

「ずっと僕のそばにいてね……」

 静かに囁く声を聞きながら、そんな言葉を言わせている自分が嫌になっていた。
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