一途であまい
 翌日、私たちはかなり気合を入れていた。それは、長時間待ってでも食べると決めたかき氷のためだ。

「天気がいいから、待っている間に暑さにやられないようにしないとね」

 永峯君は、準備よく凍らせたペットボトルのミネラルウォーターを鞄に入れる。

「さすが永峯君」
「美月ちゃんが倒れちゃったら大変だかね」

 私、そんなにやわじゃないけどな。と思いつつも、彼の優しさは嬉しかった。

 天気は上々だ。きれいな青空が広がっている。太陽は昼を前にして、既にぎらつき始めていた。午前中のうちに店の前に辿り着くと、整理券を渡され連絡先を伝えた。入店できる五分前に、連絡をしてくれるらしい。貰った整理券を手に、近所の商店街を見て歩くことにした。

 回転寿司やラーメン店。和雑貨に喫茶店。惣菜店もたくさんある。

「ときわ商店街よりも栄えてるね」

 ときわ商店街も人通りが多いけれど、ここはロケ地としてもよく使われる場所だし。有名なコロッケを売っているお店もあるせいか、人通りはとても多かった。色んなお店が犇めき合っていて、飽きることなく見ていられる。

 有名なハムを売る精肉店にアップルパイのお店。惣菜のコロッケや焼き鳥。誘惑の多い中、かき氷を食べる前にお腹を膨らませるわけにはいかないとペットボトルの水を飲んで我慢する。そのうちにかき氷店から連絡が入り、店の前に戻るとすぐに店内へ案内された。壁際にある、奥の席に案内されて座る。

 店内にはたくさんのメニューが貼り出されていて、私がこれぞと決めてきたマロンのかき氷以外にも、たくさんの種類があり目移りしてしまう。永峯君は、何にするのだろう。

「迷うなぁ。マスカルポーネシリーズもいいね。あーっ、でも。やっぱり、まずは王道にするっ。いちご尽くし」

 気合を入れてメニューを決める顔は、子供みたいで本当に可愛い。二十六歳って言ってるけど本当かなぁ? 実はまだ十代だったりしない?

 くすぐったいような、楽しい気持ちに笑みが零れる。

 この店のかき氷は、これぞスイーツと誇らしく言ってもいいほどのものだった。山のように盛られきめ細かに削られたフワフワの氷。その上を飾るようにたっぷりと乗ったシロップにイチゴのペースト。ゴロゴロと乗っているいちごの実。これを前にしてテンションが上がらないわけがない。

「これは食べ応えがありそうだ」

 目の前に現れたいちご尽くしを見て、彼は目を輝かせている。

 私の方も同じようにきめ細かな氷の上に、マロンペーストやシロップ。そして、栗がのっている。ケーキのモンブランが大好きでよく食べるけれど。まさか、かき氷で食べることになるとは、なんて幸せなのだろう。

 私たちは、美味しいね。という言葉を何度繰り返したかわからないほどに言い合い、目の前の甘い氷密を充分に味わった。

 念願果たし、リベンジの叶った永峯君は、店を出たあともとても満足気だ。何度もかき氷の美味しさを口にしている。

「夏になったらさ。もう一回来ようよ。僕、マスカルポーネシリーズも食べてみたいんだ」

 王道のいちご尽くしを食した彼は、次のターゲットに向けて既に心を躍らせている。まるで少年が組み立て終わったプラモデルを眺め満足しながらも、次はあれだと店頭に並ぶ別のプラモデルに目を輝かせてでもいるみたいだ。

「永峯君、可愛いね」

 ついポロっと出た言葉に、きょとんとしたあと、少しだけ恥ずかしそうにした彼は嬉しそうに目じりを垂らした。

 先ほど商店街を通った時に見かけた有名なコロッケを買い、歩きながら食べた。揚げたてはサクサクとして美味しい。

「このコロッケももちろん美味しいけど、僕は増田さん処のも、負けてないと思う」

 永峯君は、ときわ商店街にあるお肉屋さんで作られているコロッケも是非食べて欲しいと言う。

「そうだ。帰りに買って帰ろうよ。じゃがいもがホクホクしていて、堪らないんだ」

 今度は女子高生みたいにキラキラした目をして食べ物の話をする。コロコロと変わる表情は、見ているたけで笑顔になるし。何より、幸せな気持ちが伝染する。彼はこうやって、たくさんの人の心を幸せにしてきたのだろう。

 冷たいものを食べた後のお昼には、温かそうな名前のついたラーメン屋で、お腹を満たした。その後、池袋のシネコンで映画を観てから、永峯君のマンションがある最寄り駅に戻る。帰りに増田さんのところでコロッケを買うのも忘れず、ときわ商店街に寄り道をする。

 ときわ商店街のアーチを抜け、パン屋さんの少し先へ行くと夫婦で切り盛りしている増田精肉店がある。店先から声をかけると、親しみのある挨拶が飛んできた。

「よう。俊介君。毎度。なんだ、なんだ。美人さんを連れてるじゃないか。どこで知り合ったの。どっちから声をかけたの。いやぁ、若いっていいねぇ」

 私と俊介君を交互に見て、増田さんはからかいはやし立てる。すると、エプロン姿の奥さんらしき人が、店の奥から首だけをこちらに伸ばして増田さんを叱った。

「あんた。余計な無駄口はいいんだよっ。永峯君、うちのがごめんね」
「いえいえ」

 チャキチャキっとした奥さんの言い方に、増田さんが肩を竦めている。

「あんな風になっちゃ、いけないぞ」

 奥さんに気づかれないよう、親指を後ろに反らしてこっそり愚痴るものだから、私と永峯君は顔を見合わせて小さく笑みを作った。

 コロッケやメンチカツに唐揚げを買い増田精肉店をあとにして、パンの香ばしい匂いにつられる。

「買って行く?」

 うんうん。と頷くと、美月ちゃん可愛い。とさっきのお返しみたいに顔を覗きこまれるから照れくさい。

 自動ドアを潜り店内に入ると、幸せな香りを体いっぱいに吸い込みたくなる。レジ前には、以前涼音さんと初めて会った時にもいた店員さんが立っていた。

「あら。俊君。彼女? もしかして……」

 永峯君は、ここでも顔馴染みのようだ。語尾を濁すようにして言葉を止めた店員さんに、彼は大きく頷いた。

「そうなんです。可愛いでしょ」

 もしかしての続きが気になりつつも、恥ずかし気もなく口にする可愛いに恐縮してしまう。そんなそんな、とんでもございません。と謙遜して手を横に振る。

「僕の彼女の美月ちゃん。よろしくね、幸代さん」
「美月ちゃん、幸代です。よろしくね。俊君は、こう見えてとっても一途なのよ」

 ふふなんて浮かべた表情はふんわりとしていて、のんびりとした雰囲気がある。こう見えてとは、夜の仕事をして色んな人に愛想よく接しているけれど、という前置きがつくのだろう。この辺りの道行く人、みんながみんなと言ってもいいくらい。永峯君の顔を見ると親し気に話しかけてくるのだから、彼が周囲の人とどれほど解けこみ馴染んでいるのかはわかる。

「明日の朝食?」

 幸代さんが訊ねると、彼は嬉しそうに頷いている。お泊り確定を知ると、幸代さんは女子高生みたいにはしゃいだ。

「もう、少しは遠慮しなさいよ~」

 永峯君の堂々とした返しに彼女は身をよじらせて、こっちの方が照れるわ。なんて言っている。本当にそうなんですよ。と思わず共感の声をあげそうになった。

 幸代さんのところで、クロワッサンとテーブルロールをいくつか購入し店を出たところで私のスマホが鳴った。

「あ、滝口さん」

 画面に現れた名前を呟くと、永峯君が立ち止まった。つられて私も止まる。

 テーマパークの一件や昨日二人で食事へ出かけてしまったこともあって、永峯君の表情を窺った。彼の気持ちを思うと、話は手短に済ませた方がいい。

 どうぞ、という彼の表情を確認してから通話に出る。

「もしもし。どうしたの」
「高坂の声が聞きたくなった」

 一ミリも恥じらうことなく、開口一番に聞こえてきた言葉に呆れる。同時に、永峯君にもれ聞こえていないかと、彼の表情を確認せずにはいられない。聞こえているのかいないのか、彼の顔つきは特に何ということもない。

「はいはい。で、本題は?」

 軽くあしらう私に、電話の向こうでクツクツと笑っている声が聞こる。

「塩対応すんなよ。俺今傷心なんだからさ」

 傷心なんて、柄にもないことを。彼の冗談に嘆息していると、声のトーンが落ちた。

「自棄酒に付き合え」

 いつもながらの強引な命令口調。しかし、傷心で自棄酒とは、なんて彼に不釣り合いな言葉だろう。強気な彼に、これほど似合わない台詞はない。大体、昨日の今日で傷心とはどういうこと。私と食事をした後に、何かあったのだろうか。似てるな。そう呟いた相手にふられたのだうか。けれど、絶賛彼女募集と言っていたし。何がなんだかわからない。

 いつものように、からかわれているのかもしれない。だいたい、お酒の飲めない私を自棄酒に誘うって。

「私、下戸なの知ってるじゃん。誘う相手、間違えてない?」

 自棄酒とは名ばかりで、実は別の目的があるのか。

「間違えるかよ。弟君、そばにいるんだろ。かわって」
「え? なんで永峯君なのよ」
「いーから、ちょっと代われって」

 仕方なくスマホを永峯君に差し出すと、僕? という当然の反応をする。それはそうだ。永峯君には、何の関係もない相手なのだから。

 スマホを手渡し永峯君が通話に出ると、滝口さんから何やら言われているようで、永峯君はただ、うんうんと頷きを返し。時々、少しだけ困ったような顔をした。少しのやり取りを繰り返したあと、通話が繋がったままスマホを戻された。

「もしもし」
「そういうことだから、よろしくな」
「え? は?」

 なにがそういうことなのか。それだけ言って切れてしまったスマホ画面を見ていると、呆けた顔をしている私に向かって、永峯君はバーへ行こうかと言い出した。

「え? 帰らないの?」

 コロッケなどが収まるビニール袋を持ち上げる。

「滝口さんの傷心物語を、バーで聞くことになったから。コロッケは、バーで食べよう」

 えぇ~という心の叫びは、何とか飲み込んだものの。二人だけの楽しい時間に割り込んできた滝口さんが恨めしい。滝口さんのバカ。

 急遽予定が変更になり、気乗りしないままバーへと足を向けた。

 強引な滝口さんの自棄酒に、永峯君を巻き込んでしまった事を謝ると「こういう時もあるよね……」と静かに呟く。いつもの元気がないことが気になって、バーへ行く間何度も彼の表情を窺った。

 道すがら。バーのオーナーである涼音さんの叔父さんへ連絡を入れ、店を使わせてもらう許可を貰う。

「オーナーさん。いいって?」
「うん。今日は定休日だから、あと片付けだけちゃんとしてくれれば、好きに使っていいって」

 永峯君の普段の行いがいいからか、個人的にバーを使うことを快く許可してくれたらしい。

「滝口さん、自棄酒って言ってたから。バーの飲み物を手当たり次第に飲んじゃうかもよ」

 苦笑いを浮かべると、彼は肩を竦めている。

 バーに着き、カウンター周りだけ灯りをつける。席に腰かけると、カウンター内に入った永峯君は慣れた手つきでソフトドリンクを作ってくれた。炭酸の気泡がぷくぷくとグラスの中で踊る紅茶色をした飲み物には、キウイのスライスが浮いている。

「ティーソーダ。紅茶に少し甘味を入れてあるけど、フローズンのキウイからも甘味と香りが出てるから、気に入ると思うよ」

 以前どこかで飲んだティーソーダはあまり自分の好みには合わなくて、それ以来倦厭していた飲み物だった。それを目の前に出されて、僅かばかり躊躇したけれど。考えてみれば、料理上手の永峯君はバーテンダーが本業なのだから、不味いドリンクなど出すはずがない。

 ストローを口にくわえて吸い込むと、炭酸の刺激とともにやって来た紅茶の香りと甘味が驚くほどに美味しかった。

「何これ。めちゃくちゃ美味しい」

 語彙力の欠片もない、あまりに単純な感想を返すと「よかった」と彼は両方の口角を上げる。

「甘みの強い完熟のゴールデンキウイを使って、ティソーダに合う茶葉を選んでるんだよ」

 説明を聞きながら、美味しさに一気に飲み干しそうになったけれど、もったいなくてやめた。このドリンクは、スイーツといっても過言ではない。
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