一途であまい
イタズラな顔をする彼女に笑みを返し、カフェを出て永峯君のスマホを鳴らすとすぐに留守電に変わり繋がらない。詩織ちゃんの言うように、今更だとふられてしまうだろうか。
いつもの癖でマイナス思考が過ったけれどすぐに振り払う。そうだったとしても、この気持ちは彼に伝えなければいけない。好きで好きで。だからこそ怖くて、嫌われたくなかったと。本当は、ずっとずっと逢いたかったと。声を聞き、その胸に抱きしめて欲しかったと。
旧商店街を走り、公園を通り図書館の横を駆け抜ける。商店街へ入り、もう一度スマホを取り出したところでおでん屋の喜代さんにばったり会った。両手鍋を抱えている。
「おや。美月ちゃんじゃないかい」
抱えている鍋の中からは、おでんのいい香りがしている。
「お得意さんのところに届けるところなんだよ。この前は災難だったね。あれから大丈夫だったかい?」
「あの時は、ありがとうございました」
頭を下げると、気にしない気にしないと笑ってくれた。
「女の子はね、愛する男に守られてなんぼよ。いやぁ、あの時の俊君は、本当カッコよかったわ。惚れ直しちゃうわよ。私が後、二十若かったら、美月ちゃんと張り合うところだったわ」
ガハガハと豪快に笑う喜代さんへ、斜向かいにある増田精肉店から声が飛んできた。
「喜代さん。二十じゃ足りないだろっ。冗談が過ぎるよっ」
「なんだい、横から口出すんじゃないよ」
持っている鍋をふんと持ち上げて、喜代さんは笑いながら怒っている。言い合いはとても楽しそうで、ここの商店街の仲の良さが窺えた。
「増田さん。先日は、ありがとうございました」
「おうよ。いいって、いいって。ああいう勘違いした輩には、一度ビシッと言っとかねぇとな。またやらかしかねねぇからよ」
誇らしげに胸を張る。
「まー、若い時っちゅーのは色々あるだろうが。それもいい勉強だと思って、気持ち切り替えてかねぇとな」
立ち止まったまま動きだせなかったことを知ってでもいるみたいに増田さんが諭す。すると奥から、以前のようにチャチャが入った。
「なーにを偉そうに。大した恋愛もしてきてないのにさ」
「ああいう風には、なるなよ」
増田さんは肩を竦め以前と同様に、奥さんには見えない位置で親指を背後へと向けて唇を尖らせるからつい笑ってしまった。
増田さんのところを辞して、今度は源太さんのところへ向かった。和菓子屋の軒先に行くと、相も変わらず厳つい表情で仁王立ちしていた。けれど、私の顔を認めた瞬間笑みを浮かべる。
「よお。いらっしゃい」
「こんにちは。あの、先日はありがとうございました」
「なーに。大したことじゃないさ。あれからどうだい?」
それが正について訊いているのか、永峯君について訊いているのか判断がつかず、曖昧な顔をしてしまう。
「まあ、あんな酷いことを言う男のことを、俺は一発くらいぶん殴ってもいいんじゃないかって思ったけどな」
「けど、女が手を上げるなんて、よくないですよね……」
肩を落として俯くと、源太さんはククッと笑う。どうして笑われたのか解らず、俯いていた顔を上げた。
「あー、いや。すまんすまん。馬鹿にしたとかじゃないんだ。気に障ったら、謝るよ」
首を横に振る。
「似てるんだなって」
「え?」
「俊とさ。美月ちゃんは、似てると思うよ。見た目とは裏腹で、根が真面目。あっと、これも誤解を生むかな」
源太さんは、またすまんと謝る。
「俊は、あんななりだから軽くみられることが多くてな。自分の見た目で悩んでいたこともあったんだよ。商売も酒を扱う夜の仕事だから、その辺も偏見を持たれるって本人も言ってた。けどさ、本当にいいやつなんだ。誰よりも相手のことを考えて行動できるし、頭の回転も速い。気配りもよくできる男なんだ。何より、好きな女をとことん大事にする」
そうだろう? と同意を求める顔に深く頷いた。
そうなのだ。いつだって彼は、私のことを考えてくれている。思慮の足りない私のことを根気強く相手してくれる。
「俺さ、興津さんところの一とは同級生で、実は美月ちゃんのことは何度か話題にのぼっていたから少しだけ知ってはいるんだ。顔は知らなかったけれど、どんな子なのか話には聞いてたんだよ」
まさかの繋がりに驚いてしまう。
「一が言ってたよ。いつも元気いっぱいで、仕事ぶりも真面目で几帳面だって。仕事で来ているのに、オヤジの話し相手もしてくれるから本当に助かってるって」
「そんな。興津さんは、私の大切なお客様ですし。興津さんに会うとなんだかほっとするんです。東京のお父さんみたいな感じで」
興津さんの穏やかでいて、柔和な笑みを思い出し自然と表情が柔らかくなる。
「きっと、そういうところ、俊と波長が合ったんじゃないのかな」
不意に源太さんが外へと視線を向けた瞬間、後ろからガバッと抱きつかれた。
「美月ちゃんっ。会いたかった」
「なっ、永峯君⁉」
驚く私を振り返らせて、彼が怒りだした。
「もおっ。電話出てくれないし、メッセージも返してくれないし。めちゃくちゃ心配したんだからねっ」
口調は怒っているけれど、いつも通りの優しさと。そして、切なさも窺えた。ずっとダンマリを決め込んでいたことが本当に申し訳なくなる。
「ごめんなさい……」
謝る私のことをじっと見つめていたかと思うと、やはりまた同じように、今度は正面からぎゅっと抱きついてくる。
「もう、絶対放さない。ちゃんと連絡取りあってくれるって約束するまで、この手は放さないからねっ」
抱きしめたままそう言うと、ガラスケースの向こう側から、んんっと咳払いが飛んできた。
「悪いが、店先じゃなくて。他でやってくんないか」
苦笑いの源太さんの言葉に弾かれたように慌てて離れ、ペコペコと頭を下げて私たちはお店をあとにした。
彼の働くバーに向かう。地下への階段を下りると、今日は鍵がかかっていた。中に入り、永峯君はカウンター周りのライトを点けた。
「何か作るよ。炭酸ありなし、どっちがいい?」
「じゃあ。ありで」
スカッとする飲み物を口にして、体の中に沈んでいる澱を蹴散らしたかった。永峯君は、華麗な手さばきでドリンクを二つ作る。一つは、オレンジをベースにした爽やかな柑橘系の炭酸飲料。もう一つは、真っ赤に燃えるアセロラを使った酸味のある爽やかなもの。永峯君がアセロラだ。
ドリンクをカウンターに置き、隣り合って座る。
「ずっと、連絡しなくてごめんなさい」
体を横に向けて頭を下げた。
「本当だよ。僕がどれだけ寂しかったか。あんまり寂しすぎて、さっきも美月ちゃんに電話しようとしたら落っことして踏んづけて。もう、ね。スマホがバキバキ」
そう言って見せられた画面は、蜘蛛の巣のように豪快にひびが入っていて。さっき繋がらなかった理由を知る。
彼は、ぷくっと頬を膨らませる。やはり彼の行動は、ずっとずっと年下みたいだ。甘え上手で、笑顔が可愛らしい。そんな彼のそばにいると、自分の方がしっかりしなくちゃなんて、真面目腐った悪い癖が出ていたのかもしれない。けど、一見頼りないのかと思わせて、私よりもずっとずっとしっかりしているのは解っていたのだから。楽しいことだけじゃなくて、心に抱えた不安や悩みも素直に話して甘えればよかった。
心の奥に浮かび上がる負の想いを抱え込んで、何とか自分で処理しようなんてしなければよかったんだ。
彼は私の手を両手でしっかかりと握り、本当によかったと呟く。
こんな風に思ってくれる彼を、信用し頼らないでどうする。
私は、思っていた不安なことすべてを話してしまおうと心を決める。
「私ね、きっと初めから怖かったんだと思う」
彼が真摯な表情で聞き入るように私を見つめた。
「結婚まで考えていた相手にふられた直後に、映画やドラマみたいに永峯君が現れた事が嬉しくて幸せな反面。怖くてたまらかった。自分に自信がないから、今起きているすべてが現実じゃなくなったらどうしようって。あれもこれも慎重になって、足踏みしたり、言いたいことも飲み込んで何もないみたいに笑ったり。そうしていないと、永峯君がいなくなっちゃう気がして、怖かったんだよ」
彼が小さくかぶりを振る。僕を信じて欲しいというように、まっすぐ目を見つめてくる。
「急に幸せになり過ぎて、心の準備が整わなかったのかもしれない。滝口さんとのことも、本当ならもっと永峯君に相談するべきだったと今なら思う。私が滝口さんと会っていたこと、いい気持ちしていなかったでしょ。けど、あの時の私は、永峯君に話さないことで不安にさせたくないなんて思い込んでた。でも、そうじゃないよね。黙っていたことの方が、よっぽど嫌な気持ちになるよね。正のこともそう。会いたいって連絡が来た時点で、永峯君に相談するべきだった。一人で解決しようなんて考えて、結局商店街であんなことになっちゃって……。正に向かって手を上げて。挙句、その瞬間を永峯君に見られて、私本当に終わったって思ったの。暴力を振るう女なんて、嫌われるに決まってるって。こんな場面を見られてしまった私が何か一つでも言葉を口にしたら、もうそこで二人の関係は終了だって。嫌われたくない。別れたくない。怖くて、怖くて、自分の保身ばっかり……」
一旦息を吐き、潤んできた目に溜まる涙を引っ込めようと二度ほど呼吸を繰り返す。
「だから、連絡が来ても応えられなかった……。話したら終わっちゃうって思ったら、怖くてたまらなかったの……」
込み上げてくるぐちゃぐちゃな感情で、それ以上の言葉が出てこない。零れだしそうな涙を必死に堪えるのが精いっぱいだった。
「嬉しいな」
彼が穏やかに呟く。
「そこまで僕のことを想ってくれて、本当に嬉しい」
涙を堪える私をそっと引き寄せ、優しく抱きしめる。
「嫌いになんかならないよ。嫌うわけないじゃん。あの時、美月ちゃんの手を止めたのはね、僕の欺瞞だよ。あんな酷いことを言う人のために、君の手を汚したくなかったんだ。それだけなんだ。手を挙げたのが美月ちゃんじゃなかったら、僕はきっと止めなかったと思う。君が大事だから、君の中に人を殴ってしまったという過去を残したくなかった。それだけなんだ」
どうして、この人はこんなにも優しいのだろう。堪えていた涙が、ポロポロと零れ落ちて、どうにも止められない。
「美月ちゃんが好きになった人だし。悪く言いたくなかった。けど、僕はどうしても正さんの言葉を許せなかった。あの時、商店街のみんなが現れなかったら、きっと僕が手を上げていたと思う」
抱きしめていた手を緩めると私を見つめる。
「もう一度言うよ。僕は、君を嫌いにならない。こう見えても、僕は一途なんだ」
そうだよね。詩織ちゃんを助けてから、もう四年だ。あの日からずっと私のことを忘れずに想い続けてくれていたくらいだもん。
「四年間も想っていてくれて、ありがとう」
「……えっ。四年て……。えっ。な、なんでそれをっ」
永峯君が狼狽える。
「ここの商店街の人たちは、いい意味でとてもおせっかいだから」
クスッと笑うと、誰から聞いたの? ねぇ、だれ? 教えて。と永峯君は、恥ずかしそうにしながら必死に問うのでした。
私は彼の優しさに包まれながら、彼を信じ、ずっと寄り添っていくことを誓う。私の甘い考えを彼の持つ甘さに包んでもらい。私も彼を一途に思い続けたい。
いつもの癖でマイナス思考が過ったけれどすぐに振り払う。そうだったとしても、この気持ちは彼に伝えなければいけない。好きで好きで。だからこそ怖くて、嫌われたくなかったと。本当は、ずっとずっと逢いたかったと。声を聞き、その胸に抱きしめて欲しかったと。
旧商店街を走り、公園を通り図書館の横を駆け抜ける。商店街へ入り、もう一度スマホを取り出したところでおでん屋の喜代さんにばったり会った。両手鍋を抱えている。
「おや。美月ちゃんじゃないかい」
抱えている鍋の中からは、おでんのいい香りがしている。
「お得意さんのところに届けるところなんだよ。この前は災難だったね。あれから大丈夫だったかい?」
「あの時は、ありがとうございました」
頭を下げると、気にしない気にしないと笑ってくれた。
「女の子はね、愛する男に守られてなんぼよ。いやぁ、あの時の俊君は、本当カッコよかったわ。惚れ直しちゃうわよ。私が後、二十若かったら、美月ちゃんと張り合うところだったわ」
ガハガハと豪快に笑う喜代さんへ、斜向かいにある増田精肉店から声が飛んできた。
「喜代さん。二十じゃ足りないだろっ。冗談が過ぎるよっ」
「なんだい、横から口出すんじゃないよ」
持っている鍋をふんと持ち上げて、喜代さんは笑いながら怒っている。言い合いはとても楽しそうで、ここの商店街の仲の良さが窺えた。
「増田さん。先日は、ありがとうございました」
「おうよ。いいって、いいって。ああいう勘違いした輩には、一度ビシッと言っとかねぇとな。またやらかしかねねぇからよ」
誇らしげに胸を張る。
「まー、若い時っちゅーのは色々あるだろうが。それもいい勉強だと思って、気持ち切り替えてかねぇとな」
立ち止まったまま動きだせなかったことを知ってでもいるみたいに増田さんが諭す。すると奥から、以前のようにチャチャが入った。
「なーにを偉そうに。大した恋愛もしてきてないのにさ」
「ああいう風には、なるなよ」
増田さんは肩を竦め以前と同様に、奥さんには見えない位置で親指を背後へと向けて唇を尖らせるからつい笑ってしまった。
増田さんのところを辞して、今度は源太さんのところへ向かった。和菓子屋の軒先に行くと、相も変わらず厳つい表情で仁王立ちしていた。けれど、私の顔を認めた瞬間笑みを浮かべる。
「よお。いらっしゃい」
「こんにちは。あの、先日はありがとうございました」
「なーに。大したことじゃないさ。あれからどうだい?」
それが正について訊いているのか、永峯君について訊いているのか判断がつかず、曖昧な顔をしてしまう。
「まあ、あんな酷いことを言う男のことを、俺は一発くらいぶん殴ってもいいんじゃないかって思ったけどな」
「けど、女が手を上げるなんて、よくないですよね……」
肩を落として俯くと、源太さんはククッと笑う。どうして笑われたのか解らず、俯いていた顔を上げた。
「あー、いや。すまんすまん。馬鹿にしたとかじゃないんだ。気に障ったら、謝るよ」
首を横に振る。
「似てるんだなって」
「え?」
「俊とさ。美月ちゃんは、似てると思うよ。見た目とは裏腹で、根が真面目。あっと、これも誤解を生むかな」
源太さんは、またすまんと謝る。
「俊は、あんななりだから軽くみられることが多くてな。自分の見た目で悩んでいたこともあったんだよ。商売も酒を扱う夜の仕事だから、その辺も偏見を持たれるって本人も言ってた。けどさ、本当にいいやつなんだ。誰よりも相手のことを考えて行動できるし、頭の回転も速い。気配りもよくできる男なんだ。何より、好きな女をとことん大事にする」
そうだろう? と同意を求める顔に深く頷いた。
そうなのだ。いつだって彼は、私のことを考えてくれている。思慮の足りない私のことを根気強く相手してくれる。
「俺さ、興津さんところの一とは同級生で、実は美月ちゃんのことは何度か話題にのぼっていたから少しだけ知ってはいるんだ。顔は知らなかったけれど、どんな子なのか話には聞いてたんだよ」
まさかの繋がりに驚いてしまう。
「一が言ってたよ。いつも元気いっぱいで、仕事ぶりも真面目で几帳面だって。仕事で来ているのに、オヤジの話し相手もしてくれるから本当に助かってるって」
「そんな。興津さんは、私の大切なお客様ですし。興津さんに会うとなんだかほっとするんです。東京のお父さんみたいな感じで」
興津さんの穏やかでいて、柔和な笑みを思い出し自然と表情が柔らかくなる。
「きっと、そういうところ、俊と波長が合ったんじゃないのかな」
不意に源太さんが外へと視線を向けた瞬間、後ろからガバッと抱きつかれた。
「美月ちゃんっ。会いたかった」
「なっ、永峯君⁉」
驚く私を振り返らせて、彼が怒りだした。
「もおっ。電話出てくれないし、メッセージも返してくれないし。めちゃくちゃ心配したんだからねっ」
口調は怒っているけれど、いつも通りの優しさと。そして、切なさも窺えた。ずっとダンマリを決め込んでいたことが本当に申し訳なくなる。
「ごめんなさい……」
謝る私のことをじっと見つめていたかと思うと、やはりまた同じように、今度は正面からぎゅっと抱きついてくる。
「もう、絶対放さない。ちゃんと連絡取りあってくれるって約束するまで、この手は放さないからねっ」
抱きしめたままそう言うと、ガラスケースの向こう側から、んんっと咳払いが飛んできた。
「悪いが、店先じゃなくて。他でやってくんないか」
苦笑いの源太さんの言葉に弾かれたように慌てて離れ、ペコペコと頭を下げて私たちはお店をあとにした。
彼の働くバーに向かう。地下への階段を下りると、今日は鍵がかかっていた。中に入り、永峯君はカウンター周りのライトを点けた。
「何か作るよ。炭酸ありなし、どっちがいい?」
「じゃあ。ありで」
スカッとする飲み物を口にして、体の中に沈んでいる澱を蹴散らしたかった。永峯君は、華麗な手さばきでドリンクを二つ作る。一つは、オレンジをベースにした爽やかな柑橘系の炭酸飲料。もう一つは、真っ赤に燃えるアセロラを使った酸味のある爽やかなもの。永峯君がアセロラだ。
ドリンクをカウンターに置き、隣り合って座る。
「ずっと、連絡しなくてごめんなさい」
体を横に向けて頭を下げた。
「本当だよ。僕がどれだけ寂しかったか。あんまり寂しすぎて、さっきも美月ちゃんに電話しようとしたら落っことして踏んづけて。もう、ね。スマホがバキバキ」
そう言って見せられた画面は、蜘蛛の巣のように豪快にひびが入っていて。さっき繋がらなかった理由を知る。
彼は、ぷくっと頬を膨らませる。やはり彼の行動は、ずっとずっと年下みたいだ。甘え上手で、笑顔が可愛らしい。そんな彼のそばにいると、自分の方がしっかりしなくちゃなんて、真面目腐った悪い癖が出ていたのかもしれない。けど、一見頼りないのかと思わせて、私よりもずっとずっとしっかりしているのは解っていたのだから。楽しいことだけじゃなくて、心に抱えた不安や悩みも素直に話して甘えればよかった。
心の奥に浮かび上がる負の想いを抱え込んで、何とか自分で処理しようなんてしなければよかったんだ。
彼は私の手を両手でしっかかりと握り、本当によかったと呟く。
こんな風に思ってくれる彼を、信用し頼らないでどうする。
私は、思っていた不安なことすべてを話してしまおうと心を決める。
「私ね、きっと初めから怖かったんだと思う」
彼が真摯な表情で聞き入るように私を見つめた。
「結婚まで考えていた相手にふられた直後に、映画やドラマみたいに永峯君が現れた事が嬉しくて幸せな反面。怖くてたまらかった。自分に自信がないから、今起きているすべてが現実じゃなくなったらどうしようって。あれもこれも慎重になって、足踏みしたり、言いたいことも飲み込んで何もないみたいに笑ったり。そうしていないと、永峯君がいなくなっちゃう気がして、怖かったんだよ」
彼が小さくかぶりを振る。僕を信じて欲しいというように、まっすぐ目を見つめてくる。
「急に幸せになり過ぎて、心の準備が整わなかったのかもしれない。滝口さんとのことも、本当ならもっと永峯君に相談するべきだったと今なら思う。私が滝口さんと会っていたこと、いい気持ちしていなかったでしょ。けど、あの時の私は、永峯君に話さないことで不安にさせたくないなんて思い込んでた。でも、そうじゃないよね。黙っていたことの方が、よっぽど嫌な気持ちになるよね。正のこともそう。会いたいって連絡が来た時点で、永峯君に相談するべきだった。一人で解決しようなんて考えて、結局商店街であんなことになっちゃって……。正に向かって手を上げて。挙句、その瞬間を永峯君に見られて、私本当に終わったって思ったの。暴力を振るう女なんて、嫌われるに決まってるって。こんな場面を見られてしまった私が何か一つでも言葉を口にしたら、もうそこで二人の関係は終了だって。嫌われたくない。別れたくない。怖くて、怖くて、自分の保身ばっかり……」
一旦息を吐き、潤んできた目に溜まる涙を引っ込めようと二度ほど呼吸を繰り返す。
「だから、連絡が来ても応えられなかった……。話したら終わっちゃうって思ったら、怖くてたまらなかったの……」
込み上げてくるぐちゃぐちゃな感情で、それ以上の言葉が出てこない。零れだしそうな涙を必死に堪えるのが精いっぱいだった。
「嬉しいな」
彼が穏やかに呟く。
「そこまで僕のことを想ってくれて、本当に嬉しい」
涙を堪える私をそっと引き寄せ、優しく抱きしめる。
「嫌いになんかならないよ。嫌うわけないじゃん。あの時、美月ちゃんの手を止めたのはね、僕の欺瞞だよ。あんな酷いことを言う人のために、君の手を汚したくなかったんだ。それだけなんだ。手を挙げたのが美月ちゃんじゃなかったら、僕はきっと止めなかったと思う。君が大事だから、君の中に人を殴ってしまったという過去を残したくなかった。それだけなんだ」
どうして、この人はこんなにも優しいのだろう。堪えていた涙が、ポロポロと零れ落ちて、どうにも止められない。
「美月ちゃんが好きになった人だし。悪く言いたくなかった。けど、僕はどうしても正さんの言葉を許せなかった。あの時、商店街のみんなが現れなかったら、きっと僕が手を上げていたと思う」
抱きしめていた手を緩めると私を見つめる。
「もう一度言うよ。僕は、君を嫌いにならない。こう見えても、僕は一途なんだ」
そうだよね。詩織ちゃんを助けてから、もう四年だ。あの日からずっと私のことを忘れずに想い続けてくれていたくらいだもん。
「四年間も想っていてくれて、ありがとう」
「……えっ。四年て……。えっ。な、なんでそれをっ」
永峯君が狼狽える。
「ここの商店街の人たちは、いい意味でとてもおせっかいだから」
クスッと笑うと、誰から聞いたの? ねぇ、だれ? 教えて。と永峯君は、恥ずかしそうにしながら必死に問うのでした。
私は彼の優しさに包まれながら、彼を信じ、ずっと寄り添っていくことを誓う。私の甘い考えを彼の持つ甘さに包んでもらい。私も彼を一途に思い続けたい。