恋はひと匙の魔法から
 夜九時を過ぎても駅周辺はスーツを身に纏ったビジネスマンで賑わっている。
 電車で帰ろうとする透子の手首を掴み、西岡は人混みを掻き分けて問答無用でタクシー乗り場まで連れて行く。そして、透子をタクシーに乗せると自らも乗り込んだ。

「送ってく」
「えっ、あ、でも……」
「俺がまだ透子に聞きたいことがあるから。ダメ?」

 戸惑う透子へ、西岡はクールな表情を和らげ小首を傾げる。
 その仕草の可愛らしさに内心で悶えながら、透子は「ダメじゃないです」と小さく呟いた。
 西岡は透子が言うよりも前に、運転手へ行き先である透子の家の住所を告げる。タクシーはエンジン音を立てて走り出した。
 手首を掴んだままだった西岡の手がさりげなく透子の手のひらの下に滑り込み、ギュッと絡み合うようにして握られた。己とは違う骨張った手の感触が、まざまざと男を意識させる。

「あのさ。結局、他に男がいるとかじゃない、で合ってる?」
「い、いるわけないじゃないですか!」

 逆ならまだしも、透子から心変わりするなど想像がつかない。というか、さっきまで醜い嫉妬を露わにしていたというのに、どうしたらそういう発想になるんだろう。
 透子が語気を強めて否定すると、西岡は心底ホッとしたと言わんばかりに相好を崩した。
 その笑顔の破壊力たるや。透子は思わずほうっと見惚れてしまう。

「良かった。愛想尽かされたのかと思った」
「まさか!……というかどっちかっていうと、愛想を尽かされるのは私の方が早い気が……」
「なんで?」
「だっ、だって……私、工藤さんみたいに綺麗じゃないですし、料理くらいしか取り柄もないし……」

 我が発言ながら切れ味が鋭い。
 しょんぼりとして透子が項垂れると、膝の上に置いていた両手を掬い取られ、ギュッと握り込まれた。
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