恋はひと匙の魔法から
 西岡は透子の家に一度寄った後、車でそのラーメン屋に向かってくれると言う。
 ストッキングがぐっしょり水を含んで今すぐにでも着替えたかったので、その気遣いは有り難かった。
 程なくして透子の住むアパートに着き、家に戻った透子はストッキングと靴を手早く履き替える。足下に快適さを取り戻し、軽い足取りでアパートの前に止めていた西岡の車へ再び乗り込んだ。

 透子のアパートから程近い距離にあるラーメン屋は、昔ながらの、という言葉が似合う庶民的なお店だ。
 古めかしいが、店内は明るく、清潔感があるので透子一人でも入りやすい。いつもお客で賑わっている店内だが、今日は雨のせいかお客は透子たちだけだった。
 二人は店員に勧められ、カウンターの隣にあるテーブル席へと座る。
 この店のおすすめはワンタンラーメンだと告げると、西岡もそれにすると言うので、透子はサッと手を上げて店員を呼び、ワンタンラーメンを二つ注文した。

「大盛り無料ですが麺の量はどうしますか?」
「大盛りで!」

 尋ねてきた店員へ、ついいつもの調子で即答したところでハッと我に返った。視界の端で、西岡が笑いを噛み殺しながら「俺は普通で」と店員に告げている。
 
 透子は頭を抱えて唸りたくなった。
 先程まで人前でたくさん食べるのが恥ずかしいだとかなんとか言っていたくせに、これだ。
 自分のテリトリーで完全に気が抜けて、西岡の存在を意識から締め出してしまっていた。
 羞恥に駆られ、西岡を直視できずに俯き加減で視線を彷徨わせていると、またクスクスと笑われた。

「だから気にしなくていいって。いいと思うよ、大盛り」
「そうですね……ハイ……」

 気にしなくていいと言われてもそう簡単に切り替えられない。穴があったら、入ってそのまましばらく埋もれたい。

「もしかしてわざわざラウンジまで行って昼飯食べてるのも、そのたくさん食べるところを見られるのが嫌ってのが理由?」
「あー……はい……」

 今更隠し立てをしたところでどうしようもない。
 諦めた透子が小さく頷くと、西岡は眉間に皺を深く刻んだ。

「…………ほんっと、罪深い男だな」
「……えっと?」

 西岡が吐き捨てるように何事か呟いた。店内に流れるラジオの音にかき消されたため、詳しくは透子の耳に入らなかったが、愉快な内容でないことは感じ取れる。
 二人の間に緊張が走り、透子が戸惑いを隠せずにいると、西岡が頭を振って表情を和らげる。

「いや、なんでもない」
「はあ……」

 なんでもないとは思えないほどの仏頂面だったが。
 釈然としないまま、透子はお冷に口をつけた。
 西岡が驚くべきことを言ってのけたのは、透子が水を飲み込んだ直後だった。
< 36 / 131 >

この作品をシェア

pagetop