恋はひと匙の魔法から
「あの、ちょっと散らかってるんですけど、どうぞ……」

 そう前置きしながら、透子は玄関のドアを開けた。アパートの狭い三和土で靴を脱ぐ西岡を眺めながら、透子は内心でひどく狼狽えていた。

(西岡さんが、私の家にいる……やばい、信じられない……どうしよう……これから、もしかしたら……どうにかなっちゃったり、するのかな……)

 よくよく考えなくとも、男女が部屋に二人きりという状況なら「そういう展開」になってもおかしくない。
 誘った時は偶然訪れたチャンスに舞い上がっていて、とにかく夕貴との約束通りに彼を家に誘わなければと、それ以外頭になかった。
 ここにきてようやく、家に着いたその後の展開について考えが及び、透子の心臓が緊張で暴れ出している。
 そしてようやく西岡が透子の誘いに躊躇を見せていたことにも合点がいった。
 冷静な彼は透子の真意を測りかねていたのかもしれない。ただの部下と思っていた相手から家に誘われてさぞ驚いたことだろう。
 それでも、彼がただの部下の誘いに乗ってくれたのはどうしてだろう。もしかしたら、透子のことを部下ではなく一人の女として、ほんの僅かにでも意識をしてくれたからなのだろうか。
 
 そこまで考えて、透子は頭を振って自らの思考を否定した。ないな、と。
 透子のアパートまでの道中でも、彼は透子と一定の距離を保ち、節度ある態度でいた。
 むしろ、女として対象外だから誘いに乗った――これが妥当な気がする。
 そう結論づけると緊張がみるみるうちに萎んでいく。透子は覇気のない笑みを貼り付けながら、西岡を部屋に通した。

 透子の部屋の間取りはダイニングキッチンと寝室が別れている1DKだ。
 寝室は生活感に溢れているが、その代わりにダイニングキッチンの部分は余計な物を置かないでそれなりに小綺麗にしていた。
 無精せず、整頓していた過去の自分に、今日ほど感謝した日はない。
 
 
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