恋はひと匙の魔法から
 出来上がったピザは大変美味だった。
 チーズの塩気とフルーティーな甘口のワインの組み合わせは相性バッチリで、ピザを食べたらワインが飲みたくなり、さっぱりした口にまたピザを頬張るという無限ループにすっかりハマってしまう。
 二人とも手が止まらず、二枚を丸々食べ終えるまでにさほど時間は要さなかった。
 その結果透子は、それはもう、かつてないほどに酔っ払っていた。

「あー……お腹、いっぱい……」

 テーブルに頬杖を突き、すっかり空になった皿たちを眺めながら透子は満足そうに呟いた。頭はぐらぐらと危なっかしく前後に揺れて視界がブレているが、アルコールに冒された脳ではその違和感に気が付かない。

「すごい酔ってんな。大丈夫なの?明日」

 向かいでワインを呷る西岡は呆れ顔だ。彼は軽く透子の二倍は飲んでいるが、顔色は全く変わっていない。
 ちなみに明日は月曜日。当然仕事である。
 じっとりと胡乱げに見つめる彼の瞳を、透子は笑い飛ばした。

「多分二日酔いになると思いますけど、大丈夫です!ちゃんと働けます!」
「いや。大丈夫じゃないから。それ」
「まあまあ。あ!ケーキ食べましょ!西岡さんが買ってくれた……」
 
 手土産と称して西岡が買ってくれた、ちょっとお高いフルーツケーキの存在を唐突に思い出し、透子はゆっくり立ち上がった。
 ふらつかないよう慎重に冷蔵庫の前まで歩いていく。そこまではよかったが、肝心の冷蔵庫の扉が何故か開かない。
 首を捻りながら、体重をかけて再び扉をぐっと引いた。
 すると、今度は勢いよく扉が開く。
 ヤバい!と思った時には既に遅く、反動で体がよろめき、後ろへ倒れ込みそうになる。
 やってくるであろう衝撃に備えるように、透子は瞼をぎゅっと固く閉じた。
 
 しかし痛みは訪れなかった。
 代わりに肩の辺りが固い何かにぶつかる。それと同時に腰をグッと支えられ、温かいぬくもりに体が包み込まれた時、透子はようやく自分が転倒を免れたことに気がついた。

「ったく、危ないぞ」

 振り返れば、至近距離に西岡のしかめ面があった。

 刹那、ぼーっと靄がかっていた頭が瞬時にクリアになる。
 抱きしめられている。
 その事実に思い至り、脳内が騒然とする。酔いはすっかり冷めた。
 
 途端に、意識が触れている部分に集中してしまう。
 透子が体重をかけていてもびくともしない、引き締まった体つき。透子の背中には男らしい、筋肉のついた胸板が密着している。
 かあっと、全身が発火したように熱くなった。
 
 言葉を発することすら忘れた透子を片手で支え、西岡は透子の顔の横からひょいっと冷蔵庫を覗き込む。
 硬質な黒髪が透子の頬を撫でる。吐息も心臓の鼓動も、何もかもが聞こえてしまいそうな距離。
 透子は緊張のあまり、身動ぎ一つできず硬直した。そんな中、西岡は空いた手で冷蔵庫からケーキ箱を取り出している。
 そこでようやく西岡の腕の中から解放された透子は冷蔵庫に手をつき、へなへなとへたり込みそうになるのを堪えた。

「皿、出してもらってもいい?」
「は、はい!」

 西岡の声で放心状態から蘇った透子は一転して、きびきびとした動作で小皿とフォークを食器棚から出した。
 テーブルへ戻る途中、一歩前を歩く西岡が前を見ずに透子の足取りをつぶさに観察している。
 それはまるで、歩きたての赤ちゃんが転ばないかどうかを逐一見守る親のよう。居た堪れない。

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