恋はひと匙の魔法から

初デート…?

 ポケットの中のスマートフォンがブルリと震え、新着メッセージを受信したことを知らせてくる。
 そこには、自社の提供サービス『ルセッタ』のロゴマーク。そしてその横には「ごめん、今着いた」と簡潔な一文。
 ルセッタもこのメッセージアプリに公式アカウントを有しているが、これは西岡のプライベートのアカウントだ。どうしてこのアイコンなのかと聞いたら「宣伝」とだけ返ってきた。ある意味で分かりやすくはあるが、ただ考えるのが面倒だったという彼の本音も透けて見えて透子は苦笑した。

 待ち合わせとなる件の商業施設の出入り口の前に立っていた透子は、顔を上げて西岡の姿を探した。
 土曜の東京駅周辺はそこかしこに人波が形成されていて、ごった返している。大通り越しに行き交う人々を眺め、まだ彼の姿が見えないことを確認した透子は自分の姿を見下ろした。
 お気に入りの白のブラウスに、先月買ったばかりのライトグレーのフレアスカート。気合い十分なのを悟られないよう、足下はカジュアルさを求めてスニーカーを選んだ。

(変じゃないよね……?)
 
 既に鏡の前で何度も見直した後だというのに、また不安になって自分の格好を検分したくなる。
 だって、今日はデートだ。少なくとも、透子にとっては。

 自宅へ西岡を招いた翌日。彼から『いつにする?』と、交換したてのプライベートアカウントに連絡がきたのは、昼休みも終わる頃だった。
 何気なくスマートフォンを見ていた透子は、あまりの不意打ちに食後のコーヒーを吹き出しそうになった。
 隣に座る西岡を盗み見るも、彼は透子を見やることなく何食わぬ顔でキーボードを打ち続けていた。
 透子は挙動不審に陥りスマートフォンの画面を隠しながら、辺りを見回した。
 周囲の人間は透子が西岡と私的なやり取りをしているなど露とも思わず、各々業務に打ち込んでいる。その真面目な雰囲気漂うオフィスの片隅で色恋に浮かれていると、何だかいけないことをしている気分になる。透子はどぎまぎとしながら震える手で返信を打つのだった。
 
 そんな急転直下な展開を回顧していたところで、透子の視界に影が差した。

「遅れてごめん」

 面を上げると、待ち人がそこにいた。
 ダークブラウンのコーデュロイパンツに、薄手の白のセーター、その上から黒のジャケットを羽織っている。まるでファッション誌からそのまま出てきたような完璧な出立ちに、透子は思わず見惚れた。
 
「いえ、全然。遅れたってほどでは……」

 待ち合わせは十一時で、今はそこから五分ほど過ぎただけだ。
 どちらからともなく歩き出し、自動ドアを抜けてビルの中に入る。
 目的のフードホールは二階。入口近くのエスカレーターに乗ると、手すりに背を預けた西岡が、「はぁ……」とくたびれたような溜息をついている。

「起きたら十時半で焦った」
「えぇっ?!よくこの時間に着けましたね……」

 透子は目を剥いて驚きの声を上げた。
 西岡の住む駅からは電車で十分もかからないとはいえ、到着が早すぎる。
 男の人ってそんなに早く身支度できるのか……と透子が愕然として、エスカレーターの一段上に立つ西岡の横顔を見上げると、彼はバツが悪そうに目を逸らした。

「時間を遅らせてもらえればよかったのに……」
「そんなの、女の子を待ちぼうけさせるなんてカッコ悪いだろ」

 だから気合いで頑張ったのだと肩を竦めて話す西岡がなんだか可愛らしく思えてくる。
 オフィスにいる西岡はいつもパリッとしていて、遅刻なんて以ての外というイメージがある。正直なところ意外だった。

「西岡さんってお休みの日も早起きして、経済新聞読んでるイメージでした」

 少しだけ揶揄うように言うと、西岡は肩を落として首を振った。

「そういうのは平日限定だから。多分俺、透子が思ってるより大分だらしないと思うよ」
「そうなんですか?」
「休みの日は大体昼まで寝てるし、掃除は最低限だし、自炊はしないし」
「…………それってだらしないんですか?」

 きっちりしている、とは言い難いかもしれないが、彼の多忙さと社会的重圧を考えたら当然に思える。むしろ透子は、西岡が休日まで働いていなくて安心したくらいだ。
 そう告げると西岡は強張っていた表情を和らげたのだった。
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