恋はひと匙の魔法から
「透子」

 不意に名前を呼ばれ、弾かれたように透子は声の方を振り返った。
 ソファに座った西岡がこちらへ来いと手招きしていて、透子は何を言われるのだろうと恐々しながら彼の元へ歩み寄る。
 西岡は透子の手首を掴んで引き寄せると、自身の腿の辺りを叩いた。
 その仕草が意味するところを悟り、透子の頬にほんのりと朱が差す。こんな誰が訪れるとも分からない場所でする振る舞いではないと頭では理解していても、心が引き寄せられるように彼を求めて、透子はおずおずと彼の膝に横向きに腰掛けた。
 するとすぐさま西岡の腕が透子の腹部に絡みついてきて抱きすくめられる。

「嫌な思いさせてごめん。この展開はちょっと想定外だった」

 透子の首筋に顔を埋めた西岡が、はあっと深く息を吐いた。
 その声は苦渋が滲んでいて、彼が本心からそう思っているのだと察せられた。
 生温かい吐息に首筋をくすぐられ、透子はむず痒さに身じろぎしつつも、ふるふると頭を振る。

「いえ。偶然のことですし、謝らないでください。私も気にしていないので」

 聞き分けのいい彼女を演じたくてそう嘘をついた。本当はどうしようもなく劣等感を刺激され、自分の知らない間に英美里と会っていたことを聞いてこの上なく動揺し、平静を保っていられなかったというのに。
 顔を上げた西岡はそんな下手な虚勢を張る透子の前髪を長い指ですき、あらわになった額に優しく口付けを落とす。
 視線を上げると、どこか切なげにこちらを見つめる西岡の双眸がそこにあった。

「……透子、好きだ」

 蕩けるような甘い響きと共に、秀麗な面立ちが近づいてきて透子はそっと目を閉じた。
 柔らかい温もりが唇に触れる。彼の愛情が重なった部分から流れ込んでくるように思えて、彼の肩にしがみつきながら夢中になって唇を食んだ。
 はしたなくも誘うように口を僅かに開くと、ぬるりと肉厚な舌が入り込んで透子の舌を絡めとる。互いの粘膜をすりつけ合い、口内で混ざり合った唾液を嚥下すると下腹部がきゅうっと疼いた。

「ん……はぁ……」

 巧みに口腔を弄られ、次第に体内の熱が上昇していく。ここがどこであるかを忘れて深いキスに没頭し、唇が離れる頃には透子の顔面はすっかり熟れて色欲が滲み出ていた。
 西岡は透子の顎に手を添え、唾液に塗れ艶やかに濡れた唇をそっと親指でなぞる。

「こうやってキスしたいと思うのも透子だけだ。それは疑わないで」

 心の裡で渦巻いていた黒い思念がしゅるしゅると萎んでいく。
 愛しい人から紡がれる真摯な告白は、疑心暗鬼に陥っていた胸中をそっと慰撫してくれた。そして、好きだと言ってくれた彼の言葉を素直に信じることにした。
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