恋はひと匙の魔法から
「……透子?おまえ、なにやってんの?」

 背後から聞き馴染みのある声が聞こえて、透子はハッと我に返った。振り向くと、千晃が怪訝そうな顔で立ち尽くす透子を見ている。

「晃兄……。お店は?」
「今、閉めたとこ。で、ボーッと幽霊みたいにつっ立ってなにしてたんだ?」
「あ、えっと……久しぶりだったから、ちょっと疲れちゃって……」

 何と言えばいいか分からず、千晃から目を逸らした。良くも悪くも単純な兄は透子の言葉を額面通りに受け取ったようで、「明日休んでいいぞ。大丈夫か?実家泊まってくか?」と心配げに眉をひそめる。
 三兄妹の末っ子、しかも一人だけ歳が離れているということもあってか、二人の兄はどちらも透子には甘い傾向にある。アラサーになってもそれは健在で、少々むず痒く思いながら透子はふるふると首を振った。

「ううん、大丈夫。明日も行けるから、気にしないで」
「そうか?あ、そういや、おまえんとこの社長、週刊誌に載ってたぞ。工藤英美里と結婚するんだってな」

 今しがた知った衝撃的な事実を軽々しく口にされ、透子は身を強ばらせた。千晃に向ける表情がさらにぎこちないものになる。

「な、なんで晃兄が知ってるの……?名前、書いてないのに……」
「俺、工藤英美里結構好きでさ。それでネットで検索してみたんだけど、そしたら相手がおまえんとこの社長だったからビビったわ。すげーイケメンだな」
「そう、だね……。うん……ごめん、私、もう帰るね。おつかれ、晃兄」

 透子の胸中など知る由もない千晃とこのまま会話を続けていたら致命的なダメージを負いそうで、透子は逃げるように店を出た。

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